激突!のレビュー・感想・評価
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スピルバーグの持ち味「執着」は既にここから。
⚪︎作品全体
スピルバーグ監督作品を観ていると、「執着」が印象に残る。人の命を奪うことに執着する『ジョーズ』、主人公を追い続ける刑事が登場する『キャッチミーイフユーキャン』、映画への情熱へに執着する『フェイブルマンズ』…半世紀近く映画を作り続けるスピルバーグ監督だが、どの時代の作品においても、「執着」は存在する。
もちろん、「執着」は物語のうえでほぼ必須と言って良いエッセンスだが、スピルバーグ作品にはより強くそれがあるような気がする。
映画初監督作品である本作は、その結晶のようにほぼ「執着」だけで構成されている。
追われる主人公、追うトラックドライバー。常人なら執着をやめるタイミングは山ほどあるが、それをせずに追い続ける。
たったそれだけなのに息を呑む90分近いフィルムに仕立て上げているところに、「執着」への執着があった。
カメラワークが単調になりそうな作品だが、その点も巧く工夫されている。冒頭の車の定位置に取り付けられた固定カメラの演出、粉塵によるスピードの演出、バックミラーを使った臨場感ある逼迫の演出。序盤のガソリンスタンドで妻へ電話するシーンは、特に意味はないが洗濯機の扉越しに主人公を映していたりして、カメラワークのアイデアに若さを感じる。
少し冗長な部分もあったが、シンプルなカーアクションの緊張感を保つことができたのは、やはり「執着」の力だろう。
⚪︎カメラワークとか
・ラストカットかっこよかった。夕景と逆光のシルエット、フレアによるフレーム内フレーム。
⚪︎その他
・主人公が間違って違う人に突っかかったりするところはもう少し考えろよ…と思わなくもないけど、主人公も相手を攻撃する火を宿した瞬間にもなっていた。
常識人たる主人公がトラックドライバーを仕留めると決意するまでの過程は、セリフでなく、カーチェイスの熱量で語っていたような気がした。
・ところどころ流れるラジオの音とか妻という登場人物とか、なんかそこらへんトラックドライバーを仕留める伏線にするのかなと思ったけど、そんなことはなく人気のない場所で結局車を燃やしちゃったのは、ちょっと拍子抜けではあった。
政府や警察はいつも正しいのか
嘗て我々が「鬼畜米英」と教えられたように、ナチス支配下のドイツ人にとってユダヤは悪だった。
ホロコーストはまさに、登録、識別、移送のシステムによって可能になった、制度的な人種差別だったのだ。そして、今日マイナンバーカードなど同じシステムであり、アメリカが管理しているシステムであり、アメリカとは本来そう言う国であるにもかかわらず、日本人の誰もがその事実に触れようとせず、盲目に信じ続ける様は見ていて恐ろしいとしか言いようがない。
スピルバーグはユダヤ人であり、差別を体験し、其の理不尽さは此の作品にも生かされている。
トラックは直接的な分かりやすい恐怖に過ぎず、寧ろ、トラックのフロントに何枚ものナンバープレートが飾られていて、此の犯罪が常態化されて来たのだということがわかる。
それ以上に恐ろしいのは、ウェイターや周りの人々であり、何よりも恐ろしいのは山々の風景でして、デイビット・マンが死に物狂いで殺戮から逃れようとしているのに、のどかに洗濯物を干している人々のギャップは途轍もなく恐ろしい光景でして、これぞ社会の縮図なのだと思い知らされます(;^_^A
ある日突然制度が変わっていて、仕事で忙しいデイビット・マンだけが何も知らずに逃げ回る様は恐ろしい現実として解釈しております。
4K Ultra HDで自宅で大スクリーンで鑑賞いたしました、この作品は間違いなく映画館で観るべき衝撃作です!
「制約が創造を生む」という逆説を最も鮮明に示した作品
スティーヴン・スピルバーグの『激突!』(Duel)は、映画史において「制約が創造を生む」という逆説を最も鮮明に示した作品である。1971年、わずか26歳のスピルバーグが監督したこのテレビ映画は、十数日の短期間撮影、潤沢とは程遠い予算、そして実質的に一人芝居に近いほど少ない出演者という三重苦に見舞われていた。しかし、こうした環境が作品を貧弱にしたどころか、むしろ映画を映画たらしめる根源的な要素を純化し、観客を深い恐怖と緊張の只中へと導く結果となった。
制約の美学——少なさが濃縮する映画的本質
『激突!』における最大の特徴は、物語構造が極限まで簡潔化されていることである。主人公は一介のセールスマン、敵は顔を見せぬトレーラーの運転手。舞台は延々と続くカリフォルニアの道路であり、ほとんどの時間は車中の出来事に収斂する。これ以上削ぎ落とすことは不可能と思えるほどの単純さである。だが、この単純さは欠落を意味しない。むしろそれは、観客の想像力を極限まで刺激する「余白」として機能し、恐怖の純度を高めている。
例えば、トレーラー運転手の姿が最後まで露わにされないという演出は、低予算ゆえにキャラクター造形に手間をかけられなかった結果に見える。しかし、その匿名性こそが、個別の怨恨や性格描写を超えた「機械化された脅威」を象徴する効果を生んでいる。つまり、制約は単なる不便ではなく、必然として映画のテーマ性を増幅したのである。
音響デザイン——「言葉なき声」としての機械音
本作において観客を最も強く圧迫するのは、視覚的な暴力ではなく聴覚的な圧力である。トレーラーのエンジン音、クラクション、タイヤの摩擦音が繰り返し鳴り響き、それが「声なき声」として観客に迫る。人間の台詞よりも機械音が支配的である点は極めて示唆的であり、ここにスピルバーグの独自の音響感覚がすでに芽吹いている。
特に印象的なのは、主人公マンが一時的に車を停め、道路脇で落ち着こうとする場面である。静寂の中で微かに響くエンジン音が、観客に「まだ終わっていない」という緊張を刻み込む。ここで用いられる音のミニマリズムは、単なる効果音の活用に留まらず、機械そのものを「登場人物」として成立させる試みと見ることができる。言い換えれば、『激突!』においては機械が発する音響が、人間の言語を凌駕する表現の中心となっているのだ。
撮影技法——車載カメラと空間の閉塞感
スピルバーグは撮影技法においても制約を逆手に取る。車載カメラを多用し、観客を徹底して主人公の視点に縛り付けることで、常に「追われている」感覚を増幅させる。バックミラー越しに迫るトレーラーの映像は、空間的な距離を曖昧にし、観客の心理をじわじわと蝕む。
また、長回しによる道路風景の単調さと、カットバックによる急激な視覚の切断を組み合わせることで、逃げ場のない状況が強調される。道路は限りなく広がっているのに、主人公は出口を見いだせない。これは「空間の単調さ」を逆手に取った演出であり、制約がむしろ強烈な閉塞感を創り出す一因となっている。
寓意としての『激突!』——機械化社会と匿名の脅威
『激突!』は表層的にはスリラーでありながら、寓意的な解釈を誘発する構造を有している。顔を見せない運転手は、匿名的な暴力、すなわち現代社会における巨大なシステムを象徴していると考えられる。個人の意思や性格を超えた「名もなき敵」が、合理性も目的も見えぬまま執拗に追い迫る姿は、資本主義的機械文明の圧力そのものだ。
主人公マンは、平凡なサラリーマンという設定である。彼が象徴するのは、社会に組み込まれた「小さな個人」である。その個人が、匿名の巨大なトレーラーに追い詰められる図式は、そのまま現代人の存在論的不安を映し出す。観客はマンを通して、機械化社会における孤独な自己の姿を目撃することになる。
ラストシーン——虚無としての勝利
物語は、トレーラーが崖下に転落し、炎と煙を上げる場面で終わる。マンはその破壊を見届けるが、そこにカタルシスは希薄である。勝利は確かに訪れたが、それは決して安堵や解放を意味しない。むしろ、炎の後に残るのは虚無であり、孤独である。
この余韻は重要である。スピルバーグは観客に「敵を倒して終わり」という安易な解決を与えない。むしろ、機械文明の脅威は依然として彼の外に存在し、いつでも再び現れる可能性がある。ここに『激突!』の寓意的厚みが宿っている。
具体的シーン分析
特に印象深いのは、ドライブインでのエピソードである。マンが食堂で休息を取る場面、彼は周囲の客たちを観察し、その中の誰かが運転手なのではないかと疑念に苛まれる。この「誰でもあり得る」構図は、匿名的脅威の本質を如実に描き出している。脅威は一個の人格ではなく、社会全体に潜む無名性そのものなのである。
また、学校バスの場面も象徴的である。マンはバスを押して子供たちを救おうとするが、トレーラーが現れてその善意を踏みにじる。ここで示されるのは、個人の善意や努力が匿名の機械的暴力によって無意味化される構造であり、文明批評としての含意をより強く観客に印象づける。
1970年代アメリカ社会との関連
『激突!』が制作された1970年代初頭、アメリカ社会は大きな不安と緊張に包まれていた。ベトナム戦争の泥沼化、ウォーターゲート事件に象徴される政治不信、急速に拡大する自動車社会と交通事故の増加。これらの状況は、無名の脅威に対する国民の不安を強めていた。
トレーラーという巨大な車両は、アメリカの自動車文明そのものの象徴である。その匿名的暴走は、制御不能に肥大化する技術文明への恐怖を映し出している。また、マンという「小市民的サラリーマン」の姿は、戦後アメリカの中産階級が抱えた不安の投影でもある。すなわち『激突!』は、1970年代アメリカ社会の心理的状況を象徴的に映し出したフィルムであり、その時代精神と深く共鳴しているのだ。
後年のスピルバーグ作品への影響
『激突!』で用いられた手法は、その後のスピルバーグ作品において繰り返し応用される。『ジョーズ』ではサメを完全には見せず、音と断片的な映像で恐怖を喚起する。同様に『ジュラシック・パーク』においても、恐竜は最初から全面的には姿を現さず、影や足跡、咆哮によって存在感を示す。この「見せない演出」は『激突!』で完成されていたといえる。制約から生まれた技法が、巨額予算の大作においてもなお核心を占めることは、映画における本質的魅力がシンプルな「恐怖と想像力の連鎖」に宿ることを雄弁に物語っている。
総括——制約が創造を駆動する
『激突!』は低予算、短期間、少人数という制約のもとで、映画の本質を凝縮して提示した作品である。音響と映像の最小限の組み合わせによって心理的恐怖を生み出し、匿名性と空間の単調さを逆手にとることで普遍的寓意を獲得した。さらに、それは1970年代アメリカ社会の不安と直結し、現代文明批評としての意義をも帯びている。
制約が創造を駆動し、むしろ美学的必然を生み出すことを証明した点において、『激突!』はスピルバーグの出発点であるだけでなく、映画史的に見ても永遠の参照点である。制約の中にこそ映画の核心が潜むことを、これほど雄弁に示した作品は稀であろう。観客はこの小さなテレビ映画を通じて、映画という装置の本質、すなわち「人間の想像力を媒介として恐怖と寓意を創出する力」を再発見するのである。
ザ・煽り運転!!
25歳の天才監督の作る映画の世界
天才監督が手掛ける、元祖“煽り運転”
0049 スタープラチナでなかったら吹っ飛んでたぜ
1973年公開
いたってシンプルな出来事をサスペンスフルに描き切った
スピルバーグの痛快な一品。
トラックはジョーズである!との指摘も納得。
デニス・ウィーバーはコロンボの流れで頭に入ってしまった
警部様。
そういやコロンボのパイロット版を除いた第一作「構想の死角」
もスピルバーグでしたね。
70点
初テレビ鑑賞 1975年1月5日『日曜洋画劇場』
スピルバーグの真髄を見たくて
元祖『アオラレ』?なんにも悪いことしてないのに。車種調ベがあっけなさすぎました。
もはや、スリラーの古典、金字塔とも言えるこの作品を駄文で感想を述べてみようと思った次第です。
アマプラで課金してまで。
この映画を語る上でまずやったことと言えばね、車種調べだったです。
相変わらず論点がズレてる鑑賞方法です。
主人公・デビッドの乗る赤いセダンはクライスラー・プリマス・バリアントだってことはわかったの。
ボンネットのエンブレムから辿ると、案外あっさりとわかったの。Wikipediaにも書かれていたし。
もう一方の主役の悪魔のタンクローリーも案外あっさりとわかりました。こちらもWikipediaに記載がありましたね。ピータービルト281。全くもって拍子抜け。面白くない。
ついでに調べるとね、この劇中で使われたタンクローリーって、後にオークションで競売にかけられたんだって。
4万4000ドル(約392万円)からスタートしたらしいんですが、相場よりもお値段高いということもあって、落札には至らなかったんだって。米国人、財布のひもが案外固い。
んなこたぁどーだっていいんですが。細かなことが気になるのが私の悪い癖。
もといです。レビューを書きます。
まずなんたって、悪魔の運転手の顔が一切現れなかったのが、恐怖感をより増幅させたことは間違いないの。
第二の主役は、悪魔の運転手ではなく、あくまでもタンクローリー本体だったです。
そしてね、その悪魔の運転手の真意がまるでわからないのが怖かったの。さも、タンクローリー本体が意志(殺意)持っているかのごとく描かれていて。
『アオラレ』みたくクラクション鳴らして追い抜いたわけでもなく。ごくふつーに追い抜いただけなのに、なぜあそこまで執拗に付け狙ったのかがまるで???なのが怖かったです。
それらは私如きが書くまでもなく、語り尽くされていることと思うのですが。
本当に怖い映画の特徴は、5W1Hの中で最も肝心なWho・What・Whyの情報が完全にシャットアウトされていること。要するに謎ばかり。
これ、私がたびたび例に挙げるんですが。『ゾンビ』のように、意味も原因も、全く不明なまま起こるスリラーに共通することなんですよね。本作もその例に漏れず。
あそこまで悪の限りを尽くした敵ですからね。ラストはすっきり「ザマぁ」ってなったの。
今どきの映画にありがちな「まだ終わってませんよー」「続きがありますよー」みたいな蛇足もなく、すっきりとお話が完結しているところがよかったです。
ただね、タイトルが惜しいかなぁ。『激突!』じゃなくて原題の『Duel』=『決闘』の方がしっくりきたかなぁ。激突ってほどぶつかり合ってなかったし。
謎だったのがね、そのタンクローリー。“FLAMMABLE”(可燃物)って書かれていたのに、崖から転落しても爆発しなかったこと。予算の問題だったのかな?それとも、あれだけ鈍重な車体をスピーディーに動かす設定として、タンクは空だったってことなのかな?
【余計な話】
もひとつ?だったのがね、公衆電話のかけ方。ダイヤルひとつで、すぐにどこかのコールセンターに繋がったじゃないですか。
そして電話番号。「そちらの電話は?」と訊ねられて4桁で答えたんですね。
当時の米国って公衆電話そんなに少なかったの?
追い越し禁止‼️煽り運転禁止‼️
一人の営業マンがドライブ中、何気なくタンクローリー車を追い越したため、怒りを買い、彼の車は執拗なタンクローリーの追尾を受けてしまう・・・‼️当時25歳のスピルバーグ監督が大型タンクローリーをホラー・キャラクターにして、どこまでも追われる恐怖をとことん描き出した傑作ですね‼️
◎ノロノロ運転を続けるので追い越すと、クラクションを高々と鳴らし追い越しをかけ、さらにノロノロ運転を続け、走行の妨げを喰らう‼️
◎手で合図されたので追い越そうとすると、対向車と事故りそうになる‼️
◎猛スピードとクラクションで迫られ、強烈な煽り運転を喰らう‼️
◎立ち寄ったレストランの客の中に、タンクローリーの運転手がいると思い込む心理描写‼️
◎タンクローリーがエンストで動かないスクールバスには紳士的に振る舞うブラックユーモア‼️
◎タンクローリーが暗いトンネルの入り口でヘッドライトを眼玉みたいに光らせて待ち受けているシーン‼️ショック演出の手本‼️
◎踏み切りで止まっていると、後ろからタンクローリーに押され、列車に衝突しそうになるシーン‼️
◎主人公がガソリンスタンドで電話をかけていると、タンクローリーが突っ込み全てを破壊するシーン‼️
◎時間稼ぎをしてタンクローリーを振り払ったと思ったら、待ち伏せを喰らうシーン‼️
◎ラジエーター・ホースの故障‼️
◎ラストの一対一の決闘‼️
全編緊張の緩むところが無く、まさにノン・ストップのサスペンス・アクション‼️タンクローリーの運転手が終始顔を見せずに不安を煽ったことで面白さが倍増してますよ、絶対‼️もうタンクローリー自体が怪物に見えてくるし、タンクローリーの正面が人間の顔にも見えてくる‼️運転手も手だけ見せるんですが、その手がまたミョーに優しい手‼️そして秀逸なのは、タンクローリーの最期の描写‼️ふつうタンクローリーが崖から転落すると、爆発して大炎上する派手な見せ場になるのに、まず恐竜の雄叫びのような音を出して落ちていき、車輪をクルクルと空回りさせながら後ろのパイプからポトポト油を落とし、やがてその車輪がゆーっくり停止する‼️まるで人間の臨終みたいな静寂した演出で魅せるスピルバーグ監督はやっぱり天才‼️スピルバーグ監督のサスペンス演出は、この「激突」と「ジョーズ」が二大看板ですね‼️「ジュラシック・パーク」は全然ダメ、この二作に比べると‼️
見えない物を見えないまま
タイトルなし(ネタバレ)
初見ではないが、ある理由で字幕無しで見た。と言うより、英語の字幕すら無かった。ても、分かった。
マクロード警部大変ですね。
何処かの映画館で、封切りで見た記憶があるが、初見は日曜洋画劇場だったかもしれない。単純な話だけに、よく覚えている。あまり怖くはないし、閉塞感や緊張感は無いが。兎に角、
50年ぶりかなぁ。
巨匠スティーブン・スピルバーグ監督の出世作
スピルバーグさんが25歳の時に撮ったTV映画、日本では劇場で公開されました
スピルバーグさんは本作で注目され、次作の「続・激突! カージャック」で劇場用長編映画の監督としてデビューすることになります
何気に追い抜いたメチャクチャ遅いトレーラーから執拗に追い回されることになった会社員の男の命がけの逃走劇
トレーラーの運転手は最後まで手や足しか映らず正体不明な所や作品の持つ世界観そのものから、昔TVドラマであったロッド・サーリングさんの「ミステリー・ゾーン」やアルフレッド・ヒッチコック監督の「ヒッチコック劇場」、そして日本でも今でも定期的に放送される「世にも奇妙な物語」の1エピソードとしてありそうな話です
トレーラーが恐怖のメタファーとして表現されており、目玉の様な大きな丸いヘッドライトと長い車体全体が埃で煤けたクラシックスタイルの車両は怪物を連想させます
その怪物が主人公の乗る赤のプリモス・ヴァリアントをものすごい勢いで追い回し、広大なアメリカの荒野を貫く一本道をバックに疾走する映像はド迫力
登場人物も非常に少なく、たったこれだけの内容で1時間半ハラハラドキドキさせ観るものを飽きさせないスピルバーグ監督の手腕、さすがです
敵は人ではなくトラック
この映画の1番面白いところは、やはり敵をトラックとして描いているところだ。少しネタバレになってしまうかもしれないが、この映画は最後までトラック運転手の顔が明かされない。つまり主人公は犯人の顔が分からないままずっと命を狙われるということである。
そして、この映画はトラックが人を○そうとするシーンで終始映画が終わる。でも、全く飽きない。つまり、スピルバーグ監督の見せ方にも味が出ているということである。その点についても評価できる。
午後ロード
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