撃墜王 アフリカの星

解説

第二次大戦のアフリカ戦線で“アフリカの星”と呼ばれたハンス・ヨアヒム・マルセイユの生涯を描く反戦メロドラマ。脚本は「鉄条網」などのヘルベルト・ライネッカーで、「誰が祖国を売ったか!」のアルフレッド・ワイデンマンが監督した。撮影は「最後の戦線」のヘルムート・アシュレイ。音楽は「橋」のハンス・マルティン・マイエフスキー。出演は「最後の戦線」のヨアヒム・ハンセン、「パリの狐」のマリアンネ・コッホ、「鮫と小魚」のハンスイョルグ・フェルミーら。製作エルウィン・ギット。

1957年製作/ドイツ
原題または英題:Der Stern von Afrika

ストーリー

1939年夏。ドイツ空軍士官学校の生徒たちは青空を飛び廻って青春をエンジョイしていた。なかでもハンス・ヨアヒム・マルセイユ(ヨアヒム・ハンセン)は規律無視の常習犯だった。間もなく、ヨーロッパは戦火につつまれ、マルセイユはアフリカ戦線出動を命じられた。明けてもくれても英軍のスピットファイアーとの空中戦が続く日々がやってきた。愛機のメッサーシュミットを駆って活躍する彼は、たちまち撃墜王として敵から恐れられる存在となった。ある日、ドイツ本国から新しくやってきた飛行士が、砂漠に機を墜落させ、マルセイユの腕の中で死んだ。目の前に僚友の死をみた彼は、はじめて死というものの意味を知った。彼が撃墜した敵機の数は、そのまま彼が殺した人の数でもあったのである。少尉に任官した彼はベルリンによびもどされ、“空の英雄”として全ドイツからたたえられた。母校の小学校に講演に行った彼は、そこでブリギッテ(マリアンネ・コッホ)という美しい女教師と知りあった。続いてムッソリーニに招かれローマに出発する彼は、ブリギッテを車中に同伴した。ひと目で愛し合った彼等はもう別れられなかったのである。ローマで身を隠した二人は小さな宿屋にひそんで幸福に酔った。だが、マルセイユの僚友フランケにさがし出された二人は、別れねばならなかった。アフリカでは絶望的な戦いが続いていた。撃墜機数158機に達したマルセイユは、「アフリカの星」と賞賛された。しかし、彼にも運命の日がやってきた。出撃した機が故障し、失速して落下する愛機から脱出しようとした彼のパラシュートは開かなかった。戦い、恋し、悩んだ22歳のドイツ青年の命は砂漠の夕陽の中に散った。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

2.0アフリカの星のボレロ

2022年4月2日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

我が父のDVDコレクションから。
小学6年生の時、旧国営放送のラジオ番組に『アフリカの星のボレロ』をリクエストして流して貰った事がある。映画を初めて見たのは、VHSで30年くらい前。面白くなかった。親父はこの映画が凄く好きで、後日、DVDを買ったらしい。
『日本と違ってドイツは余裕で戦争してたんだぞ』って言っていた。改めて見て、笑えた。『コンバット』見ても、ドイツ軍を親父は応援していた。幼い僕は影響を受けて、サンダース軍曹があまり好きではなかった。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
マサシ