黒い罠のレビュー・感想・評価
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【”「ボーダーライン」オーソン・ウェルズヴァージョン。”アメリカとメキシコの国境で起こった爆殺事件を巡るオーソン・ウェルズ脚本・監督に依るサスペンス。今作は、様々な見方が出来る作品でもあると思う。】
■メキシコ国境の町で起こった地元の有力者であるリネカーが乗る車爆死事件を目撃した、妻スーザン(ジャネット・リー)との新婚旅行の最中に通りかかったメキシコ政府の犯罪調査官・ヴァルガス(チャールトン・ヘストン)は捜査を始める。
しかし、アメリカ側の担当者であるクインラン警部(オーソン・ウェルズ)は、彼の介入を露骨に拒否する。
だが、クインランはやむなくヴァルガスと共同捜査を開始する。
◆感想<Caution!内容に触れています>
・今作は資料によると、初公開時には殆ど黙殺されたそうである。だが、その後数名の映画関係者から、”冒頭の長廻し”や地元のギャンググランディの指示によるスーザンの電話の”盗聴及び回線のトリック”などが評価された作品だそうである。
・今作は初見であるが、正直な所オーソン・ウェルズの「第三の男」などと比較すると、一部の批評家からの”名作”に値するのかなあ、と思う。
だが、私なりにこの作品の評価すべき点を記したいと思う。
私は、映画の良い所をなるべく探したい男なのである。
・今作では、名優チャールトン・ヘストン、ジャネット・リー、オーソン・ウェルズの親友だったマレーネ・ディートリッヒが出演しているが、矢張り圧倒的な存在感を放っているのは、太ったスタイルでクインラン警部を演じるオーソン・ウェルズである。
・序盤の後半から、”どのような事件でも解決する”クインラン警部の真実が分かってしまうのが、少し残念だが(で、4.0)彼がヴァルガスの妻スーザンや、被害者の娘の恋人サンチェスを陥れようと、数々の罠を仕掛ける姿を、オーソン・ウェルズお得意の陰影を付けたショットで映し出す数シーンは流石だなと思う。
・特に、抱き込んだ地元のギャンググランディを、彼の部下に誘拐させ薬で眠らせたベッドの脇で考察する前に暗闇から現れるシーンの、最初は闇で顔を見えないようにしながら、下側からクインラン警部の顔をアップで映し出すシーンなどは、流石である。
・又、橋上で過去から彼の”手助け”をしてきた同僚のピートが、密かに興中に隠しマイクを潜ませて彼との会話を橋の下にいるヴァルガスが、盗聴装置で聴くエコーシーンなども見事である。
<詳細には描かれないが、クインラン警部が悪の道に走ったのは、妻を絞殺された(と言う台詞が劇中で出て来る。もしかしたら殺したのはメキシコマフィアかもしれない。)からであり、故に彼はでっち上げでも、悪を作り上げ自ら捕まえる事で、妻の無念を果たしていたのではないかな、と思ったのである。
だが、彼の良心がそれを許さずに、彼は酒を断ち甘いモノばかりを食べるようになり太ったのではないかな、とも思ったのである。
そして、その事実をピートも、マレーネ・ディートリッヒ演じるバーのターニャも知っていたのではないかなとも思ったのである。
今作は、中盤以降の真なるクインラン警部の素顔が明らかになる所から、ググっと面白くなるサスペンスであると思う。>
天才の映画
稀代のウェルズ君、閃き全開です。
第三の男みたような、市民ケーンみたような凝ったアングル、陰影、移動など撮影技法の卸問屋です。
更にその映像をスピーディ且つトリッキーにたたみかける編集も見事。
プロットもよく練られているし、ウエルズ君の怪演は相変わらずだし、監督目指す人の教科書になりそうです。
カルト作品らしく、Wikipediaの解説が異常に長いですが、カルトではなく斬新でスタイリッシュな作品と思います。
マレーネ・ディートリッヒ
冒頭、タイトルバックのヴァルガス夫妻が歩く3分の長回しは凄い。国境の町はややこしい。どこからどこまでアメリカなのかメキシコなのか・・・かなり自由に行き来できるような雰囲気。
車の爆発はメキシコから乗った建設業者のリネカーとストリッパー女性の車がアメリカ側で爆発したもの。ヴァルガス夫妻は新婚旅行で国境の町へ来ただけだったが、妻のスージー(リー)メキシコ側のグランディス一家の悪党たちに出ていけと脅される。
とりあえずメキシコ人容疑者を尋問するクインランだったが、怪しい者を証拠を捏造して捕える非道な警部なのだ。彼には妻を絞殺されるという哀れな過去もあり、一度犯人を取り逃がしてからは全て事件を解決していた。しかし、捏造、冤罪という黒い過去にヴァルガスが気付き、調べ上げる。クインランにとっては鬱陶しくてしょうがないヴァルガスの存在。そうして、ヴァルガスと妻を麻薬常習者として仕立てるようグランディスに指示したのだ・・・妻はどうされるんだ?というドキドキ感もあり、後半はスリリングな展開だけど、ところどころ肝心な場面を描いてないので緊張が途切れてしまう。
麻薬漬けにされた妻。そばにはグランディスの死体。そこでのジャネット・リーの恐怖の叫び声はどことなく『サイコ』を彷彿させる。そして殺害現場に杖を忘れてしまうという笑いネタもある。というか、間抜けなところを見せるクインランはストーリーをつまらなくさせてる・・・
クインランがかつて通った酒場の女主人にマレーネ・ディートリッヒ。ちょっといい役だけど、全体に花を添えるまではいってない。
Orson Welles
オーソン・ウェルズという映画業界でもNo.1の座を争う偉人の作品。
まず、このような伝説的作品を定額制動画配信サービスで見られることを感謝せずにはいられない。
1950年代のフィルムノワールという一時代を作ったジャンルの代表的な作品。一番最初に目に貼ってくるのはやはり、フィルムノワールの代名詞とも言える照明。何を映すのかではなく、何を闇に隠すのかという影が支配する映像は見応え十分です。そして、フレーミングの王様、オーソンウェルズの一寸違わぬカメラワーク。そして有名な編集。
シネマトグラフィー(撮影、照明)
ハードライトでくっきりとキャストされる影がやはりこの時代の副産物でしょう。超巨大なライトを使って、サイドから力強く当てられた光が作る影は、フィルムノワールの主役です。今作でもそうですが、フィルムノワールのテーマは裏切りや陰謀などの人間の影の部分をテーマとします。文字通り、人間の裏の部分が影となって一つのキャラクターとして映し出されます。さらには、陰もくっきりと漆黒で顔の半分を支配する、キャラクターのクローズアップは、その人間の表と裏の二面性を描いています。
シルエットや陰影のように照明が当たらないところでキャラクターを表現する。それがフィルムノワールです。ハリウッドスタジオの黄金期を支えた一つのブランド。
オーソンウェルズ
『市民ケーン』でもよく知られますが、レンズの長さやカメラのアングルなどのフレーミングのテクニックを使ってキャラクターの感情や立場を表現する技術の親がオーソンウェルズです。今作では、オープニングシークエンスやサンチェスの家のシーンで見られるワナー(長回し)がとても実物です。危険とオーディエンスとの距離を操作し、キャラクターをステージ上でダンスをするように動かし、サブコンシャス的にそのシーンを盛り上げ飾りつけしていくこのフレーミングとブロッキングは、現代の映画にも通じる先駆者の代物です。
編集
これまたスタジオ時代の映画界を象徴するような事件で有名ですね。撮影後、オーソンウェルズがチームから抜けた後、ユニバーサルスタジオがストーリーを書き換え、別シーンを撮影し、変種を操作しました。それにオーソンウェルズが68ページにもわたる抗議を含んだ意見文を提出したのです。しかし、それも叶わず、そのまま放映されてしまいました。
その後、その意見文を元に、ウォルターマーチ先生が再編集をしたのは、公開から40年後のこと。そこで、彼の作品はさらに脚光を浴びることになりました。映画界での伝説の地位を確立したのは、そのとき。
これらからもよくわかりますが、一つの作品に対する熱意が違う。自分が出演するのもそうですが、68ページにもわたって自分の意見を書くことができるのは、そこまで作品に対する愛があり、熱意があり、それが叶わなかったことがどれほど失意だったのかが伺えます。
これが映画だと言わんばかりの作品です。単純に初見でも面白く、ハラハラできるフィルムノワールですが、100回観ても味がする、芸術であり、映画のポテンシャルをさらに感じる最高傑作。
それゆえ、私はこの作品の1%も感じ取れていないし、楽しめていない。99%楽しむ余地が残っていることだけはひしひしと感じる。
理解されなかったウェルズの「作家性」
冒頭の長廻しは「空間の振付」と評され、素晴らしい効果をあげている
全般的に 視覚的に優れた映画である
疾走感もあり、ウェルズの才気を 感じさせる
今より 単純であった観客の為に、映画会社に勝手に再編集されてしまったのは、気の毒であった
ストーリー展開に やや、難はあるが(観客にわかり辛い) 作家性を重視できなかった時代である
(修復版を 見てみたい)
老いた巨漢刑事(ウェルズ)が 組織の歯車となって働いているうちに、犯罪者側と なあなあになって、
崩壊していく様子が 哀しくもある
(体を酷使しても、妻を失っても 犯罪は減らない)
彼を追い詰める捜査官ヴァルガス(ヘストン)の若さと 正義感と 贅肉の無さ!
ストリップクラブのオーナーに、ザ・ザ・ガボール
(9回結婚した美人女優)
酒場女ターニャに デートリッヒが 扮して華を添えている
デートリッヒは この映画のラストシーンの自分を高評価してるが、彼女はメキシコ女の雰囲気ではない様に感じる
やっぱり、ヨーロッパの退廃だよね
(本人は 飽きたかも知れないが… )
杖
ソレを忘れちゃう!?手痛いミス。
証拠でっち上げな悪徳刑事でも推理に間違いはなかったってタダの偶然かも。
メキシコとアメリカってドッチに居るのか観ていて解らなくなったりする!?
ショッキングなシーンもアッサリと演出してしまう感じで驚きなども希薄に。
O・ウェルズは脇役かと思いきや最後には全てを掻っ攫う演技?存在感で素晴らしい。
ちょっと都合良すぎない?
チャールトン・ヘストンがどこに出ているのか、なかなか分からなかった。「猿の惑星」の髪が赤茶けてるイメージで探しても見つかるわけないか。
アメリカとメキシコの国境の街はゆるいチェックだった。きっと新しい大統領なら即座に厳重なゲートを築くはず。
主人公(なのに誰か分からない?)のチャールトン・ヘストンはメキシコ当局の検察官。彼が捜査権のないアメリカ側で、爆殺事件を調査したり、奥方をさらわれたりする。
今風に言うとアウェーでの活動には不自由が伴い、これをどのように乗り越えるかが本来この映画の眼目だったと思う。
しかし、彼にはアメリカ警察にシンパがいて、彼の代わりにいろいろとやってくれてしまうから、どうも勝手が良すぎる。
いくらオーソン・ウェルズ演じる悪徳刑事の仕業だと分かったからって、麻薬を使用した物証とともに発見された奥方がそんなに早く無罪放免になるのだろうか。
ちょっとご都合主義な部分が目に付く。
hunch
科学捜査が進歩していない当時だからこそのトリックばかりだけど、テンポが良いので飽きませんでした。立証方法は違法でも、刑事の勘は正しいと。
役者の動きを壁に投影する手法はこの頃の流行りだったのかしら。ヅラが取れるとか、コントみたいな演出もあって意外でした。
Ben-Hurを演じたHestonは、正義感が強く逆境に立ち向かう役が似合うのか格好良かったです。
ストリッパーの端役含めて女優さんがみんな美人でした。
光と影
これを古典的ストーリーと感じるのは、これが正しく古典だから。
冒頭の長回しはついこの前再見した『ブギーナイツ』を思わせるが、PTAはオーソン・ウェルズに影響を受けていたと考えてもあながち間違いではないだろう。
オーソン・ウェルズの(モノクロ)作品と言えば、『第三の男』も『市民ケーン』もそうだったように、影の使い方がとても印象に残っているが、それは今作でも然り。
建物の壁に映る影だけでなく、ガラスに映る景色など、後の作品やクリエイターに大きな影響を与えていることがよく分かる。
ストーリーとしては、国境の町で起きた事件を巡り、メキシコとアメリカ双方の警察官が対立するというものだが、今では腐敗のイメージが強いメキシコ側の警察官が罠にはめられる側で、アメリカ側の警察官が証拠のでっちあげも厭わない、ついには殺人まで犯してしまうという設定は今では新鮮に感じられる。
アメリカ側の警察官ハンクは妻を殺されたという過去を持ち、正義を求めるが故に悪に手を染めてしまう。この複雑な役は監督のオーソン・ウェルズが演じているが、“TOUCH THE EVIL”という原題からも主役はハンクなのだと思う。
殺人犯探しから刑事同士の破滅的戦いへ
総合:65点
ストーリー: 65
キャスト: 80
演出: 70
ビジュアル: 60
音楽: 60
自分の身を守るためには何でもする直感的・直情的刑事。権力を持った犯罪者は立場上一見それとわからないだけに怖い。ヘストン、ウェルズ、どちらの立場にしてみても、自身の身の破滅をかけた戦いだった。 ちょっとおどろおどろしい雰囲気が出ていたが、やや平凡な話のようにも思える。
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