好奇心のレビュー・感想・評価
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1953年と言えば、『ディエンビエンフーの戦い』を翌年に控えたフランスが仏印戦争に負ける時期。
思い出した。見た事はあった。でも、『純愛映画』見たく綺麗に描いているので、全く共感が持てず、印象に残ったのはペレス・プラードの『マンボ』くらい。アルトサックスがチャーリー・パーカーだったとは記憶の片隅にもない。少なくともこの映画には全くふさわしくない音楽だと思う。たから、その点を狙ってあえて据えた、この演出家の特別な設定なのかもしれないが、それが逆に空振っているように感じる。つまり、JAZZであっても、全く『黒くない』『魂がない』って事だ。言うまでもなく、白いブルジョアジーのアドレナリンを上げる音楽に過ぎない。そして、その行末が近○相姦とは!?私には到底理解出来ない。また、この映画は古い価値観を残したまま新しい概念を解こうとしている。先ずはホ○と言う言葉が差別用語で有ることを知るべきだ。
LGBTが奇妙な行為で、近親○姦が純愛の様に何事もなく無事に終わる。その根拠が全く理解出来ない。
1953年と言えば、『ディエンビエンフーの戦い』を翌年に控えたフランスが仏印戦争に負ける時期。その後、二十年以上、ベトナムの人達は、相手は変わるが相変わらずの白人モラトリアムマザコン青年から、自分の家族や自身の命を守る為に戦う事になる。だから、残念ながら
この映画を決して評価出来ない。
このイタリア人の母親は綺麗と思えないが。そばかすだらけの赤毛。それもこの演出家の特別な設定なのだろうか?
この類の映画ならラウラ・アントネッリの『青い体験』の方が遥かに私に影響を与えた。また、ひょっとして、この映画がフランス映画を余り好まなくなった元凶かもしれない。絶対に両親の前で見れないと脱亜入欧だった私は感じた。
レア・マッサリの魅力 > タブー ?
マルの幼少期をモデルにしているみたいで
頭と体と心のバランスが悪かったであろうことは予想される
早熟で繊細で心雑音ありと判断されるローラン
(ブノワ・フェルー)の異性への関心の空回りみたいなものが、とんでもないことに
子供に惜しみない愛を注ぐ
イタリアの〈肝っ魂おっかあ〉の伝統みたいなものを
母親(レア・マッサリ)に感じた
しかし、異国で
(子供以外の)愛無しには生きられない… と
悲しみに沈む彼女の心根はとても弱く寂しいものだったのね
母親がフランス人であれば躊躇せず
愛人の元に走るイメージがあり
この物語が成立しなくなるかな(?)
子供達は皆、母親が好きで父親が嫌い(笑)
テーブルで目つきの悪いお兄ちゃんが
ずーっと父親を睨み続けているようなのが
可笑しかった
フランスのブルジョアの子供達が生意気で口が達者なのがわかる
この頃はまだ微笑ましいが
外交面でフランスが〈二枚舌〉とよく非難されているのも わかるような気が
ルイ・マルの”アマルコルド”
60年代後半の不振から抜け出たルイ・マル監督の半自伝青春映画。女の怖さを描いてきたマル監督が初めて優しい女性を描く。1954年の時代設定に主人公が14歳のマル自身のノスタルジーで、ルイ・マルの”アマルコルド”になっている。母の愛がタブーを越えてしまう物語でも、レア・マッサリのイタリア人母親の魅力ですんなり見てしまうことが、一番恐ろしい。フランス・ブルジョア家庭の悪ガキ映画の楽しさ。シチュエーションごとにある些細なユーモアも効いている。
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