クレイマー、クレイマーのレビュー・感想・評価
全88件中、1~20件目を表示
自分が幸せならば、相手も幸せだと思っていた。それが間違いだった。
つい、自分と相手と同じと思ってしまう。
テッドは、決して、家族のことを考えていなかったわけではない。
バーバリーのコートが欲しいと言えば、(あまりの高額にビビッて)手を震わせながらも購入しているし。
経済的に満足させていれば、それが家族を守り、幸せにしていることだと思っていただけ。
ジョアンナやビリーの話を聞くことなく。
完全なる自己満足。
日本でも、定年離婚を妻に突き付けられる夫と同じ。
ジョアンナが出て行って、ビリーのお世話をするようになり、話を聞き、一緒に生活をして、学校行事にも顔を出し、初めての自転車とかの経験を共有し、ビリーの気持ちを一番に考え、良い父親になっていったテッド。
でも、自分の気持ちとビリーの気持ちが同じと思っていたところは変わらず。
ジョアンナから「ビリーが欲しいの」と言われて、テッドは「あの子が承知すると?」とビリーの気持ちを決めつける。
だから、面会を求められて連れて行った公園で、母の声を聞いただけで、テッドの手を振り切って駆け出していくビリーに驚き、一人取り残される。ビリーもテッドと同じように母に怒り、拒絶するとでも思っていたのだろう。
子どもにとって、両親の、家族のどちらかを選べるわけではないのに。
7歳。母が出て行った時は6歳(小学1年生)か。その6年間、母と二人暮らし同然であったであろう。テッドは会社から、365日働くように求められ、それに応じていたのだから。その母との日々が忘れられるわけがない。
母が出て行ってからの18か月。父が父なりに自分を大切に動いてくれているようになったこともわかる年齢。電話に出るよりも、ビリーへの絵本の読み聞かせを続ける。ビリーに「電話だよ」と言われて、やっと電話にでるテッド。
どちらも、ビリーにとっては大切な宝物。
そんなビリーの気持ちを知ったからか、裁判では、ジョアンナへの配慮が足らなかったことを詫びる発言も。ジョアンナが自己否定をするシーンで、口パクでフォローするシーンも。相手の弁護士から揚げ足を取られる可能性もあるのに。
裁判は、どちらがビリーの親にふさわしいかを探るものではなかった。
相手を完膚なきまでに叩き潰し、雇い主の望みを勝ち取るためのもの。弁護士にとってはそうであった。証人が伝えたい、証言したいことではなく、弁護士が目的のために必要な言葉を切り取る。真実を見つけるものでもない。否、真実を捻じ曲げてしまう可能性もあるのではないかと恐ろしくなった。
それでも、弁護士からの質問からはみ出す形で、今のテッドの様子がジョアンナに伝わる。マーガレットの言葉でも耳を傾けられなかったのに、子育てしている様子が見えてくる。一生懸命に子育てしているテッド。家を出る前には考えられなかった姿。
そして、親権の行方は?ビリーは誰と暮らすことになるのか。
★ ★ ★ ★ ★
原作未読。
脚本と演出がすごい。
シンプルにそぎ落としている。それでいて、細かい日常をさりげなく丁寧に描いている。
旅立ちを準備するジョアンナ。自分の衣服以外に、ビリーの物であろう汚れた服をも中に入れる。これだけでも、どれだけ、本当はビリーと別れがたく思っているのかを示す。
別れを切り出そうとしているジョアンナの話を一切聞かずに、一方的に自分の話ばかりをしているテッド。しかも、ジョアンナも良かったと思ってくれると思い込んでいる。あまりにも話を聞いてくれないので、実力行使するしかない。こんなやりとりがずっと続いているということも判る。
有名なフレンチトースト、アイスクリーム、ワイングラス…。
「僕が悪かったからママは出て行ったの?」と言うビリーからの問いに答えるテッド。
よくぞ、ここまで自己分析/反省が進んだものだと思う。いつの間に?
元はジョアンナの親友であるマーガレットとの交流。初めは、ジョアンナをたきつけた、鼻持ちならないウーマンリブとして登場するが…。いつの間にか、テッドにとって自分に何かあった時に、ビリーを託す存在にまでなっている。たぶん、細かくは描かれていなかったが、たくさんやり取りがあって、テッドが自分の夫婦生活を振り返るようになったのであろう。そのやり取りは見事に割愛。テッドの変化だけを要点を絞って描いている。
テッドの上司。365日働くことを望む。ビリーを迎えに行かなければいけないテッドに、他の社員の勤務〇周年のパーティにしつこく誘う。部下の家庭よりも、自分の出世に繋がる仕事を優先することを強いる。部下の家庭が壊れたって、仕事でのチームワークが良好ならばと。テッドが家庭を顧みなかったのは、単にテッドのせいだけではないことを示す。
USAなら、テッドほどの収入があるのなら、ナニーの力を借りてビリーの世話をすることもあろうに。
原作では、ナニーも出ていたとか。
でも映画では見事に割愛。
子育てと仕事の両立の難しさを描き出す。そしてテッドの変化を描き出す。
原作では、ビリーの親としてふさわしいのかをはかる為の心理判定員とのやり取りもあるそうだ。映画でも、テッドの切れやすさが描かれたが、虐待防止という観点から、性格傾向を押さえておくのは必要であろう。ジョアンナの方は情緒不安定さを見極めることが必要であろう。
だが、映画ではそこは割愛。証言に対する反応を丁寧に描くことに絞っている。一見、法廷劇なのだが、テッドとジョアンナの変化の方が見ごたえある。
役者もすごい。
ホフマンさんて、こんなにイケメンでしたっけ?
ストリープさん。冒頭のうつろな「愛している」(公園で再会した時の表情と全く違う)。このままだったら、母子心中でもしてしまうのではないかという危うさを醸し出す。ワインレストランでは、優しげでありながら、「ビリーが欲しい」という時の間・眼差し。法廷での、逡巡しながらの証言。テッドやマーガレットの話を聞きつつ揺れる様。そして、ラストの決断。
筋だけ追えば、ジョアンナはわがままに映るのだが、そうせざるを得ない女性として、その時々の想いを表現して下さる。元々アサーションが苦手な女性だったのだろう。子育ての悩みを抱える今の女性なら共感できるのではないだろうか。何にでもなれる、なるために頑張れと強要される学生時代。なのに、母となったとたん、母以外の何物にも成れない自分。勿論、母となる喜びはあれど。家族以外の人からも妻・母と呼ばれ、名を呼んでくれるのは、憎い姑だけと言う川柳もあったっけ。男だって、家庭を背負い、家を出れば7人の敵がいると言われるような生活を送っている方も多いと思うが、少なくとも、名前で呼ばれる。それだけでもうらやましく感じる母。ましてや、この映画のテッドは、自分の思うとおりの仕事をしている。それを見ながらの籠の鳥。けっして、わがままとは言えない。
そして何よりもビリーを演じたジャスティン君。間の取り方とかが絶妙。
音楽も良い。
父子家庭の再生、親権争いという暗い話に、あのかわいらしい音楽。雨だれのようでもあり、その小さな物語に寄り添ってくれている。
★ ★ ★ ★ ★
自己実現。親権・養育権争い。夫婦のあり方。その中での子ども。
子どもの価値。
親権・養育権争いが、相手への報復になっている場合になっていることもある。優位性を示すための争いになっている場合もある。自分の寂しさを埋めるための手段。離婚と言う”失敗”を補償するための手段になっている場合も。
この映画では、押し付け合いではなく、奪い合いで良かった。
奪い合いでさえ、子どもはこれほど傷つくのだから、押し付け合いや、放置された子どもはいかばかりなのか。
離婚こそしなくても、ずっと争いを見せられている子ども、夫婦げんかの八つ当たりをされている子ども、無視されている子どもの気持ちも、考えるだけでイタイ。
途中、テッドが女性と関係を持つさまが描かれるが、部屋の様子を覚えていなかった私は、ホテルかどこかで、一晩ビリーが放置されたのかと思ってしまった。
では、家だからよいのかと言えば、そうでもなく、現実場面では、親と恋人の喘ぎ声が聞こえてくると苦しんでいる中学生や高校生もいる。
親も一人の人間ではある。どう生きるかはその人次第ではあるのだろうが。
この映画のように、ビリー(子)のためにどうしたらいいのかを一番に考え、親の独りよがりではなく、子の気持ちに共感し、大切に思って行動してくれる親が増えますように。
一緒にいる、別れて生活する、そのどちらでも、自分の話に耳を傾けてくれて、大切にしてくれる経験があれば、子どもは、その子なりに幸せなのではないだろうか。
『となりのトトロ』の、さつきとメイの母も、入院していて別居状態だが、髪をすいてもらい、話を聞いてもらい、寂しさはありつつも幸せそうだった。
愛の形は一つではないと思う。相手の立場にたって、何ができるかだと。それが相手が許容できて、自分も無理しないことなら、それが、その人たちの愛の形なのではないかと思う。
演技力が高い
タイトルなし(ネタバレ)
2024年ゴリゴリ令和の現代に見るには古過ぎる内容で
見方で意見が結構割れそうである
当時 評価されたのは時代的に分からんでもないが
現代でもこんなに評価点数が高い理由が謎
ウーマンリブって嫌味言ったり子供のいる家に
女連れ込んだりする父親が何故 良いパパ的な見え方?
題名がクレイマーVSクレイマーなら
母親だけが子供を捨てた情緒不安定のプッツン女ってみえる設定やめてや
これ設定が反対で父親が出て行って母親が仕事に出る事になったとしても当たり前に同じ様に懸命に全てこなすで
あと子供を産んだだけで母親の方が父親よりえらいんですか!?的な裁判シーンあったけど、当たり前にそうやで
生死をかけて自分の人体で10ヶ月も育てて股から血だらけで産むねん
アホな質問すんな
クレイマー、クレイマー現象‼️
ラストがより考えさせられる作品!
テッドとジョアンナ・・・この2人とビリーは結局どうなったんだろう?
ラスト、エレベーターに乗るシーンが衝撃的な終わり方でびっくりした。
3人が一緒に暮らすのか、いやそんなことはないだろう・・・
ジョアンナだけ話をしにいって、テッドとビリーが二人でこれまで通り暮らす可能性もありそう・・・じゃあ、なぜ、テッドはエレベーターに乗らなかったのだろうか・・・などなど色々な疑問や憶測を思わせつつ終わる感じが、やはり名作と思える。
ビリーのことを考えていくと、全編を通して、泣けて泣けて、いても立ってもいられなくなってくるぐらい切ない気持ちになる。感情が入っていきながらも、それぞれの役者さんの名演技が光る名作だと思う。
ジョアンナは身勝手で無責任
妻のジョアンナに出ていかれた夫テッドが、慣れない子育てに奮闘する様が面白い映画。テッドのフレンチトーストの作り方が雑なのは、彼が仕事ばかりしていて、普段家事をしていない様子を表していた。彼は副社長への昇進がかかった大仕事を抱えている中で、並行して子育ても行うのはとても大変だ。そんな状況でも彼なりに息子を愛しているのが窺えて、良い父親だと感じた。
裁判のために、年末になって転職活動をしてすぐに転職先を決めてしまうのは、雇用の流動性の高いアメリカならではだと感じられた。転職先の会社は、納会らしきパーティをやっていた。周囲がパーティで浮かれている中、一人面接を受けるテッドの姿は、彼の状況の辛さを表せていた。ここはアメリカの文化の一端が分かる興味深いシーンで面白かった。
この映画を観たのは2度目だが、改めて妻のジョアンナの行動は身勝手で無責任だと感じた。本当の自分を探したい、などと言って勝手に家を出ていった挙げ句、息子への愛情に気づいたと言って親権争いの裁判を起こす。テッドが「ハガキ2、3枚送ったくらいで母親づらするな」と言っていたが、まさにその通りだ。それならばテッドの仕事の状況を考えて、家を出ていくときに息子も連れて行くべきだ。
君一人でいけ。僕はここにいる。
こないだDVDで鑑賞しました💿
ダスティン・ホフマン演じるテッドは、毎日仕事で帰りが遅くなっているようで、家のことはメリル・ストリープ演じる妻のジョアンナに任せきり。
ある日ジョアンナは我慢の限界に達し、幼い息子のビリー(ジャスティン・ヘンリー)を残し出ていきます。
そこからテッドは仕事と家事を両立せざるを得なくなり‥。
最初はマトモにフレンチトーストを作れなかったテッドが、後半で普通に作れるようになっているのがいいですね。
その後半のシーンは、テッドとビリーの心情もあり哀愁ただよう名シーンになっていると思います。
2人が交わす視線、笑顔でありつつもどこか悲しげな表情‥会話は少ないながら、2人の気持ちが伝わってきます。
メリル・ストリープも、どこか不安定なジョアンナを上手く演じていたのではないでしょうか。
裁判で足を組みながら証言するシーン、ラスト前のエレベーターでのシーン、個人的に瞳が注目ポイントでは❓なんて思ったりしてます🙂
上質なヒューマンドラマですね👍
裁判シーンで見つめ直すことができる映画
映画自体は凝ったストーリーではないので、わかりやすかったですが・・・
どっちもどっち。個人的には両者の行動に感心できませんでした。大人の事情は子供に理解できるかなぁ。自分が子だったら心広く捉えられるとは思えませんね。
---気になったシーン---
・フレンチトーストに苦戦するD.ホフマンを観て...
→今では当たり前と思うけど、男も仕事だけでなく家事もやるべき!というメッセージ性を感じた。
・パーティーで賑わう中、席で一人面接の結果を待つD.ホフマン
→ポツンと座ってる姿に哀愁・焦り・怒り等の苦悩が出てて気に入ってるシーンです。
この時代は今と比べれば人生の選択肢は狭かったでしょう。しかし離婚率は少なかったわけで、その理由を各弁護士からの質問で感じ取ることができます。私は裁判シーンが一番引き込まれました。豊かで言い訳を作れてしまう現代と昔、どちらがいいのか難しいですね。
ケンカしたり不満になったとき裁判シーンを観れば「確かにそうだな」と冷静になれます。少々キツイ言い方もありましたが教訓になると思いました。
辛口ですが、ラストは優しく言えば和解して良かった感じですが、キツく言えば、新生活があるのに先々もっと複雑な気持ちで暮らすことになるよ、踏ん切り付けないと相手に迷惑かけないかなぁ。 そんなエンディングにも見えましたね。子供が可愛いからといって自分たちの進路が見えない。
まぁそれが人間ってことで。
フレンチトースト・・・
食パンを生卵と牛乳をミックスした液体の入ったマグカップにどっぷり浸してフライパンで焼く。。。冒頭と最後に出てくるフレンチトーストを親子で料理するシーンです。この映画を最初に観たのは確か大学生の頃(30数年前)。アメリカに憧れて英語に耳を慣らしたくて貪るように洋画を観まくっていた頃です。その時は、この馴染みのないフレンチトーストという食べ物が衝撃的だったのを覚えています。普段我々が上品にトーストして食べてる食パンをなんて大胆な食しかたをするものだろうか、と。ますますアメリカへの夢が膨らんだものです。
映画って同じ作品でも観た時の自分の年代だったり、生活環境だったり、精神状態が違えばその印象も違ってくるものです。この映画は大好きなので何度も観たのですが、今回改めて衝撃を受けたのがメリル・ストリープの怪演です。この映画はざっくり言うとシングルファーザーになって子育てに悪戦苦闘するダスティ・ホフマン演じるテッドを善しとして、それに対して一度は家族を見捨てながら都合よく親権を取り戻そうとする身勝手な妻のお話です。この悪者役を必要以上に生々しく演じているメリル・ストリープ。この人の演技は観る人の心をえぐるほど生々しい。「ソフィーの選択」でもえぐられた。この映画で主演女優賞をとったわけだけど、実は主役で当時人気絶頂で同情を集める側の役回りだった主役のダスティー・ホフマンが彼女の名演技の引き立て役だったのではないか、と思わせるほどでした。
ところで、前述したとおり、私の解釈はこの映画は夫を善しとして妻を悪とする、もろに男性目線の映画だと思うんです。私も映画を観ながら「がんばれ、テッド」と応援してしまいました。果たして女性から観たこの映画はどのように映るのでしょうか?妻の言い分に同情して男社会を憂うのでしょうか?それとも女性の嫌な面を見事に演じるメリル・ストリープを見て嫌悪感を抱くのでしょうか?それとも私の受け止め方が根本的に間違っているのでしょうか?むちゃくちゃ興味あります。もし思うところありましたらコメントいただければ幸いです。
子どもが一番の被害者
夫がパパになっていく成長物語
足並みがバラバラになってしまった夫婦。
父が子育てし始めたのは妻が出て行ってから。
会社の上司の方が子育ての大変さを現実的に捉え、当の本人は楽観的。現実を見れていなかったとも言えそう。
7年、、、夫を責めずに自分を責めて自信喪失するまで、妻はよく耐えたと思う。
ワンオペ
モラハラ
ノイローゼというかもはやクライシス
などと簡単に言い表せられない7年間、本来の自分からだいぶかけ離れていっただろうなと思わされるメリル・ストリープの演技が印象に残った。
そして、デザイナーとして、元夫より年収超えていたのもカッコよすぎだった。
とはいえダスティンも
息子と2人になってからは、次第に子どもを優先する父に変化していたから
また3人で暮らすことにすれば、家族再生のチャンスも期待できたのではないかとよぎった。
それくらい、父母どちらと暮らしても大丈夫そうと思わせてくれる成長ぶりだった。
両親どちらが好きか?
この質問、子どもは選べない、残酷な質問とよく聞くが
弁護士さんと同様、正直聞きたくなる心境だった。
裁判に勝つためではなく、子どもの負担にならないための選択を貫いていて、良いパパになったと感じた。
自分のためだけの生活と
家族とともに過ごす人生
どちらのパターンでも、自分らしく生きられることが絶対大事だという自分自身の価値観を再認識することができた。
仕事と育児の両立ができている人を心から尊敬している。また、思う存分やりたい仕事に没頭できていることも素晴らしいと感じる。
男だから社会に出て活躍する
女だから家庭に収まり子育て家事専念
やりたくてやっている人はそれで良い
葛藤があるなら、探求していくべきだと思う
何かの動画で、他人を納得させなくて良いというセリフを聞いた。
答えは自分だけが知っている。そこに向かえば良いだけだ。これがまた、雑念に流されるから厄介なんだけど。。。
本来の自分らしさでいられるようになれば、周りの人たちとの関係性も深まると思う。それがまた、生きやすさにもなるんだと思う。
ありがとう ごめんなさい 大丈夫 など
ちゃんと周りの状況を見て、素直に表現できる人
必要とされる人になります。
家庭を顧みない夫が妻に出ていかれ、親権を争うことに。 息子と二人に...
夫婦の私的な価値観のズレを裁判で決める現代社会の一端を象徴するリアリティの秀作
女性の自立と共に男性が享受してきた社会的地位の瓦解がマスコミで話題になる時代だ。そこで黙っていられなくなった夫たる男性が、何処か惨めに見えるのも今のご時世ではないだろうか。そんな不満を持つ男性諸君に捧げる映画として、このアメリカ映画は感動と同情を得て、アカデミー賞では作品賞を受賞し、アメリカ社会から10年遅れのこの日本でも大ヒットしている現状は面白いと言えばおもしろい。しかし、そんな単純な見方だけでは、この脚本家出身の映画作家ロバート・ベントンの秀作は済まされない、もっと奥深い内容を持っている。それは、女性の権利と男性の権利の相互対決といった自己主張の言い争いに止まらず、人としての生き方の問題として扱っているところが、この映画の大人たり得ている一端である。ただし、映画の最初に妻の一方的な家出を物語の起点にしている為、女性の自立に説得力が無く、それだけ夫に同情が行くような物語の設定になっていた。家出前の夫婦の実態を敢えて説明しない作劇は、、男性側の立場を貫いている。これが成立した理由は、何といっても妻役のメリル・ストリープの演技力によることが大きい。単なる我儘ではない、苦しんだ挙句のやむにやまれぬ家出だったことを見事に表現していた。ダスティン・ホフマンとストリープの夫婦役に違和感があるにも拘らず、互角の演技力で乗り切っている。キャスティングの妙味と言えよう。またベントンの演出の、全編簡潔で明快なリアリズムでマンハッタンに住むサラリーマン家庭を描いているリアリティが、過度のドラマツルギーを排除して、物語の本質を描き出す説得力を高めている。意図的に情感を抑えて、リアリティだけで押し通した映画の模範と評価出来よう。
この映画において最もショッキングなことは、夫が仕事に夢中で家庭を等閑(なおざり)にした結果、離婚することよりもはるかに、子供をどちらが引き取るかを法の判決で持って決められるという、一家庭内の私的な問題が社会の法律によって左右されることだ。他人同士が夫婦になる意味では当たり前なのだろうが、改めて気付かされる。裁判で夫婦が弁護士に相互に詰問されるところは、真に痛々しい。夫婦間では相手を傷つける為の発言ではない言葉が、そこでは意味を履き違えられた武器になってしまう怖さである。そこには夫婦生活の真実は語られない。しかし、映画の結末は、子供を育てる父親の苦労から母親の本音の部分を温かく見詰めて、父と母と子のホームドラマに転化させている。この感動的なシークエンス作りは、適切と言っていい程に中庸を得た上手さであった。新しい感覚のリアリズムによる、現代人の夫婦の在り方を模索して観る者のこころを捉えた、この社会派映画の存在価値は高い。子役のジャスティン・ヘンリーの自然な演技、ダスティン・ホフマンの演技の巧さ、特にメリル・ストリープの演技の素晴らしさと共に。
1980年 4月11日 丸の内ピカデリー
40年前は、アメリカ映画の新作を観れば10年後の日本社会が予想できた。21世紀はそのタイムラグが短くなり、現在はインターネットの普及により殆ど無くなりつつある。記憶にあるのは20代の頃、映画からではないが、アメリカの女性へのアンケートで、モテる男性の条件に料理が出来る項目が上位にあって驚きつつも、自分も料理を覚えないといけないと思ったことがある。中学時代は自分で学校の弁当を作っていたし、冷蔵庫や電子レンジが家に初めて来た時は説明書の料理レシピを参考にアイスやグラタンなどを作っていた。少しは出来たが、結婚して休みの日にやるようになって、定年後の今では平日の夕ご飯作りを苦も無く担当している。私の年代の上の男性は仕事100点家事0点でも許されて、いまの40代以上の年代は仕事100点家事50点が要求され、現在は仕事も家事も100点でないと理想の旦那さんには成れない。勿論一般サラリーマンの話で、職業や収入により差があるであろう。それでも今の若い男性には同情する。会社時代は、よくアルバイトの男子大学生に、アメリカ映画の新作を観ることと、兎に角料理を覚えることを勧めていた。
映画を観て来て得た知識に、男女の性差がある。この映画の子供は男の子だが、大概の夫婦間の力関係は子供の性で判断できる。亭主関白の家庭は女の子が多く、かかあ天下は男の子が多い。女性の男性的な面と女性的な面の割合を観察すると、何となく生まれてくる子供の性が分かって来た。親戚の子供の殆どを当てている。私も子供が生まれる時に、妻には男の子と断言していた。メリル・ストリープが演じた女性は男性的な仕事人間が合っている。家事と育児に追われて解消できないストレスを抱えていたのであろう。この映画を参考にして私も、子供がある程度成長してからも妻には仕事をする事を勧めた。幼稚園や保育所に行くまでの子育てをする女性は、やはり大変だと思う。映画からは、色んな事を教わる楽しみもある。
両親の離婚を経験した人間から見ると、理解できない場面も多い作品。評価に困る。
初めての鑑賞
家庭を顧みない、仕事人間の夫
自身が打ち込める仕事につきたいが、夫の理解が得られず不満の妻
これ以上の結婚生活は無理と、一人で家を出る妻
その後、子供の親権をめぐって裁判で争う、元夫婦の物語
自分は両親の離婚、親権争いを経験してるので
大人の自分勝手な言い争いに見えてしまった
置いて行かれた子供から言わせれば、母親を選ぶ理由は無いです
理由はどうあれ、捨てられたのですから
一度はあきらめた子供の親権を取り戻したい母
これからも自分が育てていくことを望む父
裁判に敗れ、子供を元妻に引き渡す日
全然料理ができなかった父が、息子との最後の朝食を手際よく作るシーンは
たしかに胸に刺さった
40年以上前の映画に今さらだが
奥さんに家出された夫が、仕事と子育ての両立に奮闘する物語
のほうが良かったのではないかと思う
最後のシーンは謎が残った
母は子供をあきらめた?
この家に戻ってやり直すようには見えなかったが・・・
見る側にラストをゆだねたのかもしれないが
何のための裁判だったのだろう・・・・
自身、あるいは両親でもいいが
全く離婚の経験がない人間が見たらいい作品かもしれない
ビリーも、もう50歳かぁ~
そうだよなあ。数十年ぶりに観たので細かいところは忘れていたけど、やっぱりいい作品
今回、新発見したのは、「クレイマー、クレイマー」じゃなくて
「クレイマー 対 クレイマー」なんやね(^-^;
こっちの方がわかりやすい。
全88件中、1~20件目を表示