黒猫・白猫のレビュー・感想・評価
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粋なじいちゃん達がカッコいい!
コメディにはなっているものの、『アンダーグラウンド』のテンションそのままやんけー!!とノリツッコミしてしまった。 確かに”戦争”というエッセンスはなく、ギャング、マフィア、ジプシーにはなってるけどさ。 白猫と黒猫という色の対比のように、貧富の対比、老いと若さ、男と女、ノッポとチビ、などなど対になっているものがたくさんあって見ていて面白かった。 それにしてもおじいちゃん世代の賢さと優しさに比べて父親と父親代わりの二人の愚かさにはほとほと呆れてしまったけど、愚か者たちが愚かなりに新しい友情を築くのであればそれはそれでハッピーなこと♪それにこの愚か者たちの行動のお陰でおじいちゃま達は助かったわけだし、うんうん納得。 さらに若い世代をこの土地に縛り付けることなく、出ていくことを勧める粋なお爺たち。カッコいいよ。 やっぱりこの監督は動物愛が強いのね。 いろんな動物たちが愛情いっぱいに描かれてる♬ でも廃車同然の車を少しずつ破壊しながら”食べてる(?)”豚さんはよくわからなかった。 そして糞尿まみれの体をタオル代わりにガチョウの羽毛で拭くのはやめて〜〜〜〜〜〜〜〜。
あの「アンダーグラウンド」の切れ味はどこへ…
クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」 が余りにも素晴らしかったので、 「恋におちたシェイクスピア」や 「マトリックス」の年に キネマ旬報ベストテン第7位にランクイン したこの作品を見逃しているとの 焦燥感から初鑑賞した。 映画の冒頭は、他の映画にはない異質感に 期待が膨らんだが、残念ながら キネマ旬報で何故この作品を第1位に押した 選考委員が2名もいて、 結果、ベストテン入りした理由は 全く理解出来なかった。 単なるノー天気なドタバタ劇にしか 感じ取れなかったし、 「パパは、出張中!」から 「ジプシーのとき」を経て「アンダー…」に 結実したはずのクストリッツァ監督の力量は どこへ消えてしまったのだろうか、 と愕然たる思いだった。 「アンダーグラウンド」のような 歴史への隠喩や祖国への想いも、 何も感じ取れなかった挙げ句、 ラストで老人二人が生き返ってしまっては、 この映画、何を信じれば良かったのかと 途方に暮れてしまった。 この後に予定している 「ライフ・イズ・ミラクル」の鑑賞が とても心配だ。
ジエットコースターみたいな…
徐々に徐々に物語が進んでいき、クライマックスで楽しさも笑いも最高潮になってて、登場人物も良いキャラしててすごく楽しいハッピーになれる作品でした。 合間に出てくる黒猫白猫ちゃん達がキーになってる感じがして、尚且つ可愛くて猫好きの友達とも共有したいです。
いっそ感動的なコメディ
タイトルだけ見るといかにも意識が高そうな雰囲気映画みたいだが、ふたを開けてみれば徹底的に明るく楽しいコメディ映画。バカな親父の企みを親父よりは賢い息子とその恋人が思い切りとじいちゃんのコネで打破するコメディ。 ストーリーは王道というか予想のつきやすいものだが、バカバカしいので飽きずに見ていられる。他の映画なら「それはないだろう!」となってしまいそうな場面も笑って流せる。 ジーンとくるような場面など何一つないが、バカバカしさが一周回って感動的な一本だ。この映画の登場人物と一緒に、バカになって何も考えずに観るのが良いだろう。
【土着性とヒューマニズム溢れる、エミール・クストリッツァワールド生命賛歌全開作品。番のメタファーである黒白の猫。そして、しぶとすぎる爺さん二人の不死の姿も、成程なあと納得してしまう作品でもある。】
ー 序盤から、エミール・クストリッツァワールドならではの、熱量が凄い。 ウンザ・ウンザ・タイムである。 そして、奇想天外なストリーの随所で現れる、生命の象徴である豚、アヒル、馬、山羊など数々の動物達の、自由奔放な姿。ー ■感想 ・ストーリーとしては、王道のメロドラマである。 これも又、生命讃歌であろう。 ザーレと、偶然出会ったイダとのトウモロコシ畑での恋。 ザーレはギャング・ダダンの末娘アフロディーテと、無理やり結婚式を挙げさせられるが、お互いに本当の恋を求めて、アフロディーテは兄の柵から逃げ出し、”ゴッドファーザーJr”と運命の出会いを。 そして、ザーレも又、イダと。 ー 結婚は、ヤッパリ好きな人としたいよね!ー ・それを彩る、ギャングのダダンや、ザーレの父、マトゥコ。祖父、ザーリャのキャラの濃さ。 ・破天荒なストーリー展開の中、エミール・クストリッツァワールド常連の生命の象徴である豚、アヒル、馬、山羊など数々の動物達は、自由過ぎる動きで、画を彩る。 <物凄い熱量で、エミール・クストリッツァワールドにグイっと引き込まれる作品。 後年、エミール・クストリッツァ監督のインタビューや、彼が愛するバルカンミュージック演奏バンドに加わって、楽しそうに楽器を演奏するこの稀有な監督の姿を見ると、ユーゴスラビア解体の哀しさを吹きとばす、人間としてのパワーがとんでもない人なんだなあ、という思いを今更ながら、裏付けさせられた作品である。>
見事なハッピーエンド
哀愁が漂い感動が込み上げてくる要素は取っ払った、愉快で痛快な奇想天外ワールドを繰り広げる単純極まりない物語展開に終始、和みながらの鑑賞。 黒猫と白猫を象徴にクストリッツァらしい色が存分に発揮された虐待ギリギリな動物てんこ盛り描写が楽しい、アヒルをタオル替わりに汚物を拭いたり、豚がひたすら車を食ったり、人間も負けず劣らずな演技と個性的なキャラクターばかりで、嫌ぁな奴も悪い方向に進む展開も皆無な楽しいと面白いバランスが絶妙。 何か難しい意味が含まれているかと思ったのも束の間、滑稽に描かれる人物像など不思議な世界観と娯楽要素だらけで、劇中に流れるクストリッツァ節炸裂な音楽も素晴らしい。
クストリッツァの作品は動物と老人がかかせない
1998年フランス・ドイツ・旧ユーゴスラビア合作映画。130分。今年31本目の作品。旧ユーゴスラビアの監督エミール・クストリッツァが手がけたコメディ映画。 内容は; 1,うだつの上がらない男は石油列車強盗を企み、新興ヤクザに持ちかける。 2,計画は実行されるがヤクザにはめられ失敗に終わる。 3、ヤクザの親分はそれで父親に貸しを作らせ、実妹を男の一人息子と結婚させようと強要する。 この監督さんほど奇想天外なエンディングを作る人はいないと思います。今作も同様、後半に向けて常識を完全に無視した大どんでん返しがあります。常識からの逸脱では済まされない、神様も怒らせてしまうかのようなこのどんでん返しがこの人の作品の魅力です。 しかし、それが小手先のウケを狙ったものではなく、何故か作品全体と調和している所にただならぬ才能を感じます。 クストリッツァの世界観とはカーニバルである。一つの場に偶然にも集った人々がくり成すドタバタ喜劇、はたまたどんちゃん騒ぎ。そこには老若男女だけではなく様々な動物たちも混じって、全編でお祭りをしているかのようにドラマは進行していきます。 そんなクストリッツァはさしずめこの世界を操るピエロのようなものだと思います。そこでは生が死に、死が生に、対極的な事象をいとも簡単に反転させて不可能を可能にさせてしまう。 乱暴なことをする監督さんなのですが、そこには観る人に寄り添う心意気があります。なぜなら、そんな作品を観ててもこちらは憤慨することもなければ、退屈になることもないのです。 奇才という名をほしいままにしているクストリッツァ監督は、深いレベルから世界を描ける人なのだ。だからこそ、彼は映画をつくるにあたって観客のために「笑い」という要素が必要だったのでしょう、と勝手に想像します。 本作全体の感想としては後半やや盛り込みすぎた感がして、冗長に感じられました。 いずれにせよ、素晴らしい監督さんです。
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