去年の夏突然にのレビュー・感想・評価
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セバスチャンを巡って
姪が叔母によりロボトミー手術を受けさせられそうになる話。 そこに不在のセバスチャンが絡んでくると、急に面白くなるのです。 あの母親のセバスチャンを語るときの言い回しが凄くて、 「誰もがセバスチャンと私のことを親子ではなく、セバスチャンとヴァイオレットと呼んだ」みたいなこと言うのよね。こんなにも一文で彼女の性格と彼女らの関係性を言い表せるものかね。 さらには、姪のキャサリン。 彼女も凄いこと言い出すのよ。 セバスチャンが彼女を出しにして、男を捕まえていたって……なんていう話だよ! それを黙らせるために叔母にロボトミー手術を受けさせられるなんてさ。 この辺りの会話がピークで面白かったですな。 そんでおかしくなったキャサリンは自殺未遂までする。 テネシー・ウィリアムズの女性キャラは、 毎度悲惨な目にあう。 今回も露骨にテネシー味溢るる作品だった。 同性愛者の従兄弟を持った女が、酷い目に遭う。 持った女側から描くのがお決まりの手法だ。 (というよりも、当時は持った側からの作品しか描けなかった、と言う方が正しいかもしれない。) 「熱いトタン屋根の上の猫」 「欲望という名の電車」しかり。 ラストの真実が明かされる場面。 キャサリンは卑猥な水着を着せられ、 客寄せに使われる、本当になんて話だよ そこからの流れで、物乞いの楽器隊が登場するのだが、 あそこが割に不自然に感じた。 何か隠したがっているような……。 (と思ったら、男娼を置き換えているよう。 なるほど、そのままは描けない訳だ。 だから、映画が終わってもなお、セバスチャンの謎はベールに包まれ続ける。) エリザベス・テイラー、存在感がすごい、 それだけでなく演技もすごい。 もう佇まいから何からすきだわ。 (何故か「紳士は金髪がお好き」のジェーン・ラッセルや、「八月の鯨」のリリアン・ギッシュと混ざるのよな…。彼女はクレオパトラの人。。) キャサリンヘプバーンも安定した自然な演技を見せつけていた。 監督は「イブの総て」のジョセフ・マンキウィッツ。
同性愛を描いた最古の映画(だと思う)
テネシーウィリアムズはポールニューマンが監督した映画、ガラスの動物園(1987)によって知っている。 ほかのゆうめいなエリアカザンやリチャードブルックスの映画も見たことがあるが、じぶんとして、もっとも大きいのはポールニューマン(が監督した)映画のガラスの動物園であり、とりわけトムを演じたジョンマルコビッチによって、強い印象がある。 わたし/あなたがガラスの動物園の一家ほど貧しくなくても、ガラスの動物園のトムやローラは、胸がくるしくなるほど、じぶんと重ね合わせることができる。テネシーウィリアムズは、そんな普遍性をもっている。気がする。歳をとっているのにぶりっ子なブランチ(欲望という名の電車)だってそうだ。何気にリアルでシンパシーを感じてしまう人物像にテネシーウィリアムズの鋭いにんげん観察力がある、と思っている。 とはいえわたしは極東のお百姓なので、テネシーウィリアムズといっても舞台も見たことはないし、それらの二三作の映画で知っているていどである。 たまさかストリーミングサービスに降りていた、この映画もはじめて見た。 墓場までの秘密にしなきゃならなかった時代の同性愛を扱った映画だった──らしい。ウィリアムワイラーの噂の二人よりも二年早いが、同性愛がほとんど明示されない。同性愛の描写はもちろん、同性愛ということばも、出てこない。それほどまで同性愛がヤバいものだったわけだが、今見ると、必然的に、なにを大騒ぎしているのだ──の感はある。 というより、その隠匿や大仰ゆえに、メタファーとか諷喩によって、なんかまったくちがうものを描いているような気配さえ感じる。 ラストでセバスチャンが「食われた」というのは、げんじつに同性愛がバレると、リンチして死にいたらしめるようなことが普通にあった時代だから。だと思う。 この今となれば、解りにくい物語を(わたしなりに)叙説すると、セバスチャンは異国で、性的欲求を満たすべく、現地の青少年を漁っていた。その方法は、かつては母ヴァイオレットが餌となって男たちを誘惑していたが、老いると母はその任を姪キャサリンに託した。やがてセバスチャンは「現地の貧しい青少年を拾っては悪戯する同性愛者」の悪名が知れ渡り、結果、少年らによって八つ裂きにされ、それを目撃した姪のキャサリンが狂乱した。その顛末を悟られたくない母ヴァイオレットが、事実を知るキャサリンにロボトミー手術をしようと画策する──という話。(だと思われる。) 現代では、解りにくい物語になっているが、キャサリン(エリザベステイラー)は扇情的に描かれている。お嬢さん役を脱皮し、肉がつきはじめたころで、ギラギラとした性的アピールがあった。よく知らないがエリザベステイラーは太りやすいひとだったのではないだろうか。この後さまざまな映画で小太りなテイラーを見た。わたしは太ったエリザベステイラーがだいすきだった。 自身がゲイだったテネシーウィリアムズはじっさいにこうしたヘイトクライム(集団暴行)に遭って書いたのかもしれない。興味深い古典映画だったが、戯曲の映画化だけに、回想しているのに、その時その場所へ飛んでくれないもどかしさがあった。ラストシークエンスは部分的にフラッシュバックがあったが、「こんなことがあった」をほとんど演技力に依存していて、テイラーがもっとも難しい役どころだった。
釣り餌
去年の夏〈イタリアのアマルフィで… 〉という話なのだが、原作者(脚本)テネシー・ウィリアムズは 観光地での アメリカ富裕層の狼藉 (この場合はゲイ) を物語っている
死んで回想部分にしか登場しないセバスチャンの
キャサリン(かっては母親も)の利用の仕方が衝撃的!
彼の死で 記憶喪失、神経衰弱になった彼女を
テーラーが好演している
(監督が信頼を寄せるマンキーウィッツなせいか… )
テーラー、リーといった絶世の美女が ウィリアムズ作品と相性がよく、共鳴するみたいなのが不思議
彼の作品は自身が投影されているが
この場合はセバスチャンだろう
(暴行された経験もあり)
なお実姉も ロボトミー手術をされてしまい
生涯気に病んでいたらしい
これは とても 気の毒に思う
このスタッフはゲイが多いが(笑) 富裕層ゲイの観光地での悪習慣(悪業)をよく赤裸々に描いている
ウィリアムズは「ストーン夫人のローマの春」(映画「ローマの哀愁」の原作)では 観光地の闇に引きずり込まれる孤独な富裕層も描いている
セバスチャンの語った「肉食鳥の話」や邸宅の「食虫植物の存在」は 自然界が(純粋に) 弱肉強食であることを示している
彼も最終的には集団となった弱者(強者に転換)に襲われ絶命する
しかし人間社会には 神の不在も感じられ、力関係の中に人の持つ業のようなものが見え隠れする
それに、ウィリアムズは深く傷ついたのだろうか
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