木を植えた男
劇場公開日:1988年6月23日
解説
南フランスの山岳地帯を舞台に、荒れ果てた土地に長年に渡り木を植え続け、緑あふれる森を蘇らせた男を描いた短編アニメーション。原作はジャン・ジオノ。監督は「クラック!」のフレデリック・バック。ナレーションはクリストファー・プラマー(英語版)、フィリップ・ノワレ(仏語版)、三國連太郎(日本語版)。1987年度アカデミー短編賞(アニメーション部門)、アヌシー・アニメーション・フェスティバル、広島国際アニメーション・フェスティバル・グランプリを受賞。1988年6月23日より東京・シブヤ西武シードホールにて開催された「フレデリック・バックの世界『木を植えた男』」にて上映。2011年7月2日より東京・神保町シアターにて開催された「木を植えた男。フレデリック・バックの世界」にてリバイバル上映。
1987年製作/30分/カナダ
原題または英題:L'Homme qui Plantait des Arbres
配給:レーザーディスク
劇場公開日:1988年6月23日
ストーリー
1913年、「私」は南フランス・プロバンスの山岳地帯を歩いていた。そこは荒れ果て不毛の地となっていて、僅かに暮らす住民たちは荒んだ生活を送っていた。ベルゴン村を過ぎ山へと進んだ私は、疲労と脱水により遭難しかけるが、初老の羊飼いと出会い救われる。男は村を離れ独りで暮らしていた。男の家に泊まることとなった私は、夕食後男がドングリの実を選別するのを見る。そうして傷んでいないドングリを100個揃えた男は無言で床に入った。そのことに興味を抱いた私は翌朝出発を先延ばしにし、男と共に山に出かける。羊の世話を番犬に託した男は、持っていた鉄製の杖を使い地面に小さな穴を掘り、そこにドングリの実を埋める。この土地は男の物かと問うた私に、男は違うと答える。所有者すら知らない不毛の土地に男は、丁寧に100個のドングリを埋めていくのであった。昼食後男はまたドングリの選別を始める。しつこく質問する私に男はようやく重い口を開く。ドングリは柏の実で、3年前から埋め始め、既に10万個の実を埋めたこと。そしてそのうち2万個が芽を出したが、自然淘汰でその半分の1万本の木しか育たないであろうことを。妻子を病で失った自分がこの土地で出来る「仕事」はこれだけだ。願わくばこの木々が山を埋め尽くすまで生きて、この仕事を続けていきたいと。翌年始まった第一次世界大戦で従軍した私が生き延び、再び男と会ったのは5年後のことだった。男が植えた木はこの5年で育ち、不毛の大地を替えていた。私は「人間は破壊以外の領域でも神と同じく全能なんだ」と実感する。男の手と心で生まれたこの林のことを、人々は自然林と信じて疑わなかった。そしてそのおかげで男は邪魔をされずに黙々と木を植え続けていたのだった。私は1920年以降は毎年男の元を訪ねた。その間も男は黙々と木を植え続け、林は森へと成長していくのだった。森が重大な危機に晒されたのは、1939年に始まった第二次世界大戦の時期だった。木材切り出しのため、1910年代に植えた柏から伐採され始めたのだった。しかし不便な山奥にあったことが幸いし、採算割れのため伐採計画は中止となる。男はそんな世界の情勢にかまうことなく、黙々と木を植えていくのであった。この大戦により私は8年間男を訪ねることが叶わなかった。1945年、私はなじみの道を、バスに揺られて向かっていた。しかし目的地に近づいた私は、あまりの変わり様に目を見張る。かつて荒れ果てていたベルゴン村は、豊かにそして活気づく町へと変貌していた。そこは誰もが住みたいと羨望する土地に変わっていたのだった。新しく移住した住民を合わせおそらく1万人以上の人間が享受するその幸福は、羊飼いの男=エルゼアール・ブッフェ、ただ1人のおかげであった。ブッフェは1947年養老院で安らかに息を引き取った。
スタッフ・キャスト
- 監督
- フレデリック・バック
- 原作
- ジャン・ジオノ
- 製作総指揮
- ユベール・ティソン
- 製作
- フレデリック・バック
- 撮影
- クロード・ラピエール
- ジャン・ロビヤール
- 美術
- フレデリック・バック
- 音楽
- ノーマン・ロジェ
- 編集
- ノーバート・ピカリング
- アニメーター
- フレデリック・バック
- アシスタント・アニメーター
- リナ・ギャニオン
- 日本語字幕(2011年版)
- 平岡恵実
- 加藤リツ子
- 日本語字幕監修(2011年版)
- 高畑勲
- ナレーター(英)
- クリストファー・プラマー
- ナレーター(仏)
- フィリップ・ノワレ
- ナレーター(日)
- 三國連太郎
受賞歴
第60回 アカデミー賞(1988年)
受賞
短編アニメーション賞 |
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