奇跡の海のレビュー・感想・評価
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神は教会にいない
1970年代、スコットランドの海沿いの村。信仰心のあついベスは、海洋油田作業員で村外のヤンと結婚。仕事で家を空けるヤンと離れるのが、ベスにはとても辛い。やがて彼は帰ってくるが、事故で全身が麻痺していた。ヤンの願いを聞いて、ベスは。
最後までテンポが悪く、入り込めませんでした。女性を虐げ、キリスト教に反発する監督のもと、ベスは最後に亡くなってしまう。ところがラストに驚き。観賞したトリアー監督作品の中で、一番良いラストでした。各章で絵画のような映像と、70年代のモットザフープルやディープパープルなどの楽曲が流れます。最終章はデビッドボウイの「 ライフ・オン・マーズ」。神は教会にいないで、火星に?ということか。
自らの足で苦難に進むヒロイン
ダンサー・イン・ザ・ダークにヒロイン像も主人公に苦難を与えてられることも似てるが、
奇跡の海の方がベスも自らの強い意志(思い込みでもある)で苦難に挑んでいく。
信仰と奇跡の関係はキリスト教ではない私にとっては、切実性を感じられないが
厳しい土地の田舎町の空気感と1970年代の時代感からくる閉塞的環境の中でベスが生きる為、幸せになる為に必死で信仰にすがりつく姿は痛々しいが彼女の切実な気持ちを否定できない。
起こることはハードだけど、ベスの意志で崖っぷちに進んでいるので、ダンサーインザダークよりは、観ている方の気持ちは楽。
ベスを心配する義姉のドドの優しさと献身さ。言っていることのまともさ、それでいてベスの見ている世界への歩みよりを捨てない人物であることが、この映画の絶妙なバランスを保っている要因だと思う。
ダンサーインザダークよりは、私は自分の信念と信仰による奇跡へ挑戦にするベスの旅路の方が好き。
悪い子でごめんなさいと言って死んでいくベスのシーンと、ダンサーインザダークの死刑のシーンはたぶん何度観ても泣いてしまう。
ダンサーインザダークは主人公がどんどんに追い詰められていくのが辛いがビョークの歌唱と、イマジネーション溢れるミュージカルシーンが希望になっている演出なのもいいが、この映画の希望になる部分が脚本と登場人物がしっかり担保してる造りが好きだなと思った。
配信で鑑賞
けっこうよかった
20分くらいの章立てになっていて、最初の3章までが眠くて1章毎に寝てしまい、最後まで見るのを諦めようかと思ったけど続きを見たら4章からようやくドラマが大きく動いて面白くなった。どんどんおかしくなっていく奥さんに目が釘付けだ。彼女は根が真面目すぎて派手な服を着ても全然似合わないのに、変なことをさせられてわけが分からないし、とにかく大変で気の毒だ。大きな船の人たちが嗜虐性の強い完全な暴行魔として描かれていて、いいのかな。
やっぱりパロディ
トリアー作品を暗い、重いって言う人は多いけど、私は、ある種のパロディと思う。
この映画も、キリスト教のパロディだ。
夫を愛し妄信する女主人公は、イエスを信仰する信者のカリカチュアである。
夫(イエス)の言う通りにすれば、救われる。そう信じて、夫の指示に従い、いろんな男と寝まくる女主人公。
「すべての人を愛せよ」というイエスの言葉を、そのまんま実践・実写化したら、実はこういうことになっちゃうじゃないの?というトリアーの嫌味である。
女主人公の住む村には、敬虔なキリスト信者たちが居て、ニンフォマニアそのものの女の行動に眉をしかめる訳だが、そんな信者たちよりも、実は女の方が真摯に愚直に神を信じている。女の行為は実に宗教的である。その行動は愚かで過酷であるが、信仰の真の姿とは、かように過酷なものなのだ。あなた達、既存の信者に、そんな覚悟はありますか?という、問いかけの映画なのだと思う。
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この映画が、何か非常に心に残る魅力を持っているのは、トリアーの考え方の面白さというよりも、エミリー・ワトソンの神がかった演技にあると、個人的には思う。
どうしようもなく愚かな女の行動を、愛の物語、信仰の恍惚へと、昇華させている。
「信仰」って変でしょ?のつもりで作った映画が、「愛」そして「信じること」の崇高さが際立つ映画になっている。
これ、「宗教って変だよね?」を問いかけるために、イエスの行動を敢えて写実的に撮ったパゾリーニの『奇跡の丘』が、数ある宗教映画の中でも実に感動的に仕上がってしまったのと、どこか似てるなあと思う。
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