「アメリカ海軍の服務規定を題材に、軍隊のあるべき姿を追求した群像劇の真剣さと鋭さ」ケイン号の叛乱 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ海軍の服務規定を題材に、軍隊のあるべき姿を追求した群像劇の真剣さと鋭さ
ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの原作の面白さと主演ハンフリー・ボガートの演技が見所の海洋戦争映画。特にケイン号が台風に遭遇してから反乱罪で軍事裁判が開かれる後半の、各登場人物の立場や心理が浮かび上がる人間ドラマとしての見応えに感心もしました。今回約50年振りに見直しましだが、映画日記を確認すると初見の時は全く評価していません。軍組織において、例えばこの作品で主題となるアメリカの海軍服務規定の絶対的規範の重要性を理解するところまで想いが至らなかったと、我ながら想像します。やはり学生の気楽な環境にいては、大人社会の決まり事への実感が持てないのは必然でしょう。それも命を預けた軍隊における決め事です。艦長を解任して副艦長が代行する第184条が定められていても、あってはならない異常事態であるし、それがもし反乱罪に当て嵌まったらと考えると、これは非常に特別な題材を扱った事例研究でした。それが組織内の矛盾や理不尽なことを実生活で経験して大人になり、改めて映画の中とは言え、太平洋戦争中のアメリカ軍内部の服務規定に想いを寄せるなんて、高校生の自分から見たらなんて思うだろうか。この視点から、気になるワンカットがありました。
それは名門プルンストン大学卒業後、兵学校で優秀な成績を収めて実戦経験なく少尉になったウイリー・キースが、配属されたケイン号艦内を移動するシーンで、ザビを落としている水兵にある将校が声を掛けるー“サビを落としたら防水が効かなくなるぞ”ーの台詞です。経験による価値観のパラドックスの暗示になるカットです。ナイトクラブの歌手メイ・ウィンと付き合いながらも母親には従順な良家の好青年キースは、学校で教わった通りの模範を遂行しようとしています。しかし、老朽化した掃海駆逐艦の風紀は乱れ、規律のないように見える水兵たち。初めて面会したデブリース艦長は上半身裸の格好です。落胆するキースに対して、離艦するデブリース艦長に腕時計のプレゼントをする水兵たちの別れを惜しむ親しみの感情。この物語の始まりは、この兵士の自由を尊重するデブリース艦長とボガート演じる規律最優先の厳格なクイーグ艦長の対比から始まり、キース少尉からみた上官のあるべき姿の理想とは何かを考えさせます。しかし、規律に従って艦内の空気が引き締まると同時に、クイーグ新艦長の行動に綻びが見えてくるところが展開の面白さになっています。部下を叱責することに集中するあまり、演習でミスを犯すはめに陥ったり、また上陸作戦の護送では艦長として有るまじき臆病さを露呈します。極めつけは、冷凍苺の配給で見せる盗み食い犯人探しの執拗な追跡です。ハンフリー・ボガートが演じるから余計に感じる奇妙なシーンですが、遂に副艦長マリク大尉が通信長キーファー大尉と共に艦長の偏執症を提督に告発しようとするところまで行きます。ここでキーファー大尉がぎりぎりになって翻意するシーンが、最後の裁判劇で予想を超える展開を見せて、意味ある伏線だったことに気付かされます。
一端保留にした状態で台風に遭う場面が、最初のクライマックスと言えるでしょう。但し、当時の撮影技術の限界か、今日の視点から見ると苦しいものがあります。台風の激しい大波を受けるケイン号をミニチュア撮影で巧みに描写しますが、艦内の行き詰まる会話劇とカットバックされるとその陳腐さが引き立ってしまいます。艦船の傾きと一致しないのが映画の迫力として一つにならないのです。ここが唯一の減点になりました。しかし、その欠点を補うのが、軍事裁判で登場する弁護士バーニー・グリーンウォルド大尉の複雑にして軍隊を知り尽くした価値観です。証人喚問を受けるハンフリー・ボガートのパラノイア演技で裁判の決着を見せた後に、マリク副艦長の反乱罪無罪の祝賀パーティーの会場に現れ、小説家志望のキーファー通信長を責め立てるシーンが最後のクライマックスになっていました。クイーグ艦長の責任感と完璧主義からくる戸惑や不安を理解せず、馬鹿にして揶揄した士官に対して言い放つ台詞がー“艦長が好きだからじゃない、艦長が艦長だから従んだ”ーです。同じ部下の立場でひとり人間観察を得意とし、副艦長に告発を促し、いざという時には一人責任逃れに走り、裁判の席では嘘の証言までする。“ケイン号の座付き作家、狡猾なシェークスピア”と罵るのです。裁判がどうなろうと安泰の立場を巧妙に選択したキーファー通信長が最も非難されるべき人間というこのドラマの結末が、原作者ハーマン・ウォークの創作か、スタンリー・ロバーツの脚色のなせる技か、どちらにしても小説家の特質を辛辣に指摘して鋭いのは凄いことです。軍隊の上意下達の組織力と、駆逐艦という狭い空間に閉じ込められた部隊の結束強化を最優先にして、命を賭ける共同体のあり方を理解したグリーンウォルド弁護士の見識。キーファー通信長のような人物を嫌うのは当然ですが、このような癖のある人間を描けるかどうかが小説の良し悪しになるという事でしょう。
主演のハンフリー・ボガートは3年前の「アフリカの女王」でオスカーを受賞していますが、それに匹敵する演技力を見せます。スターの貫禄と性格俳優として巧さがあって、流石の存在感と再認識しました。次に優れた演技を披露していたのは、マルク大尉のヴァン・ジョンソンとグリーンウォルド大尉のホセ・ファーラーです。どちらも1950年代の中堅の名優ですが、この作品で見方が変わるくらい感心しました。役柄の良さもありますが、今回見学した収穫の一つに挙げたくなりました。惜しいのは、ビリー・ワイルダーの「深夜の告白」「アパートの鍵貸します」で好演していたフレッド・マクマレイの自己保身に長けたキーファー大尉の演技です。狡猾さを表情に出さない難役故の、もっと深い表現を要求したくなる人物像でした。後はお馴染みのリー・マーヴィンが若々しい姿を見せてくれることと、「十二人の怒れる男」「インテリア」のE・G・マーシャルの地味ながら安定した演技も印象に残ります。キース少尉のロバート・フランシスが、ジョン・フォードの「長い灰色の線」に出演していて、ジェームズ・ディーンより一つ年上のデビュウーまもなくの大抜擢を受けての主演扱いも、ディーンと同じ1955年に飛行機事故で亡くなっていたことを今回初めて知りました。ベテランから中堅、新人と幅広い俳優陣の観るべき演技が遺されています。
監督は「山」「愛情の花咲く樹」のエドワード・ドミトリク。特に際立つ演出力は感じませんが、この貴重な大作を手堅くまとめています。またこの映画化には制作のスタンリー・クレイマーの社会派映画の特徴を感じました。「真昼の決闘」「手錠のまゝの脱獄」「ニュールンベルグ裁判」「招かるざる客」と、噛み応えのある映画の名プロデューサーです。そして、この1950年代のハリウッドの戦争映画を特徴付けるのが、名匠マックス・スタイナーの音楽でしょう。場面に添った軽快かつ明朗なメロディーで、深刻なストーリーでも海軍の勇壮なイメージを保ちつつ、映像と密接にシンクロした映画音楽です。好みが分かれる映画音楽とも言えますが、私は嫌いではありません。
Gustavさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
ある程度時間が取れないと、映画を観る事は出来ないですよね。
高校生で、フランス映画にハマっていらっしゃったのですね 🇫🇷
ルイ・マル監督作品は、レビュー投稿した「 私生活 」と何年か前に録画鑑賞した「 死刑台のエレベーター 」の2作品しか未だ観ていないので、機会があればチェックして観ていきたいと思っています。