「夫婦の私的な価値観のズレを裁判で決める現代社会の一端を象徴するリアリティの秀作」クレイマー、クレイマー Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
夫婦の私的な価値観のズレを裁判で決める現代社会の一端を象徴するリアリティの秀作
女性の自立と共に男性が享受してきた社会的地位の瓦解がマスコミで話題になる時代だ。そこで黙っていられなくなった夫たる男性が、何処か惨めに見えるのも今のご時世ではないだろうか。そんな不満を持つ男性諸君に捧げる映画として、このアメリカ映画は感動と同情を得て、アカデミー賞では作品賞を受賞し、アメリカ社会から10年遅れのこの日本でも大ヒットしている現状は面白いと言えばおもしろい。しかし、そんな単純な見方だけでは、この脚本家出身の映画作家ロバート・ベントンの秀作は済まされない、もっと奥深い内容を持っている。それは、女性の権利と男性の権利の相互対決といった自己主張の言い争いに止まらず、人としての生き方の問題として扱っているところが、この映画の大人たり得ている一端である。ただし、映画の最初に妻の一方的な家出を物語の起点にしている為、女性の自立に説得力が無く、それだけ夫に同情が行くような物語の設定になっていた。家出前の夫婦の実態を敢えて説明しない作劇は、、男性側の立場を貫いている。これが成立した理由は、何といっても妻役のメリル・ストリープの演技力によることが大きい。単なる我儘ではない、苦しんだ挙句のやむにやまれぬ家出だったことを見事に表現していた。ダスティン・ホフマンとストリープの夫婦役に違和感があるにも拘らず、互角の演技力で乗り切っている。キャスティングの妙味と言えよう。またベントンの演出の、全編簡潔で明快なリアリズムでマンハッタンに住むサラリーマン家庭を描いているリアリティが、過度のドラマツルギーを排除して、物語の本質を描き出す説得力を高めている。意図的に情感を抑えて、リアリティだけで押し通した映画の模範と評価出来よう。
この映画において最もショッキングなことは、夫が仕事に夢中で家庭を等閑(なおざり)にした結果、離婚することよりもはるかに、子供をどちらが引き取るかを法の判決で持って決められるという、一家庭内の私的な問題が社会の法律によって左右されることだ。他人同士が夫婦になる意味では当たり前なのだろうが、改めて気付かされる。裁判で夫婦が弁護士に相互に詰問されるところは、真に痛々しい。夫婦間では相手を傷つける為の発言ではない言葉が、そこでは意味を履き違えられた武器になってしまう怖さである。そこには夫婦生活の真実は語られない。しかし、映画の結末は、子供を育てる父親の苦労から母親の本音の部分を温かく見詰めて、父と母と子のホームドラマに転化させている。この感動的なシークエンス作りは、適切と言っていい程に中庸を得た上手さであった。新しい感覚のリアリズムによる、現代人の夫婦の在り方を模索して観る者のこころを捉えた、この社会派映画の存在価値は高い。子役のジャスティン・ヘンリーの自然な演技、ダスティン・ホフマンの演技の巧さ、特にメリル・ストリープの演技の素晴らしさと共に。
1980年 4月11日 丸の内ピカデリー
40年前は、アメリカ映画の新作を観れば10年後の日本社会が予想できた。21世紀はそのタイムラグが短くなり、現在はインターネットの普及により殆ど無くなりつつある。記憶にあるのは20代の頃、映画からではないが、アメリカの女性へのアンケートで、モテる男性の条件に料理が出来る項目が上位にあって驚きつつも、自分も料理を覚えないといけないと思ったことがある。中学時代は自分で学校の弁当を作っていたし、冷蔵庫や電子レンジが家に初めて来た時は説明書の料理レシピを参考にアイスやグラタンなどを作っていた。少しは出来たが、結婚して休みの日にやるようになって、定年後の今では平日の夕ご飯作りを苦も無く担当している。私の年代の上の男性は仕事100点家事0点でも許されて、いまの40代以上の年代は仕事100点家事50点が要求され、現在は仕事も家事も100点でないと理想の旦那さんには成れない。勿論一般サラリーマンの話で、職業や収入により差があるであろう。それでも今の若い男性には同情する。会社時代は、よくアルバイトの男子大学生に、アメリカ映画の新作を観ることと、兎に角料理を覚えることを勧めていた。
映画を観て来て得た知識に、男女の性差がある。この映画の子供は男の子だが、大概の夫婦間の力関係は子供の性で判断できる。亭主関白の家庭は女の子が多く、かかあ天下は男の子が多い。女性の男性的な面と女性的な面の割合を観察すると、何となく生まれてくる子供の性が分かって来た。親戚の子供の殆どを当てている。私も子供が生まれる時に、妻には男の子と断言していた。メリル・ストリープが演じた女性は男性的な仕事人間が合っている。家事と育児に追われて解消できないストレスを抱えていたのであろう。この映画を参考にして私も、子供がある程度成長してからも妻には仕事をする事を勧めた。幼稚園や保育所に行くまでの子育てをする女性は、やはり大変だと思う。映画からは、色んな事を教わる楽しみもある。
talismanさんへ
サイレンの1910年代から1970年後期までの映画は、男性の為の娯楽であり教訓劇でした。勿論ヒロインが主人公の映画は在りましたが、あくまで男性目線の掛かった女性像でした。それから50年で漸く女性目線の女性映画が一般化したと思います。このベントン作品の興味深いところは、男性側に立ったストーリーを作りながら、女性の自立を男性の理解から切り離して解らせたことです。それを妻役のメリル・ストリープの演技の力業で成し遂げたことが素晴らしいと思いました。男と女は、結局分かり合えることはない。その真理の上に構築した巧妙なストーリー展開を見せます。
例えば、クロード・ルルーシュの「男と女」のラストシーンは、現実にはあり得ないし、偶然に過ぎない。あれはあくまで映画の世界で成立するのであって、こうなれば裏をかいて面白く劇的で感動的と意図した結末でした。今日のリアリティ重視からは遠く離れています。女性軽視が無い訳でもない。この映画は、そんな時代のオーバーラップに位置して、映画が描く男と女が変化していくことを印象付けました。一寸離れて観ると面白いと思います。
Gustavさん、レインマンにコメントありがとうございます。クルーズについては、明るくて皆に愛されるアメリカの若者ロールモデルといういい意味での側面、一方で年齢の積み重ねを感じさせないことを(いつまでも若い)是とする、アメリカ的風潮が拮抗していて、どうしても後者が私の場合は強くなってしまっています。でもGustavさんにご紹介頂いたクルーズの映画見てみます。レインマン繋がりで、「クレイマー・クレイマー」を見たのですが、息子の為の朝食作りでキッチンで失敗ばかりの夫・ホフマンの姿を見て、あまりに有り得ない!男中心!の時代を感じて見るのやめてしまいました。有名で評価された作品でも、公開時は自分の実生活が充実していた頃で映画に目が向いてなかったこともあると思います。Gustavさんのレビュー拝読して未だに見ていないのはやはりもったいないと思いました。気持ち落ち着いたら見ます。ありがとうございます。