ゲームの規則

劇場公開日:

解説

狩りに集まった上流階級の恋愛遊戯を描く社会風刺劇。ミュッセの戯曲『マリアンヌの気まぐれ』に想を得て、ジャン・ルノワール監督自身が脚本を執筆している。撮影はルノワール映画常連のジャン・バシュレ、音楽はロジェ・デゾルミエール、美術はのちに米英で監督になるユージーン・ローリー、衣裳はココ・シャネルが担当。出演はマルセル・ダリオ、ノラ・グレゴール、ローラン・トゥータン、ジャン・ルノワール、ガストン・モドなど。

1939年製作/106分/フランス
原題:La Regle du Jeu
配給:フランス映画社
劇場公開日:1982年9月25日

ストーリー

ブールジェ飛行場に到着した飛行家アンドレ・ジュリユー(ローラン・トゥータン)は、熱狂した群衆に迎えられた。彼は大西洋を23時間で横断したのだ。しかし、彼は差し出されたマイクに「自分がこの冒険に挑んだのはある女性のためだったが、その彼女が出迎えに来ていない」と不満を表明した。その女性、ラ・シェネイ候爵夫人クリスチーヌ(N・グレゴール)は、パリの邸で小間使いのリゼット(ポーレット・デュボー)に着替えを手伝わせながら、そのラジオ放送を聞いていた。夫のロベール(マルセル・ダリオ)を含め、二人の仲は社交界で周知の事実なのだ。ロベールもまた、愛人ジュヌビエーブ(ミラ・パレリー)と秘かに関係を続けていた。アンドレの親友であり、クリスチーヌの相談相手でもあるオクターブ(ジャン・ルノワール)は、クリスチーヌに働きかけ、ラ・シュネイ家の領地コリニエールで催される狩猟の集いにアンドレを招待させる。コリニエールの密猟監視人シュマシェール(ガストン・モド)は妻のリゼツトと別居しているのが不満の種だが、ある日、密猟人のマルソー(ジュリアン・カレット)をつかまえる。そこに通りかかったロベールは、マルソーが気に入り使用人としてやとうことにした。狩猟の日、ジュヌビエーブと別れることにしたロベールは彼女と別れのキスを交す。それを偶然に目撃したクリスチーヌの目には、密会のようにうつった。翌日、クリスチーヌは彼女に愛を打ち明けるサン=オーバン(ピエール・ナイ)と姿を消し、アンドレはサン=オーバンを殴る。台所ではマルソーがリゼットを口説いているのをみて、シュマシェールが追いかけまわす。候爵はクリスチーヌとアンドレが抱き合っているのを見つけ、アンドレを殴り倒した。大混乱のあと、平静を取りもどしたロベールはアンドレと和解し、騒ぎをおこしたシュマシェールとマルソーを解雇した。解雇された二人が庭で話しあっていると、ベランダにオクターブとリゼットの姿が見えた。実はそれはリゼットのマントをはおったクリスチーヌだった。クリスチーヌはオクターブに、自分が本当に愛しているのは貴方だと打ちあけた。二人は一緒に逃げる約束をし、オクターブはコートを取りにもどる。しかし、リゼットにたしなめられ、アンドレに出くわしたオクターブはコートを彼に渡した。嫉妬にかられたシュマシェールの銃が火を吹き、アンドレはその場で息絶えた。ロベールは、この事件を、仕事熱心な密猟監視人が職務に忠実なあまり起した事故として処埋。お客も何事もなかったかのように、それぞれの部屋に引き返すのだった。

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映画レビュー

3.5よくできた、馬鹿馬鹿しい映画

2024年3月10日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

貴族の家でごちゃこちゃが繰り広げられ、思わぬ結末で幕を閉じる。コメディタッチの賑やかな映画。

が、見ていてうんざりしてきた。主な登場人物たちすべてが身勝手だったり気まぐれだったりで子供っぽい。先生や親のいないところでの幼稚園児のケンカを見ているような気分だ。何故わざわざそんなものを見なくちゃいけないの…。

しかし、全体にかなり上手くまとまっており、凝った作りだったとは思う。それぞれのイキイキした演技、風貌の面白さ。いろんな人が上手く組み込まれていたと思う。

クリスチーヌの夫は少しまともにみえた。誰かを責めずに騒ぎを収めたあのやり方は、洗練の極みと思えた。さいごの挨拶では、映画の観客のわたしたちにも、『皆さま、お目汚し失礼いたしました。わたくし共の実態は恥ずかしながらこのようなものでございます』と挨拶しているかのように思えた。

風刺映画ということなら、見ていてバカバカしく感じたのもしかたないか…。

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あまおと

3.0誰か教えて!

2022年6月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

2022年6月25日
映画 #ゲームの規則 (1939年)鑑賞

#ジャン・ルノワール 監督の古典的作品

#映画批評空間 が3.9点(89件)
#Filmarks が3.8点
#Yahoo映画 が3.5点(80件)
#映画ドットコム が3.4点(9件)
#KINENOTE が70.6点(169件)

理解できなかった(T_T)

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とし

5.0完全無欠とはこの映画の事を指す!

Kさん
2022年3月28日
Androidアプリから投稿

ジャン・ルノワール監督による世紀の大傑作。
大戦前夜の上流社会をドラマチックに、しかし、その存在自体を嘲笑うかのように描いており、悲劇と喜劇がすばらしい配合で滲み出ている。

これはチャップリンの映画と少し似ており、恐らく彼の黄金期の芸術(「巴里の女性」、「街の灯」など)に唯一匹敵しうる作品である。

飛行士が思いを寄せる人妻とその夫との三角関係をベースに、夫の断ち切れぬ不倫相手、監督自ら演じる狂言回し的役柄の男、さらには猟場に忍び込んだ男と召使いの女(彼女の夫は猟場の監視である)とのロマンスを絡め、彼らを形容し難いほど無様に、滑稽に、しかし劇的に描く。
ピエロ的役割の大部分を担っているのが召使いたちだが、ラストの喜悲劇的エンディングを生み出すのもまた彼らなのである。

私が見た限りでは脚本、演出、カメラその他は全てにおいて完璧であり、この名作は映画の手本と言える。
・・・が、これに習い、この映画に近い完成度を持つ作品はあまりにも少ないように思える。

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K

5.0世界映画史上のベストテンに選ばれるべき、ジャン・ルノワールの傑作

2021年7月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

私にとって、ジャン・ルノワール監督は難物である。「大いなる幻影」を初めて観た時など、何故感動出来ないのか不甲斐ない苛立ちを覚えた。素晴らしい映画であると全面的に認めながら、映画狂の愛情をもってしても、納得できる反応が生まれてこない忌まわしさは、それまで全く経験が無かったため強烈な記憶として残ってしまった。そして、今度はルノワール監督の最高傑作「ゲームの規則」である。私は、特に後半の展開にある映画の盛り上がりに、ため息交じりの感嘆を何度も反芻しながら、それは同じフランスの巨匠ルネ・クレールの畳み掛ける場面展開の見事なリズムとテンポの演出力に類似しながらも、この映画の本質に自分は深入りできないと意識した。それは「大いなる幻影」の初見の時に感じたルノワール監督の人間の器の大きさ、映画監督としての寛容さに圧倒されたことに関わる。この作品を支配するルノワール監督のこころの豊かさ(巨大な温もり)に、どっぷりと入り込めない。それは、私と言う存在がそれを享受するに相応しくないとする、自己批判を生む。また、フランソワ・トリュフォーは、ジャン・ルノワールを世界で最高の映画作家と断言している。これまでの私的な映画遍歴をもって、トリュフォー監督がルノワール監督の偉大さを尊敬することが、充分に理解できる。
どうも私という映画の僕(しもべ)は、映画は誰にでも理解できる表現で創造されなくては成らないと根底から考えているところがある。そうでなければ、チャールズ・チャップリンとジョン・フォードを映画の神様と決めつけないであろう。ルノワールの作品に対して、今満足な感想を記すことは不可能だ。ルノワールの映画は、私が狂喜し感動しても、饒舌になる世界と違っている。救いは、3年前にテレビで完全版の「大いなる幻影」を再見出来たこと。この時は感動のあまり涙を浮かべた。そして、この作品には、感動のあまり言葉を失った。

  1980年 2月29日  フィルムセンター

1939年の制作年から43年経った1982年に漸く日本公開された。その2年前にあたる日本未公開時点のこの版は上映時間1時間29分で、完全版より17分短い。それでも凄い作品と感銘を受けたことは事実。世界の映画史上のベスト10に選ばれるべき傑作と思う。この年のキネマ旬報のベストテンでは、旧作ながら淀川長治氏がベストワンに選出している。
僭越ながら作家論みたいなことを言わせて貰えば、”ほとんどの芸術家は貪欲であり、そうでなければならないと思うが、ジョン・フォードとジャン・ルノワールだけは違う”と世界の様々な映画監督の作品を観てきて私が辿り着いた一つの結論があります。

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Gustav
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