原子怪獣現わるのレビュー・感想・評価
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灯台のシーン
内容からすると、怪獣ではなく恐竜という扱いか。
科学者でありヒロインである女性の『私は科学者を信じている』という言葉。軍人と科学者が核実験で呼び覚ました恐竜を、より強力な兵器を行使する事で乗り越えていける、という事なのだろうか。(実際には、殆どI love youという文脈での使われ方だとは思うのだが)
勇ましくも傲慢な考えではあるが、これがアメリカのパワーでもあるのだろう。燃え盛るジェットコースターを背景にしたラストシーンは、そんな社会への警鐘のようにも思える。
この辺り、本作を模倣したようにも見えるハリウッド版GODZILLAのテンプレ通りのラストシーンとの対比はとても興味深い。
ラストの遊園地から身悶えながら絶命し、そのまま終わるラストは色々と考えさせる見事な終わり方。だが何と言っても、灯台を破壊するシーンが特に見事だ。
云わずと知れたすべての原点。
レイ・ブラッドベリの原作の雰囲気を良く残した独特の雰囲気の作品。その重要なファクターをレイ・ハリーハウゼンの特撮が多く担っているのは言うまでもない。特撮ファン、怪獣ファンは必見の作品である。
第五福竜丸事件は1954年3月だから、原子力に対しての懸念は、まだ...
第五福竜丸事件は1954年3月だから、原子力に対しての懸念は、まだまだ今の様な次元ではない。だから、この映画での原子力の扱いは『恐竜を起こしてしまった』と言った影響に留めている。
従って『恐竜を倒して終わり』と言った単純な作りになっている。
一方『ゴジラ』では、原子力に対する懸念と『ゴジラ』をどう退治して、今後はどうするかまで追求している。もっとも、出した結果は間違っているが。つまり、第五福竜丸事件直後だったので、被爆国としての経験を『ゴジラ』と言う映画に反映せざるをえなかったのだと思う。
証明された訳では無いが、当時は恐竜は爬虫類の先祖と考えられていたと思う。従って、ゴジラも含めて、コモドドラゴンとかイグアナをモデルにしていると思う。
観たかった度○鑑賞後の満足度◎ 云わずと知れた『ゴジラ』の元ネタ映画。 怪獣映画ばかり観ていた子供の頃に観ていたら忘れられない一本になっていただろう。 冷静に観ている60過ぎの自分。年取るのはイヤね。
①現代の恐竜学から見ると突っ込みどころ満載だが、現代に作られている『ジュラシック・シリーズ』ですら突っ込みどころ満載なのだから、この時点(1953年)でこれだけの怪獣映画を作ったことを却って称賛するべきか。
②演出も退屈しない程度に快調。
如何にも水槽の中でタコと小さいサメとを闘わせていると丸分かりのシーンがやや延々と続くところを除けば、リドサウルスがニューヨークに現れるシーンの市民が逃げるモブシーンもかなり大掛かりで、B級映画としては結構本格的な腰の入れようである。
“私たち、仕方なくこんな馬鹿馬鹿しい映画を作ってるんですよ”という雰囲気がまるでなく、真面目な製作態度は大変よろしい。
③セシル・キャラウェイが出でいるし(古生物学者役)、ヒロインもB級映画にしては品のある美人と思ったら、ケーリー・グラントやロッド・テイラーの相手役もしたことがあるらしい(聞いたこともない映画だけど)。
他の助演陣もそれなりの映画に出ている人達だし、リー・ヴァン・クリーフ(端役だけど)も出ているとか、結構気合いを入れて作ったのかも。
④北極での核爆発で目覚める処は「大怪獣ガメラ」がパクっている。
⑤今見ると人間の勝手で目覚めさせられたのに人間社会に害を及ぼすからと退治されて可哀想。
冒頭の核実験のキノコ曇映像といい人間(アメリカ人)文明の驕りが垣間見得る(怪獣映画を其処まで深刻に見ることはないか)。
⑥リドサウルスが破壊しているのにそのジェットコースターに乗っていくのは如何なものか?という素朴な疑問を呈したいシーン(したもクライマックス)もあるが、一方リドサウルスの血を辿っていった隊員たちが具合が悪くなって倒れていく場面などは芸が細かくてよい。
二万尋からやって来た元祖大怪獣
北極で某国の水爆実験。
その影響で、冷凍冬眠から目覚めた。
氷の中二万尋から現れたは、怪獣王ゴジ…ではなく、
原子怪獣リドサウルス!
『ゴジラ』の前年1953年にハリウッドで製作され、後世の怪獣映画に多大な影響を与えた元祖怪獣映画。
すでに『キング・コング』は誕生していたが、怪獣映画を大きく二つに分けた際の一つを確立。
『キング・コング』は世界の神秘、秘境大冒険。人間の欲によって翻弄され、悲劇的な最期を迎える。後の『モスラ』はこちらのタイプ。
本作が確立したのは、人類の科学によって目覚めもしくは生まれ、人類文明を襲撃。科学への警鐘。そして、史上初の“核の影響によって生まれた怪獣”。
本作があったからこそ…
言うまでもなく、『ゴジラ』の原型。
核実験の影響で誕生したという設定、
有史以前の恐竜タイプの大怪獣、
基本的なストーリー展開も。目覚めた怪獣は船舶などを襲い、遂に大都市上陸。猛威を振るうも、兵器によって息の根を止められる…。
北極の氷の下からの目覚めや屈指の名シーンである灯台襲撃は『大怪獣ガメラ』へ影響。
偽りなく、王道怪獣映画の基が築き上げられた。
特撮はレイ・ハリーハウゼン。本作が本格的デビュー作。
リドサウルスの細かな動きはさすが。
ここからハリーハウゼン伝説が始まったかと思うと感慨深い。
円谷特撮を世界に知らしめた『ゴジラ』のように。その辺も似通っている。
怪獣映画の元祖という地位、特撮などは特筆すべき点だが、ドラマ部分は平凡。ツッコミ所多々。
怪獣は現れ暴れ、最後は人類の手によって倒されるに過ぎない。
『ゴジラ』のような突き付ける反核、反戦、科学へのメッセージ性、重厚なドラマ性、怪獣は恐ろしい存在ではあるが同時に悲劇的な存在でもある…。それらには乏しい。
が、リドサウルスの血液によって人間が倒れていく様は、『ゴジラ』の放射能汚染より恐怖感あり。
本作と『ゴジラ』は何かと比較され、指摘点にもなり、それは後々にも尾を引く。
アメリカにしてみれば、『ゴジラ』は本作のパクリ。
ハリーハウゼンも『ゴジラ』を盗作と非難。
東宝は否定。似通っているのは明らかだが、全部が全部同じじゃない。『ゴジラ』には『ゴジラ』のオリジナリティーがある。
日本では『ゴジラ』の後に公開された為、さほど人気は得られず。本作が『ゴジラ』のパクリと間違えられたりもしたとか。
エメリッヒは某巨大イグアナ映画を、本作のリメイクのつもりで撮ったと爆弾発言…。
どっちが先とか素晴らしいとか、いいとか悪いとか、人によってはそれが大事かもしれないが、個人的にはそういう問題じゃないのが持論。
『キング・コング』があって、本作があって、『ゴジラ』があって、怪獣映画という偉大なジャンルが誕生し、怪獣映画はどんどん進化。
今も、これからも受け継がれ、拡がっていく。作り続けられていく。来年は待望の日本ゴジラ最新作!!\(^^)/
先人たちが遺した遺産。
それら全てがレジェンドであり、元祖であり、“怪獣王”だ。
今作が無ければゴジラは無い
ゴジラ関連の書籍に載っていたので、気になって観てみたのですが、これが無ければゴジラはないなと思いました。まず核実験でレドザウルスが蘇り、次々と漁船を襲っていく。そして上陸し、街を破壊していくも、人類の新兵器?にたおされるというストーリー。完璧にゴジラです。ゴジラシリーズやガメラシリーズがお好きな方は、是非見ておくべきだと思います。
ゴジラファン、ガメラファンを自認するなら絶対に観ておかないとならない映画だ
1953年6月米国公開
独立プロの製作でワーナーが買い上げ公開したもの
日本では1954年12月に大映配給で公開された
何故大映なのか?
恐らくゴジラの大ヒットにあやかろうと急遽輸入したのだろう
同種の怪獣映画を作ろうにも大映には当時特撮のノウハウも無く直ぐには作りようもなかったからだ
大映が1949年に公開した特撮映画透明人間現わるは、実は円谷英二が戦時中に戦意高揚映画を撮ったかどで戦後GHQにより東宝から追放になり、大映で撮ったものだ
円谷英二が東宝に帰ってしまえば、大映にはスタッフの見よう見まねのノウハウしか残されてなかったのだ
大映が怪獣映画を自社で製作できるのは、1965年の大怪獣ガメラの公開まで実に10年もかかるのだ
原水爆実験で古代の巨大生物が目覚めて、都会を襲撃する
もちろんゴジラと全く同じモチーフだ
ではゴジラは本作の真似だったのだろうか?
ゴジラの公開は1954年11月3日だ
同年3月1日の第五福竜丸被曝事件が直接のゴジラの企画の出発点であるという
この時点でのゴジラの企画仮題は、「海底二万哩(マイル)から来た大怪獣」だった
ウォルトディズニーの海底二万哩は、1954年12月米国公開、日本公開は1955年12月なのだから、時系列でみて後であり内容からも一切関係ない
そして本作の原題は、The Beast from 20,000 Fathomsなのだ
つまりゴジラは本作を元ネタとしているのは確実だ
当時は海外との合作映画の製作が盛んになり始めた頃だ
恐らく田中友幸プロデューサーが輸入作品のサンプル試写を観ていたのではないだろうか?
かといってゴジラが映画のイノベーションで有ることを貶めることにはならないと思う
むしろ世界的な核兵器への恐怖の高まりが、時を同じくして日米で同様のモチーフで映画を作らせたと考えるべきだ
円谷英二がクジラの怪物が東京を襲うとい映画の企画を東宝に提出したのは1952年5月のことなのだから、本作よりも2年も前のことなのだ
本作は超有名なSF作家レイ・ブラッドベリが新聞に掲載した短編小説『霧笛』が原作とされている
しかし本当のところはプロデューサーが製作を始めた途中で、同種の話の新聞小説があることを知り原作権を買い上げたのだという
原作は灯台の鳴らす霧笛を仲間と思って怪獣が近寄ってくるのを、灯台守の大人と子供の二人が目撃するという短いお話
本作にも灯台のシーンはでてくるが破壊されてしまう
ガメラの第一作で、灯台と子供が登場するのも、本作から由来するものだろう
また、博士が潜水ポッドで深海を探り、その目で怪獣を確認するシーンは、続編というべき怪獣ゴルゴでも繰り返される
そして1971年のガメラ対深海怪獣ジグラに登場する潜水ポッドも実は本作から由来していたのだ
怪獣が何故ニューヨークを襲撃するのか?
これはもちろん総ての怪獣映画の始祖キングコングに由来している
怪獣は大都会で暴れなくてはならないのだ
本作では見せ物で連れて来られたのではなく、海流に乗って段々と北から南に移動して来るためと説明される
ニューヨーク沖で怪獣と同種の化石が発見されており、古代にその怪獣が生息していたところなのでニューヨークに向かっているのではという設定
南洋のゴジラがなぜ東京に出現するのか?
ゴジラ映画では説明は何もないが、これも本作が由来だからと言える
もしかしたらゴジラも同じ理由で黒潮に乗って東京湾口までやって来るのかも知れない
怪獣はイグアナ的な形態をしており、それが超有名な特撮マンであるレイ・ハリーハウゼンによるモデルアニメーションで動く
動きは滑らかで流石だ
特にクライマックスのコニーアイランド遊園地での最終決戦のダイナメーションによる合成は目を見張る
怪獣が初めて出現するのは南洋ではなく、北極圏の氷原での核実験場
ガメラシリーズ第一作の大怪獣ガメラで、ガメラが初登場するのも北極での核爆発が発端になっている
これは本作のこの出現シーンに由来していたのかも知れない
さらに、ゴジラの逆襲でゴジラが氷山に埋もれてしまう結末も本作からの由来だったのでは無いだろうか
大きさはゴジラの半分程度ぐらいか
だからニューヨークに上陸しても建物の破壊も大して無いし、口から放射能を吐かないから大火災にもならない
それでも人々は逃げ惑い、警察や州兵が出動する
武器はせいぜい小火器で血が飛び散りはするが大した効果はない
しかもその血から怪獣と共に蘇ったレトロウイルスの感染で兵士達が倒れだし、大砲など大型火器で攻撃するとウイルスが広範囲に飛び散るので使え無くなってしまう
2020年4月2日現在ニューヨークはコロナウイルスの猛威によりロックダウンされてしまっている
ウイルスの設定は現在の私達にとっては身を乗り出して観てしまう
ともかく怪獣が通常兵器では歯がたたないという設定は本作のこの設定から由来していたのだ
もしかしたらシン・ゴジラの残留放射能の設定は本作のレトロウイルスに由来していたのかも知れない
そして怪獣は結局人間に倒されてしまう
それも核の力で蘇った怪獣は核の力で倒されるという結末だ
ゴジラではオキシジェンデストロイヤーという革新的兵器で倒される
核は核の力で制するのが米国映画の本作であり
核は核以外のもので制したいとするのが日本のゴジラであったといえるかもしれない
この構図はなんとシン・ゴジラまで続いているのだ
ヤシオリ作戦とは、本作の結末のオマージュだったのかも知れない
シン・ゴジラはこうして考えてみると、実に良く本作をリスペクトしていることが見えてくるのだ
ゴジラファン、ガメラファンを自認するなら絶対に観ておかないとならない映画だ
原子でなく原始怪獣
田中友幸にゴジラ製作の着想を与えた映画として怪獣フリークの間では有名な作品。プロット的に似た部分もあるがコンセプトは全く別物と言ってよいだろう。
北極の核実験で氷に埋まり冬眠状態だった恐竜が目覚め、帰巣本能で海流に乗り、船を襲ったり灯台を破壊したりしながら、かっての生息地だったニューヨーク沖に戻ってくるという設定。
実験場で怪獣の起こした雪崩で九死に一生を得た核物理学者トム・ネスピット博士のモンスター目撃談を誰も真に受けずショックでの精神錯乱と決めつけられる、憤懣やるかたない博士は古生物学の権威エルスン教授に助け船を求めますがとりあってもらえません、美人助手のリー・ハンターは氷漬けのマンモスの発見例もあることから興味を持ちます、彼女の助けから怪獣はレドザウルスの亜種と推定されます。レドザウルスは特撮のレイ・ハリーハウゼンの造形でT-REX似ですが尻尾を挙げて歩くのを嫌い引きずる4足歩行としたそうです、低予算から1体を使いまわした駒撮りと実写のフィルム合成です。キングコングフリークならではのお約束でニューヨークで大暴れ(電車を襲うのはゴジラの方だけです)、さすがにバズーカ砲にはまいったようですがあっさり殺られては盛り上がらないので血液が人に免疫のない古代のレトロ・ウィルスに汚染されているこじつけでとどめをさせません。幕引きは原作者のレイ・ブラッドベリが怪獣の骨組みのようだと称したコニーアイランドの遊園地のジェットコースター場、劣化ウラン弾のようなものを撃ち込まれもがきながら息絶えてしまいます。核実験は出てきますがゴジラのような放射能怪獣ではありませんし火器で退治可能、顔は怖いですが躯体は太めの短足で迫力もゴジラの比ではありません。初代ゴジラのアメリカ版では反核思想を嫌ってアメリカ人記者の体験談風に改ざんされたくらいですから反核のようなメッセージ性も無く純粋な怪獣娯楽映画です、秀逸な起承転結、プロットは以降の怪獣映画に多大な影響を与えたことは間違いないでしょう。
怪獣王の元ネタ…だけじゃない!
DVDで鑑賞(字幕)。
ゴジラ・シリーズ第1作の元ネタになった作品であり、本作が無ければ世界に誇る怪獣王は誕生していなかったのだと考えると、非常に感慨深いものがあるな、と…
日本では「ゴジラ」の公開後に上映されたらしく、本作の方が真似をしていると勘違いした人が多かったそうな…
原水爆実験により蘇った恐竜がニューヨークを襲撃し、人類が開発した秘密兵器によって息の根を止められる。…
ストーリー・ラインはゴジラ1作目とほぼ同じ。
しかし、同作には無かった設定として、リドサウルスの血には多量の放射能が含まれていると云うものがありました。
アメリカ軍の攻撃により出血し、その血が放つ多量の放射能の影響によって、逃げ遅れた人々が瞬時にバタバタ倒れていく描写はかなりショッキングなものでした…
ストップモーションを使ったリドサウルスの特撮は、レイ・ハリーハウゼンの堅実かつ工夫に溢れた演出が光っていて迫力がありました。暗闇の中、灯台を破壊するシーンが好き…
ゴジラ1作目との決定的な違いは、反核の要素が殆ど無いことです。原水爆実験は、あくまでもリドサウルスが出現する要因にしか過ぎません(記憶が曖昧ですが、劇中ではどこの国が行った実験かははっきりと明言されていなかったような…)。
二度の原爆投下。死の灰を浴びた第五福竜丸。…
戦争と水爆の記憶の生々しい日本だからこそ、同じような作品であったとしても、全くタイプとテーマの異なる怪獣映画になったのかもしれないと思いました。
※修正(2022/11/12)
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