「鬼才ドライヤーの代表作だが、個人的には響くところなく……」吸血鬼(1932) じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
鬼才ドライヤーの代表作だが、個人的には響くところなく……
カール・T・ドライヤーを観るのは恥ずかしながら初めてだったが、正直、ここまでナラティブの分からない映画を前向きに評価するのは難しい。
この映画を激賞する人がたくさんいることは知っているし、作品の価値を全否定するつもりもないのだが。
本作の「筋の追いづらさ」が、映画の面白さに寄与しているとはどうしても思えないんだよね。
ただ単に退屈させる要素にしかなっていない、というのが、個人的な印象。
そこは曲げようがない。
(ちなみに、筋が追いづらくとも、むしろそれ故に傑作たり得たと思える作品だって『去年マリエンバートで』とかタルコフスキーとかそれこそ星の数ほどあるので、「筋が追えないから」という単純な理由で否定しているわけではない)
これで、どの作品もこんな調子なら、単純に僕と監督の相性が悪いだけ、ということになるのだろうが、数日後に同じシネマヴェーラで観た、同監督の『怒りの日』には、心底打ちのめされた。
なんだ、これ? オールタイムベスト級の大傑作じゃないか!!
(たぶん、もう一つの代表作『裁かるるジャンヌ』も、この路線なのでは?)
ぶっちゃけ、今まで何本か観たベルイマンやブレッソンより断然面白かったくらいだ。映画.comに項目がなくて、レビューがここでは書けなくて残念だけど。
というわけで、『吸血鬼』に「かぎって」は、僕は相性が合わなかったようだ。
『怒りの日』の室内描写は常にひりひりしているが、『吸血鬼』のそれはひたすら冗長だ。
『怒りの日』の森を往く男女はあまりにせつなく美しいが、『吸血鬼』のそれは単にけぶっているだけだ。
とにかく、いったい誰がどういう役回りで、今なにが起きていて、なんのために部屋を出たり入ったりしているのか、皆目分からない状況でえんえん付き合わされるのは、半分苦行のような感があった。
唐突な吸血鬼の白骨化や、窓に映る吸血鬼の影、終盤の幽体離脱なども、面白いといえば面白いが、どっちかというとアイディア倒れの気配が強いし、何よりショットの組み立ての「間合い」がいかにも悪い気がする。吸血鬼の解説書が大映しになっては、ある種の「物語のガイドライン」の役割を果たすというのも、あまり気の利いた手法とは僕には思えない。
そのなかでも、一番面白かったのは、悪い医者が粉小屋で生き埋めになるシーン。
『カリオストロの城』の時計塔みたいな小屋の内部構造が刺激的だし、あれで人間死ぬのかどうかはさておき、凄惨なリアリティには目を釘付けにさせられた。
『吸血鬼』は合わなかったけど、カール・T・ドライヤーという監督自体には『怒りの日』でこのうえない興味を抱いたので、ぜひいつかコンプしてみたい。