クレイマー、クレイマーのレビュー・感想・評価
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君一人でいけ。僕はここにいる。
こないだDVDで鑑賞しました💿
ダスティン・ホフマン演じるテッドは、毎日仕事で帰りが遅くなっているようで、家のことはメリル・ストリープ演じる妻のジョアンナに任せきり。
ある日ジョアンナは我慢の限界に達し、幼い息子のビリー(ジャスティン・ヘンリー)を残し出ていきます。
そこからテッドは仕事と家事を両立せざるを得なくなり‥。
最初はマトモにフレンチトーストを作れなかったテッドが、後半で普通に作れるようになっているのがいいですね。
その後半のシーンは、テッドとビリーの心情もあり哀愁ただよう名シーンになっていると思います。
2人が交わす視線、笑顔でありつつもどこか悲しげな表情‥会話は少ないながら、2人の気持ちが伝わってきます。
メリル・ストリープも、どこか不安定なジョアンナを上手く演じていたのではないでしょうか。
裁判で足を組みながら証言するシーン、ラスト前のエレベーターでのシーン、個人的に瞳が注目ポイントでは❓なんて思ったりしてます🙂
上質なヒューマンドラマですね👍
フレンチトースト・・・
食パンを生卵と牛乳をミックスした液体の入ったマグカップにどっぷり浸してフライパンで焼く。。。冒頭と最後に出てくるフレンチトーストを親子で料理するシーンです。この映画を最初に観たのは確か大学生の頃(30数年前)。アメリカに憧れて英語に耳を慣らしたくて貪るように洋画を観まくっていた頃です。その時は、この馴染みのないフレンチトーストという食べ物が衝撃的だったのを覚えています。普段我々が上品にトーストして食べてる食パンをなんて大胆な食しかたをするものだろうか、と。ますますアメリカへの夢が膨らんだものです。
映画って同じ作品でも観た時の自分の年代だったり、生活環境だったり、精神状態が違えばその印象も違ってくるものです。この映画は大好きなので何度も観たのですが、今回改めて衝撃を受けたのがメリル・ストリープの怪演です。この映画はざっくり言うとシングルファーザーになって子育てに悪戦苦闘するダスティ・ホフマン演じるテッドを善しとして、それに対して一度は家族を見捨てながら都合よく親権を取り戻そうとする身勝手な妻のお話です。この悪者役を必要以上に生々しく演じているメリル・ストリープ。この人の演技は観る人の心をえぐるほど生々しい。「ソフィーの選択」でもえぐられた。この映画で主演女優賞をとったわけだけど、実は主役で当時人気絶頂で同情を集める側の役回りだった主役のダスティー・ホフマンが彼女の名演技の引き立て役だったのではないか、と思わせるほどでした。
ところで、前述したとおり、私の解釈はこの映画は夫を善しとして妻を悪とする、もろに男性目線の映画だと思うんです。私も映画を観ながら「がんばれ、テッド」と応援してしまいました。果たして女性から観たこの映画はどのように映るのでしょうか?妻の言い分に同情して男社会を憂うのでしょうか?それとも女性の嫌な面を見事に演じるメリル・ストリープを見て嫌悪感を抱くのでしょうか?それとも私の受け止め方が根本的に間違っているのでしょうか?むちゃくちゃ興味あります。もし思うところありましたらコメントいただければ幸いです。
こんな母親はいない。初老のジジイ目線な話だと思う。
こんな母親はいない。
こんな悪い母親はいない。
こんな父親はいない。
子供が家にいるのに家で浮気しない。
こんな子供もいない。
子供としての人格を全く無視している。
時代が違うから、設定が違うと言うだけで無い。演ずる俳優のイメージ(ダスティン・ホフマンのイメージ)で、作られた演出だと思う。アルパチーノだったら、別の設定を作らなければ、不自然になる。子供とすごす生活を狂気の演技では表現出来ない。
こんなに簡単にクビにされるのは、アメリカが終身雇用でないから、日本は、実力主義を良しとして、アメリカの尻を追いかけ、経済はこの映画の様な社会になってしまっている。
離婚するのに15000ドルって、訴訟の国と言えど、もはや狂気だ。
ダスティン・ホフマンだから、優しい理解力があるフェミニストなのに、運悪く誤解されている、と言った設定が通用する。ても、彼は子供のいる前で、会社の同僚と浮気しているのだ。
そんな、馬鹿な!
この父親のやった事は、お芝居の発表会に行った事と、買い物に行った事と、怪我させて病院に連れて行った事と、不味そうなフレンチトーストを作っただけではないか!それでこの結末。全く心が動かされない。この男、よくよく見れば、せっかちな切れやすい仮面男と僕なら見るが。
そもそも、現代社会の離婚の原因は、男の浮気か男の暴力。僕が年老いたから、現代の若者は『いやいや、違う』って言うのだろうか?『女も浮気するぜ』って、詭弁である。どんな場合でも、男が浮気の原因を作るのである。古今東西同じである。それを女性が理解するようになった。だから、未婚が多くなったって事だ。
初見であるが、若い頃見なくて正解だった。あの『小さな巨人』の俳優なのか?『小さな巨人』もう一度見てみよう。
10針も縫う手術をする時は、もっと、感染症を恐れると思う。
夫がパパになっていく成長物語
足並みがバラバラになってしまった夫婦。
父が子育てし始めたのは妻が出て行ってから。
会社の上司の方が子育ての大変さを現実的に捉え、当の本人は楽観的。現実を見れていなかったとも言えそう。
7年、、、夫を責めずに自分を責めて自信喪失するまで、妻はよく耐えたと思う。
ワンオペ
モラハラ
ノイローゼというかもはやクライシス
などと簡単に言い表せられない7年間、本来の自分からだいぶかけ離れていっただろうなと思わされるメリル・ストリープの演技が印象に残った。
そして、デザイナーとして、元夫より年収超えていたのもカッコよすぎだった。
とはいえダスティンも
息子と2人になってからは、次第に子どもを優先する父に変化していたから
また3人で暮らすことにすれば、家族再生のチャンスも期待できたのではないかとよぎった。
それくらい、父母どちらと暮らしても大丈夫そうと思わせてくれる成長ぶりだった。
両親どちらが好きか?
この質問、子どもは選べない、残酷な質問とよく聞くが
弁護士さんと同様、正直聞きたくなる心境だった。
裁判に勝つためではなく、子どもの負担にならないための選択を貫いていて、良いパパになったと感じた。
自分のためだけの生活と
家族とともに過ごす人生
どちらのパターンでも、自分らしく生きられることが絶対大事だという自分自身の価値観を再認識することができた。
仕事と育児の両立ができている人を心から尊敬している。また、思う存分やりたい仕事に没頭できていることも素晴らしいと感じる。
男だから社会に出て活躍する
女だから家庭に収まり子育て家事専念
やりたくてやっている人はそれで良い
葛藤があるなら、探求していくべきだと思う
何かの動画で、他人を納得させなくて良いというセリフを聞いた。
答えは自分だけが知っている。そこに向かえば良いだけだ。これがまた、雑念に流されるから厄介なんだけど。。。
本来の自分らしさでいられるようになれば、周りの人たちとの関係性も深まると思う。それがまた、生きやすさにもなるんだと思う。
ありがとう ごめんなさい 大丈夫 など
ちゃんと周りの状況を見て、素直に表現できる人
必要とされる人になります。
両親の離婚を経験した人間から見ると、理解できない場面も多い作品。評価に困る。
初めての鑑賞
家庭を顧みない、仕事人間の夫
自身が打ち込める仕事につきたいが、夫の理解が得られず不満の妻
これ以上の結婚生活は無理と、一人で家を出る妻
その後、子供の親権をめぐって裁判で争う、元夫婦の物語
自分は両親の離婚、親権争いを経験してるので
大人の自分勝手な言い争いに見えてしまった
置いて行かれた子供から言わせれば、母親を選ぶ理由は無いです
理由はどうあれ、捨てられたのですから
一度はあきらめた子供の親権を取り戻したい母
これからも自分が育てていくことを望む父
裁判に敗れ、子供を元妻に引き渡す日
全然料理ができなかった父が、息子との最後の朝食を手際よく作るシーンは
たしかに胸に刺さった
40年以上前の映画に今さらだが
奥さんに家出された夫が、仕事と子育ての両立に奮闘する物語
のほうが良かったのではないかと思う
最後のシーンは謎が残った
母は子供をあきらめた?
この家に戻ってやり直すようには見えなかったが・・・
見る側にラストをゆだねたのかもしれないが
何のための裁判だったのだろう・・・・
自身、あるいは両親でもいいが
全く離婚の経験がない人間が見たらいい作品かもしれない
夫婦不仲はそこだけの問題じゃなく、一番の影響は子供にいくんだぞと教...
夫婦不仲はそこだけの問題じゃなく、一番の影響は子供にいくんだぞと教訓になる作品。夫の慣れていない育児から始まり、徐々に対応して子供を中心とする生活を送るまでの成長には感動した。その分かりやすい指標としてフレンチトースト作りが序盤、終盤にそれぞれ挟まるが、ここまでフレンチトーストが輝いた作品もないだろう。
気になった点は妻側にどんな事情があるにしろ、夫側視点しかないことで、身勝手にフラフラとしているようにしか感じられなかったのは残念。そして含みのあるラストと言えば聞こえはいいが、それが個人的にはガサつきにも感じてしまってあまり心地のいいものではなかったかな。
社会への問題提起として作品を受けとるならこれ以上はないとも思うので、受け取り方次第かな。
とてもよかった
構成がよくてテンポよく見れた。冒頭のダスティン・ホフマンのフレンチトーストの悪すぎる手際が、やめてくれ~というレベルだったのだが、結末の手際は素晴らしくて育メンぶりを発揮していた。頭を週に1回洗うか2回洗うかで論争していて、現在は潔癖がいきすぎていると改めて思った。
裁判なんてやるもんじゃないとつくづく思った。
記憶ではお母さんに親権を奪われて悲しみに暮れる結末だったような気がしていたのだが、ハッピーエンドだった。
冷静なときに観れば、きっといい作品
さて。
さてさて。
子供が生まれて早2年8ヶ月。そりゃあ色々ありますからね。
いっそ子供を置いて出て行きたいと思ったことは私にもあるさ。
一人で「自分自身を取り戻す」冒険を始めたいと思ったことも幾度となくあるさ。
でも結局離れない。
たとえ離れるという選択肢が目の前にあっても、拒絶する。
その差は一体、何なんだろうな。
きっとジョアンナは、そう長くはかからずに「自分自身」は取り戻せるだろう、取り戻して生活が落ち着いてから親権を主張しても、母親である自分に分があるだろう、と思っていたんじゃないかな。心のどこかで、許されるという確信に近い感覚を持っていた。
だって、ストレスや不満が爆発しそうになって勢いで飛び出てしまった、というようには見えなかった。息子に別れを告げて涙していたし、帰ってきた夫にも別れを宣言して日常の細々した指示を出してから出て行った。感情的になって咄嗟に、ではなかった。
戻ってきて笑顔で親権を主張したジョアンナを、都合いいなぁ、何を今更、と白けた目で見ていた私だった。彼女にも言い分は当然あるのだろうけど、勝手に去っておいて勝手すぎやしないか。
逃げ出した方が負ける。法的に、一時的には勝てたとしても、最終的には逃げ出さなかった方が勝つ。現に息子の気持ちは、18ヶ月の間に母親から離れてしまった。息子の母親であることより、自分自身の人生を優先させてしまった18ヶ月間。それはそれで間違っていない。母親だって人間だから、逃げ出すことも時には必要。でもその代償はいつか必ず払うことになる。窮屈だし、悔しいけど、それが子供を作ったことの責任。
こういうメッセージ、冷静なときは素直に受け取れる。
我慢してるのは母親ばっかりじゃないからな、と素直に思える。
いつも冷静で居たいっす。
愛にあふれた親権争い
アメリカの裁判事件は、原告VS.被告という書かれ方がされる。
というわけで、クレイマーさん(元妻)VS.クレイマーさん(元夫)の
親権争いを描いた作品。
この映画の素晴らしいところ。
1つ目、親権争いを、一方的ではなく両方の立場からしっかり描いている。
2つ目、妻も夫もお互いを尊重している。
親権争いにありがちな貶しあいではない。
相手を下げるのではなく、自分を上げて親権を獲得しようとする。
3つ目、深い愛情で溢れている。
妻も夫も親権の獲得を第一に考えていない。
子のためなら親権を放棄してかまわないという意志で臨んでいる。
ヨリが戻っても戻らなくても、この親なら子は健やかに育つに違いない。
しわ寄せが可愛い我が子にいく離婚
裁判で互いに非を認める元夫婦。
夫は良き父に変化を遂げ、どちらも養育に不適とは言えない。それは子供が1番わかっているはずで、子供にはどちらの親も欠かせないのに、裁判は大人の間で行われており、家庭が親の事情で壊れてしまう事がとても切ない。しわ寄せが無垢な子供にいくのがもどかしい。そもそも、裁判を介してしか両親が話し合いをできていない。母親は父親の変化も遠巻きに数回見るだけでしかわかっていないだろう。会話不足だと感じた。
子供が7歳という絶妙な設定で、環境が大人にさせている部分もあるものの、18ヶ月の間にママ命のbabyから、父親とチームを築けるboyに変化していく。子供が時に父を、時に母を頼る事はこれから何度となくあるだろう。両親2人でその成長を見守っていけたら良いのに。最後のエレベーターで「おかしくない?」「素敵だよ」のシーンが、夫婦が初期に戻ったように素直に接しあえていて、よりが戻るかも?と一筋の希望を持てて良かった。
フレンチトースト失敗→子供が皿を用意し、買ってきたコーヒーとドーナツ→2人で手作りのフレンチトーストという朝食の変化が、父子の距離をうまく写し出していた。
とても古い映画
子どもに対しての愛がすごくて、育児をすることで精神的にも成長する父親が観ていてよかった。
子どもは本当にいい意味でも悪い意味でも影響力が大きいと感じた。
フレンチトーストの作り方がうまくなったのに別れる事が決まって気まずい感じの2人に感動した。
大人になってもう一度観たい。
時代を反映したヒューマンドラマ
時代を反映したヒューマンドラマ。
泣ける要素がもとから揃っているものほど感動映画としての質を問われるがこの作品は見事に自分の予想を上回る力があった。
ホフマンやメリル・ストリープの上手さはアカデミー賞の認める通りだが、それ以上に演出の上手さが光った。
裁判を通して法と言う非情さを目の当たりにするテッドとジョアンナ、ビリーぐらいの子供の複雑な感情、マーガレットという自分達が直面している問題の前例(成功例?)があること、等々
あちらこちらにテッドとジョアンナの考えに影響を与えるであろう演出を配していること。
ビリーと2人での生活最後の日に2人でフレンチトーストを手際よく作っている(2人での生活初日に作ってメチャクチャになっている)ことも外せない。 そして、極めつけは結末を見ている人に任せる演出であろう。
このように随所で演出(脚色)が光った作品で、この時代のアメリカの家庭を反映した傑作。
それにしてもこの時期のメリル・ストリープは輝きが凄すぎる。
ヒューマンドラマのベンチマークになりうる
1985年、小学校4年生の時にテレビ地上波で観て、後年、DVDを買うにまで及んだ作品。
この作品は、一人の男として、夫として、あるいは父親として自分はどうあらねばならないか、を考えるヒントに満ちている。そのどれもに、もがきながら取り組んでいる主人公を見るたびにそう思う。
家庭を省みないワーカホリックだった主人公が、息子を育てる過程で自分のキャリアをあきらめ、息子の存在を生きる糧としていく様子に心を打たれる。特に、ケガをした息子を抱き抱えてニューヨークの街を救急病院へ走る姿には、愛する者をなんとしても守る主人公の気持ちが垣間見えて、自然と泣いてしまう。息子の親権を得る裁判に勝つために、転職の面接で見せる主人公の覚悟あふれる毅然とした態度にも。
男として、父親としての格好よさとは何か、人生において肚をくくるとはどういうことか、何かを選び、代わりに何かを捨てた男の強さについて、夫婦のありかたとはいかにあるべきか、当時のアメリカ社会のウーマンリヴについて…など、いろいろなことを考えさせられる作品だ。
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