吸血鬼(1932)のレビュー・感想・評価
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巨匠の作品だし、オシャレだけど、眠い(笑)
カール・テオドア・ドライヤー、デンマークの巨匠でゴダールにも影響を与えたらしいけど、今回が観るの初めてです。
白黒時代のクラシカルホラーって『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『フランケンシュタイン』や『狼男』など、なんかオシャレですよね。
この映画もオシャレだけど、静かめで眠いです(笑)
でも、おっ!と思う表現や演出がありました。
そこが、とても良かったです(笑)
寝落ちしてしまいました。睡眠不足が原因です。
昨夜、2時間か3時間ほどしか寝ていませんでした。睡眠不足なのはわかっていましたが、体調は正常でまさか上映中に寝落ちしてしまうとは考えてもいませんでした。断片的にしか覚えていないので、正しく評価することができません。申し訳ありません。昭和8年製作の映画で、今の目で見ても新鮮で違和感がありません。見る価値のある映画だと感じます。
闇と小麦がもたらす光
月光下で蘇る吸血鬼とその助手たちが暗躍する殺人事件をきっかけに平衡感覚を失い、魂も抜け出す幻影に取り憑かれる青年。彼の通過儀礼か悪夢なのか、語りの視点の曖昧さがもたらす効果が実験映画さながらです。
不穏な影の躍動に蹂躙される住民は夢想家の青年を通して、その影を漂白し、生命の輝きを白日の元で享受することが白黒の明暗で分かり易いくらいに伝わってきます。
半サイレント半トーキーのような映画で、全体を通して控えめな伴奏曲がありますが、音や声がとても効果的に相乗効果を生んでいて、むしろ新鮮です。
夢か現か
吸血鬼的なもの・宗教的なもの・異なるものは実体か、個人の(または集団の)内的不安の投影によるものか、という近代(化)に関わるテーマは、『裁かるゝジャンヌ』から引き継がれている。死者の蘇りは『奇跡』へ。/映像トリックが、実態か投影かを朧にする効果を持っており、面白かった。
ドライヤーの演出が光る
「カリガリ博士」や「ノスフェラトゥ」を思い出した。
最後の棺桶からの演出が凄いのよ。
やっぱり誰も考えつかないような演出してて、
全ての映画作家が彼の映画の影響を受けてると思わせられるような一作だった。
こんな映画が90年前にできていたなんて。
1932年。カール・テオドア・ドライヤー監督。悪魔研究に没頭するあまり、幻覚と現実の区別がつかなくなった青年が訪れたホテル。そこで手にした謎のメッセージに導かれて訪れた屋敷で、青年は不気味な老婆や医師を目撃する。その屋敷には禍々しい何者かの影が立ち込めていることに気づいた青年は、受け取った書籍を読む解くことで、その正体を暴こうとする、、、という話。
久しぶりに見たがすばらしい作品。トーキーが誕生して間もなくの作品にもかかわらず、映像と音の調和で(音を最小限に絞ることで)恐怖を盛り上げている。これが幻覚、これが現実と律儀に区分けせず、「幻覚と現実の区別がつかなくなった青年」という冒頭の紹介を見事に映像化していて、観る者の現実感覚を揺るがしている。そこかしこに実験的な映像表現が盛り込まれていて、有名な死体の主観や幽体離脱などはこれしかない表現になっている。死体の主観とは、主人公が死者となった自分を見る(たぶん幻覚のなかで)場面のあと、その死者が見る映像がカットバックされて何度も映るという信じがたい映像。映画史上、死者の視線をこれほどなまなましく、生きている者のリアリティで描いた作品はないのではないか。
後半では、古い伝承に従って吸血鬼を退治し、吸血鬼に協力していた医師は機械の力で成敗するのだが、端正なアクション映画のようにきびきびとした展開で気持ちいい。こんな作品が1930年代に生まれていたことを考えると、映画は衰退しているということを信じたくなる気持ちを抑えるのが難しい。しかし、いい映画に触れて人生が明るくなったのは間違いないので、ありがたい限り。ドライヤー特集2度目のイメージフォーラムさん、いい仕事しています。
洋風怪談映画としてみると楽しめます
1932年公開、フランスとドイツの合作
白黒の一応ごく初期のトーキー映画で音声や劇伴もあります
が会話シーンは極力少なく無声映画ぽく作られています
邦題は「吸血鬼」、DVDのタイトルは「ヴァンパイア」となっています
世界最初の吸血鬼映画はドイツの1922年の「吸血鬼ノスフェラトゥ」です
本作はその10年後になる訳です
米国映画の「魔人ドラキュラ」は1931年で2番目、本作は1932年でそのあとの作品になります
しかし本当は1930年に撮っていたようで、ゴタゴタで公開が2年も遅れたようです
監督はデンマークの人で、その北欧の風土がそうさせるのか、おどろおどろしい日本の怪談映画ぽい画作りになっています
設定は、だいたいのところ今日の我々が知る吸血鬼そのものとなっています
しかしドラキュラ的なシーンはありません
洋風怪談映画としてみると楽しめます
鬼才ドライヤーの代表作だが、個人的には響くところなく……
カール・T・ドライヤーを観るのは恥ずかしながら初めてだったが、正直、ここまでナラティブの分からない映画を前向きに評価するのは難しい。
この映画を激賞する人がたくさんいることは知っているし、作品の価値を全否定するつもりもないのだが。
本作の「筋の追いづらさ」が、映画の面白さに寄与しているとはどうしても思えないんだよね。
ただ単に退屈させる要素にしかなっていない、というのが、個人的な印象。
そこは曲げようがない。
(ちなみに、筋が追いづらくとも、むしろそれ故に傑作たり得たと思える作品だって『去年マリエンバートで』とかタルコフスキーとかそれこそ星の数ほどあるので、「筋が追えないから」という単純な理由で否定しているわけではない)
これで、どの作品もこんな調子なら、単純に僕と監督の相性が悪いだけ、ということになるのだろうが、数日後に同じシネマヴェーラで観た、同監督の『怒りの日』には、心底打ちのめされた。
なんだ、これ? オールタイムベスト級の大傑作じゃないか!!
(たぶん、もう一つの代表作『裁かるるジャンヌ』も、この路線なのでは?)
ぶっちゃけ、今まで何本か観たベルイマンやブレッソンより断然面白かったくらいだ。映画.comに項目がなくて、レビューがここでは書けなくて残念だけど。
というわけで、『吸血鬼』に「かぎって」は、僕は相性が合わなかったようだ。
『怒りの日』の室内描写は常にひりひりしているが、『吸血鬼』のそれはひたすら冗長だ。
『怒りの日』の森を往く男女はあまりにせつなく美しいが、『吸血鬼』のそれは単にけぶっているだけだ。
とにかく、いったい誰がどういう役回りで、今なにが起きていて、なんのために部屋を出たり入ったりしているのか、皆目分からない状況でえんえん付き合わされるのは、半分苦行のような感があった。
唐突な吸血鬼の白骨化や、窓に映る吸血鬼の影、終盤の幽体離脱なども、面白いといえば面白いが、どっちかというとアイディア倒れの気配が強いし、何よりショットの組み立ての「間合い」がいかにも悪い気がする。吸血鬼の解説書が大映しになっては、ある種の「物語のガイドライン」の役割を果たすというのも、あまり気の利いた手法とは僕には思えない。
そのなかでも、一番面白かったのは、悪い医者が粉小屋で生き埋めになるシーン。
『カリオストロの城』の時計塔みたいな小屋の内部構造が刺激的だし、あれで人間死ぬのかどうかはさておき、凄惨なリアリティには目を釘付けにさせられた。
『吸血鬼』は合わなかったけど、カール・T・ドライヤーという監督自体には『怒りの日』でこのうえない興味を抱いたので、ぜひいつかコンプしてみたい。
実験的ヴァンパイア
自分一人の名作探訪。『奇跡』に感銘を受けたドライヤー監督作品に挑戦してみました。
あまり内容を知らずに、どんだけ禍々しいヴァンパイアが出てくるんだろうと思って観始めましたが、禍々しいのはヴァンパイアその人ではなく、映像そのものだったという驚きの展開でした。
各所で実験的とも言える影の使い方がされていて、特に序盤の影を追うシーンは息をのむ緊張感がありましたが、なにせヴァンパイアということで、いつ物陰から大口開けて襲い掛かられるかと待っていたこともあり、結末的にはやや意外で、キョトンとしてしまった自分もいましたね。
各種解説を見てみると、なんだか解説ごとに内容説明が違っていたりして、様々なヴァージョンがあるのかな、この作品。また背景とか学んで、もう一度、観てみたい作品でした。
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