カラーパープル(1985)のレビュー・感想・評価
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なぜ人は他人を支配したがる?
米国の優生思想は根深い
今でも黒人差別は当然かのごとく主張する輩も後を絶たないし
ただその米国で、白人からだけではなく、同じ黒人男性による黒人女性への差別が社会的に横行してたことを、知らなかったのでこの映画を見て驚愕でした
本当に見て良かった
記録として、ずっと記憶に残る素晴らしい映画でした
男性は女性より自分が弱いことを本能で分かっているからこそ、女性の進出・活躍を恐れてるのでしょう
男性による抑圧はその反動?
それにしても度が過ぎてるよね
今でこそ、女性が強い家庭や社会こそ良好で安定してるという事実を男性も社会も世界も受け入れてる場合が多いけどね
1番大変な時、セリーの優しい言動に対して神様の存在を確信したことを叫んだシャグだが、もし本当に神様がいるのなら、黒人女性に対するあれ程の扱いを、なぜ見て見ぬふりをし続けたのだろう
しかも何百年も
人生の最後のあの奇跡的な幸福のために、セリー達は何年も何十年も犠牲を払ったというのか
巡り巡った最後はよかった
1909年、ジョージア州。父の子を二度出産した少女セリーは、妹のネティと大の仲良し。セリーはミスターのもとに嫁ぐが、そこでまるで奴隷のように扱われる。そんなとき、父から逃れるためにネティはセリーのところにやってくる。しかし彼女に手を出そうとしたミスターを拒絶したため、ネティは彼に追い出されてしまう。やがてセリーは、気の強いソフィアや奔放なシャグと出会い、自立を知り。
前半は男尊女卑の古い因習のなか、それを疑問に思わず過ごすセリーが健気。暮らしぶりが意外と豊かだなと思いました。後半には人種差別も加わるも、力強く立ち上がっていくセリーを応援したくなります。最後のシャグと聖歌隊の即興コラボに感動。こういう聖歌隊って良い、「ブルースブラザース」「天使のラブソング」を思い出しました。ミュージカル版も観ようと思います。娯楽作ばかりだったスティーブン・スピルバーグが、シリアスも作っても良かった、しかもいつもの笑いあり。
当たり前ですが、ウーピー若い。ローレンス・フィッシュバーンは、気づきませんでした。
逆境の中でも輝くようにな「生きること」への渇望を描いた一本
往時のアメリカ(特に農業地帯であった南部諸州)では、黒人は、被差別人種ー。
(令和の今でも人種的な偏見は拭いきれてはいないやにも聞き及びますけれども。)
もともとは、農園での労働に従事させるためにアフリカから(奴隷商品として)連れてこられた黒人たち。
彼・彼女らを、もし平等な人間としてみるならば、到底そんなことはできなかっただろうし、過酷な労働で使役することもできないー。
いわゆる「colored」として、自分たちとは別異なもの―「物」としてでも扱わなければ(いちおうは)キリスト教的博愛主義・人道主義を標榜するアメリカでは、社会的にも許容はできなかったという事情もあったことでしょう。
そして、そんなふうに白人に虐(しいた)げられていた黒人同士の間では、男性が女性を徹底的に差別する「男尊女卑」を顕著に行い、末端に位置づけられてしまった黒人女性を強烈に差別することで黒人社会(黒人男性)は白人たちからの強烈な差別に耐えるという、それ自体も明らかに不合理な構造を生み出してしまっていたのだろうとも思いました。評論子は。
そんななかでも、しつかりと自我を確立していたハーポの彼女・ソフィアや、歌手としての地歩を固めていたジュグは、セリーの「生き方」に、さぞかし大きな影響を及ぼしたことでしょう。
セリーが自分の妹や、伝道師とともにアフリカに渡っていた息子・娘の再会を果たすことができたという強運も、彼女のその「生き方」が引き寄せたものと断じたら、それは単なる憶測との批判を受けてしまうでしょうか。
いずれにしても、艶やかなネリーの肌ように、逆境の中でも輝くようにな「生きること」への渇望を描いた一本として、本作の佳作としての評は、揺るぎないものと思います。
本作は、TSUTAYAの宅配レンタルで2003年版が送られてきたので、その鑑賞の前段として、地元のレンタル店から「緊急レンタル」してきた一本になります。
その意味では、リメイク作を鑑賞するために「にわか仕込み」「おっとり刀」で鑑賞することとなった作品になりましたけれども。
しかし、見ごたえのある重厚な作品だったことは、疑いがなかったものとも思います。
見れば観るほど味が出るスルメ映画
1985年って時代に当事者ではないスピルバーグが描くには重過ぎる人種差別を白人をスポットでしか出さない事でまろやかにして、セリーやソフィアにシャグの三者三様の傷や強さに美しさにフォーカスして描いた傑作。女性の自立や尊重と、友情や愛を描いているけど…
幼い頃から何度も見ているうちに主人公のセリーを虐げていたミスターでさえ父親への恐怖から自分の人生を生きられずにいることに気付いた時に、この世界の何が歪んでいるかをいっぱい考える様になった。
差別はどこからくるかとか
差別とは何かとか
主要キャラが一様に何かに傷付いてる
それを無くすにはどうしたら良いかって
今の時代、セリーの時代より自由はあると思う。
でも不自由な時代でさえあった美徳、自分の選択した人生の向こうに何を持ってゆくべきか
セリーの優しさ
シャグの愛情
ソフィアのプライド
ミスターの失敗
ハーポの弱さ
少しでも欲しいもの欲しくない何かが見つかる映画ではないかと思います。
エンターテインメントの巨匠が挑んだ至極の人間ドラマ
ミュージカル版の新作鑑賞に向けて復習
高校生の時に劇場で観た初公開時以来、2度目の鑑賞
予想外に古さを感じず入り込めました
特に前半はエグい内容や描写がありますが、全般としてはこのテーマにしては見易い方だと思います
スティーブン・スピルバーグ監督ならではの優しい視点やユーモア描写もあるし、悲惨や残酷な方に振りきっていない作品づくりなので、多くの人に観てもらって、遡ること17世紀頃か始まり今でも実は根強く残る黒人差別や虐待の歴史を知ってもらいたいと思います
作品自体、アクションアドベンチャーやSFファンタジーもので名を馳せた監督が撮ったと思えない完成度の高い重厚な歴史劇の風格を備えた傑作であり、堂々ハリウッド映画史に残るべき不朽の名作だと思います
「ジョーズ」や「E・T」をはじめ数々の作品をハリウッド映画史に残すスティーブン・スピルバーグ監督が当時‘’本当に撮りたいのは人間ドラマ‘’として挑戦した作品で、第58回(1986)アカデミー賞の主要11部門にノミネートされるも、こんなに素晴らしい作品なのに1部門も受賞しなかったという曰く付きの作品
ヒットメーカーが次は賞レースを取りに来たか 、絶対にとらせてなるものか、と明らかに嫉妬や妬みがはたらいた結果と囁かれたのをよく覚えてますし、その時オスカーは決して本当に良い作品が選ばれるわけではないことを学びました
本テーマについては、40年近い前の作品なのに現代でも充分通じ、むしろ今の時代の方が多くの人々に受け入れられる土壌ができているであろうという状況なので、今こそ是非多くの人々に観てもらいたい作品だと思います
【幼き頃からキツイ人生を送って来た褐色人種の姉妹の半生を描いた作品。所詮、男なんて虚勢を張っていても女性が居なければ何もできない生き物なんです・・。】
■20世紀初めのアメリカ南部。
まだ幼い黒人の少女セリー(ウーピー・ゴールドバーグ)が父親の子供を産む。
(脳内、怒りで沸騰するが、我慢して鑑賞続行。)
だが、生まれたばかりの赤ん坊は父によりどこかへ連れ去られ、セリーは「ミスター」と呼ばれる男と結婚する。
セリーは、4人の子を持ち、ミスターの家で、家事に明け暮れる奴隷のような生活を送ることになる。
◆感想<Cauti内容に触れています>
・今作は、序盤は観た記憶があるのだが、何故か全然覚えていない。多分、序盤の展開を見た父が小学生には不向きと考え、チャンネルを変えたと思われる。
・序盤の展開は観ていてキツイが、セリーと妹のネティとの深い関係性が印象に残る。だが、ネティはアフリカに行ってしまう。
ー ”ネティを忘れないで!”と言う彼女の言葉が印象的であり、最後半の感動のシーンに繋がるのである。-
■私は、今までのレビューでも”黒人”と言う言葉を使って来たが、実際にアメリカの我社の社員である彼らと遊ぶと、その言葉が不適切である事が良く分かる。
彼らの肌は人種にもよるが、”黒”ではなく、太陽、もしくは月光の加減によっては、”紫色”に見えるのである。
尚、この辺りを映像化した作品では「ムーンライト」が秀逸である。
・妻サリーを使用人の様に使うアルバートが先見的思想を持つシャグを自宅に招いた際に、ロクな朝食を作れない中、サリーが作った朝食を平らげるシャグの姿。
ー そして、彼女はコッソリと店に来たシャグに対し”サリーのブルース”を弾き語る姿。可なり沁みる。-
<そして、数十年後、アフリカに行ったネティから手紙が届くシーン。
”私は生きているよ!”と言うメッセージの後、サリーの元に訪れたネティとサリーの大きくなった子供達の姿。涙溢れます。
今作は、見事なるヒューマン・ドラマであると私は思います。>
蟲毒の壺から解き放たれる優しき蝶の物語
黒人差別 × 女性差別 + 未成年近親相姦レイプ + 人身売買 + 家庭内暴力 + 虐待 + 強制労働 + 醜貌侮蔑 + 貧困 + 無教養。
そんな感じでストーリーが始まりました。
「蠱毒」ってあるじゃないですか。壺の中にヘビとかヒキガエルとかムカデとか蜘蛛とか蜂とか、ありとあらゆる毒属性の生き物を詰め込んで共喰いさせて生き残った最強毒生物をおまじないに使うっていうヤツ。
あれですよ、あれ。
毒、毒、さらに毒、また毒、もっと毒。毒虫が毒虫を食い殺して生き残る世界ですよ。地獄よりおぞましい環境で、いくらでも陰鬱・凄惨に描くことが可能な状況です。
でもこの映画、お花畑で戯れる幼い姉妹のシーンから始まるんです。天国みたいなシーンですよ。
美しい色彩、朗らかな音楽、あどけない仕草、無邪気な戯れ、コミカルなアクション…ありとあらゆる手段で極力マイルドに仕上げていますが、ストーリーを客観的に受け止めると、そのエグさは尋常じゃないですよ。
この物語は要するに主人公セリーと、ヒロインポジションの妹ネティ、準主役的な歌姫シャグと女傑のソフィアが登場し、今からおよそ100年前、20世紀前半の黒人女性解放の歴史を辿っていく話だと理解しました。
さらにモチーフとして同性愛も取り扱っており、もう凄まじくエッジを効かせやすい要素のオンパレード。
それから黒人音楽の変遷も取り扱っているというか、ブルース、ジャズ、ゴスペルといったジャンルの歌曲が次々と登場する音楽映画にもなってました。
これだけ険しいテーマてんこ盛りの作品なのに、スピルバーグはおよそ2時間半の煌めき映画に仕立てたことが凄いです。
そうでないと皆が見ないでしょ。
これだけのテーマを取り扱ってもこの映画、レイティングの制約ないんですよ?
あらためてスピルバーグって凄えな…って思いましたよ。
公開当時、色々やいのやいのとイチャモンが付いて、アカデミー賞も取れなかったとかなんとか、そういう話も伝え聞きますが、誰が何と言おうと良いものは良いってタイプの名作だと思います。
この映画、4人の女性たちの美しい魂が地獄の底から解放されていくお話だと理解しています。
主人公セリーの「優しい魂」、ヒロイン ネティの「信仰の魂」、歌姫シャグの「自由奔放の魂」、女傑ソフィアの「誇り高きファイターの魂」。4つの魂が蠱毒の壺の中から解き放たれてカタルシスをもたらすんです。まさに「魂の浄化」。
ミュージカル映画としてリメイクされると聞いて、何度か繰り返し見ましたが、重ねて見るたび、理解が深まるたびに涙の量が増えてます。
レビューを書くにあたって、良い機会なので基本情報を調べてみました。
監督:スティーヴン・スピルバーグ(1946年生、公開時39歳)
脚本:メノ・メイエス(1954年生、公開時31歳)
原作:アリス・ウォーカー(1944年生、公開時41歳)
原作小説:アリス・ウォーカー『カラーパープル』1982
製作:スティーヴン・スピルバーグ
キャスリーン・ケネディ(1953年生、公開時32歳)
クインシー・ジョーンズ(1933年生、公開時52歳)
フランク・マーシャル(1946年生、公開時39歳)
出演
・ウーピー・ゴールドバーグ(1955年生、公開時30歳):セリー(主人公)
・マーガレット・エイヴリー(1944年生、公開時41歳):シャグ・エブリー(歌姫)
・オプラ・ウィンフリー(1954年生、公開時31歳):ソフィア(女傑)
・アコーシア・ブシア:ネティ(妹)
・ダニー・グローバー(1946年生、公開時39歳):ミスター
・ウィラード・ピュー(1959年生、公開時26歳):ハーポ(ミスターの息子)
・レイ・ドーン・チョン(1961年生、公開時24歳):スクィーク(ハーポの新恋人)
・ダナ・アイヴィ(1941年生、公開時44歳):市長夫人
もう…凄い人ばっかり…。ため息が出ます。
プロデューサーのスピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャルだけでも凄まじいヒット・メイカーのスペシャルチーム。
さらにもう1人のプロデューサー、兼音楽担当のクインシー・ジョーンズは元々ジャズのトランペッターで、その後アレンジャー、作曲家、音楽プロデューサーとして成功を重ね、一番わかりやすいところではマイケル・ジャクソンの「スリラー」をヒットさせた人であり、もうポピュラー音楽の世界では別格も別格、大御所中の大御所、伝説の音楽家ですよ。
原作者のアリス・ウォーカーという人は、もともと公民権運動の活動家で、やがて作家となり、フェミニストで、環境保護活動家でもある激しい人です。本作の原作小説でピューリッツァー賞を受賞してました。
ピューリッツァー賞というのは100年以上続くアメリカ文筆業界最高権威の賞で、コロンビア大学が主催したおり、報道・論説・批評・社説・速報写真・小説・詩・戯曲・伝記・音楽などの部門があるそうです。文芸・文学に関して、少なくともアメリカではノーベル文学賞に次ぐ格式の賞と言って良いと思います。
そしてキャストも、今となっては凄まじいメンツです。みんな若い!
主役のウーピー・ゴールドバーグは本作が映画初出演で出世作!『天使にラブソングを…』の人ですが、この人は渥美清みたいに他では絶対代えが効かない存在感がすでにありましたよ。
主人公の夫役ダニー・グローバーはこの後『リーサル・ウェポン』とか『プレデター2』で善い人になりますが、この頃はまだメチャクチャ悪役ですね〜。
日本ではほぼ無名のオプラ・ウィンフリー(女傑ソフィア役)。アメリカでは超絶有名人らしいです。役者として映画やTVドラマにも出ますが(本作ではアカデミー助演女優賞ノミネート!)、本業はTV司会者。スケールは百倍とか万倍違いますが、強引に日本で当てはめるとマツコ・デラックスみたいな人かと。要するにタレントとして大成功を収めた人なんですが、彼女の影響力は非常に大きく、昨今のLGBTへの偏見排除や環境整備みたいな動きはこの人から始まったらしいです。また政治的影響力も大きくてオバマ旋風の立役者の1人だそうです。
個人的にはレイ・ドーン・チョン(ハーポの恋人役)を見れたのが嬉しかった!この人、超絶可愛くないですか?シュワちゃん映画『コマンドー』のヒロイン役の人ですね。変わったお名前ですが、中国系の血筋があるそうです。ていうか、もちろん黒人の血も引いており、アメリカンインディアン、イギリス人、フランス人の血も引いているスーパーハイブリッドなんですよ。超絶可愛いはずです。そしてこの人、ハワイのホームレスだったクリス・プラット(ジュラシック・ワールドとかガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのシリーズで主役の人)を発掘した人でもあります。なんともドラマチックな星の下に生まれて来た人ですね。
とにかくこれだけアクの強い人たちが集まって、よくぞここまで美しい映画ができたと思いますよ。
本作が話題に上がる時しばしば、エンタメ志向のヒットメーカーだったスピルバーグが、今度はアカデミー賞を取りたくて作った作品だと噂された…とかなんとか、そんなエピソードが紹介されます。しかしこのスタッフ・出演者リスト見る限り、そんな浮ついた心持ちではこの名作を作り上げることはできなかったんじゃないかと思います。
もちろんスピルバーグにも野心があったかもしれないし、プロデューサーとしての苦労も多かったかもしれませんが、もっと強力なキーパーソンが要所要所を圧倒的なパワーやプレッシャー、人脈や手練手管を駆使して障害を捩じ伏せていたのではないかと思うんです。
この映画がブロードウェイのミュージカルとなったのが公開から20年後の2005年、舞台版ミュージカルが映画化されたのが更に18年後の2023年(米)。
何か壮大なパワーが背後にあるような気がしてきましたよ…。
本作も、リメイクされたミュージカル版も素晴らしい映画なので、制作背景を勝手に妄想するのはもうやめにします。
ウーピーとオプラ
教養ものは苦手だけど頑張って観ました
現代とは程遠い時代設定の話なのでピンと来ない面はある。姉妹を嫁?養子?召使い?として頂戴したダニー・グローバー。嫁じゃない妹の方と強引に肉体関係をしようとして平和な日々が崩れる場面は、一気に「(姉妹が)可哀そう」と思うでしょう。
ただ映画そのものは、コミカルな場面も結構あり、辛い日々を軽減する狙いもあるのか音楽が「のどか」で、大自然の映像も良く、退屈さは少なく進んでいった。威張っていたダニー・グローバーから我慢して過ごすウーピー・ゴールドバークに少しずつ風向きが変わっていく。
世間を知る機会もなく、ひたすら尽くす、いや、尽くすしかない、そんな人生を送る姿に悲壮感が出ていた。
そして、気が強いポッチャリ奥さんと主人公がどう繋がりある関係なのか、わかりにくかったかな。D.グローバーの息子の嫁ってくらいしか認識できなかった。現代とはあまりに違う結婚への価値観を描きたかったのかもしれない。姉妹はどのような経緯で生まれたのか・・・孤児や黒人格差に比重を置いてるようにも思える。
D.グローバーは、妹から何度も届いた手紙を見せず、隠していたのは何故か?
1.妹と関係を持てなかった悔しさのようなものか
2.「いつか渡そう」と思っていた
→捨てたり燃やしたり、酷いこと言えば勝手に読んだりできる威張り様だったけど、少しは情があったと思いたいですね。
無冠に終わったとはいえ、アカデミー10部門ノミネートされただけのことはある。手紙をみつけた辺りから、何か教育番組を観てるような感覚に思えてきたので、私的には退屈な時間も多かった。どうもアカデミー系の作品は「教養」の比重が多くて苦手。観てる側は「勉強的な映画」を受け入れられるかどうかですね。また、人間関係がわかりずらい感もあり、しっかりと真面目に観る必要がある。
映像的にはさすがスピルバーグ。間の取り方や、対象物をアップに撮ったり、優しく刺激的に場面転換する術を味わえるので、退屈になると映像が観る気力を繋げてくれた。
妹まで手を出さず、そのまま3人で暮らしていればD.グローバーは善人と言えたでしょうが、欲は本能。頭で考えるより本能で行動していた時代かもしれません。現代も形は違えど、金などの力で叶えようとする部分は変わらない気はする。
威張れた相手がいなくなり次第に寂しくなるD.グローバー。ラスト、妹に会わせる段取りをしたのは彼だろうから反省の行動でしょう。馬と一緒に遠くから姉妹の再会を眺めてる時、友人女性シンガーは気付いているように見える。果たして和解したのだろうか?見届け、そのまま去っていったのだろうか?
「E.T.」は月をバックにした映像がトレードマークになってるけど、この映画では太陽をバックに姉妹が手を合わせている映像で終わらす点もニクイ演出ですね!
薄紫の野原を笑いながら駆け回る姉妹
あまりに昔に見たので細部は忘却の彼方です。薄紫の花咲く明るい草原を笑顔で駆け回っている姉妹が優しくかわいらしく、その場面(あったかな?)が一番印象に残っています。音楽もよかった記憶があります。黒人社会だけでなくどんな社会でも女性が下で、性被害と暴力を受けて虐げられていることがすごく苦しかったです。監督がスピルバーグであることに驚きました。「シンドラーのリスト」に繋がるんでしょうか?
ーーー以下、カラーパープルと直接の関係ありません。すみません。ーー
「ショア」や「コリーニ事件」や「ハイゼ家」を見てしまったので「シンドラー」をこれから見る?と思いまだ見てません。ナチスやゲシュタポを映画で扱うことの意味と立ち位置を考えざるを得ません。史実や事実とされていても微妙で不確かなことも多いので、制作者側の意図や想像や美化も入り込みます。「イングロリアス・バスターズ」がいいと(私が)思うのは、明らかにフィクションでありながら、監督の映画愛・知識を駆使してナチスが映画を巧みにプロパガンダに使った事実から映画の危うさに批判的に光をあてているからだと思っています。タランティーノは同じく映画オタクのゲッベルスに映画人として挑んでます。目のつけどころが素晴らしい。だからイングロリアス・バスターズは好きです。勝手な思い込みかも知れません。でも単なる映画好きの一人としてそう思っています。
立派で面白い映画ではありますが
真面目な人間ドラマです。長時間ですが飽きることはありません。
あの時代に、白人同様のきちんとしたスーツやドレスを着た黒人だけで成り立っている生活圏なんてあったんでしょうか?黒人を描いていない、という批判はその辺りですかね?
スピル君って、テーマドラマになるとシンドラーのラストの墓参シーンとか妙に作為的になるような気がします。あと、基本娯楽監督なので、この作品なんかもっと重厚な仕上がりになりそうなのに、妙にエンタメ的で、重厚なというか圧倒的な感動を受け難いです。よくいえばサービス精神が旺盛すぎる。リーン君とかワイラー君ならもっと落ち着いた重みみたようなものが出るんじゃないかという気がしますね。オスカー無冠だったのはその辺りじゃないかな?
人間の独立を人種を超えて普遍化してみせた傑作
紫色の花が咲き乱れる草原から映画は始まる
二人の少女がじゃれあって遊んでいる
しばらくして、黒人の少女だとようやくわかる
この冒頭のシーンに本作のテーマが提示されている
人種は関係が無い
たまたま黒人なだけだ
人間の独立に焦点を当てた映画なのだ
戦前の南部の黒人社会の実相を描いた黒人が原作者のベストセラーを単に映画化したものではない
白人による黒人の抑圧差別社会
その下層にある黒人社会
しかしその黒人社会の中にも階層はあり、さらには女性はもっと強いたげられている
暴力に怯え、笑うことも出来なくなった隷属させられている一人の人間が、差別をものともしない強い人間に出会い、そして自由な人間に出会い、遂には人間としての独立を取り戻す
奴隷解放とは黒人の白人からの解放だけでは無い
人種、民族、性別、階級、地域……
人間による人間への差別、隷属強制は普遍的にある
過去のものだけでなく、今も現在進行形で在り、未来にも続いていく
決してなくなりはしない
それが人間の本性なのだから
だからこそ、戦わなければならない
それが本作のテーマだ
それにつけてもウーピーゴールドバーグは最高だ!アカデミー賞ノミネートは当然、受賞しなかったのがおかしい
彼女の顔を見ているだけで幸せ
世界一の可愛いブスだ!見ていてあきない
もっと見ていたいと思うほど
クインシージョーンズの手になる劇中歌も素晴らしい
セリーのブルースは口パクで実際の歌唱は、その筋では知る人ぞ知るソウル歌手タタ・ベガ
セットもジュークジョイントがでてきて感激
黒人音楽をルーツにもつ現代のポピュラー音楽の全てはこういう店から生まれたのだ
娯楽作品専門の監督だったスピルバーグが、シリアスなドラマの大作を初めて監督してみせた
クインシージョーンズが原作者に推薦したという
白人それもユダヤ人が黒人の物語を撮るなんてという批判はあたらない
この黒人女性の物語を人類普遍の問題に昇華し、まとめきれる力量を彼が持つことを見抜いたクインシーの慧眼や恐るべし
さすが当代一の偉大な音楽プロデューサーだ
スピルバーグは本作の成功を足掛かりに、シンドラーのリストの監督に至る路線を得たという事でも重要な作品
ウーピー・ゴールドバーグ映画初出演で熱演
総合80点 ( ストーリー:75点|キャスト:85点|演出:80点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
もう人権も何も無視で奴隷のような抑圧された生活を幼少期からおくる黒人女性の、一人の人としての自立への変遷を描く。
娯楽作品で大成功を収めながらも質の高い真面目な作品は作らずアカデミー賞とは無縁と批判されていたスピルバーグが、アカデミー賞を目指して制作したとされる作品。残念ながらアカデミー賞には候補に挙げられながら手が届かなかったが、質感は高い。
黒人差別の話はよく聞くが、この作品では黒人が黒人により差別され黒人の奴隷のようなひどい待遇を受ける。何せ物心つく前からこの生活だから、彼女にとってこれが普通として認識され諦めてしまっている。これが20世紀のアメリカなのかと思うと随分と酷い。
そんなまるで生きる価値が見出せないような人生を延々と見せられる中で、大人になり他のまるで生き方の違う黒人女性との交流の中で自我に目覚めていくセリーの姿をこれが映画発出演となるウーピー・ゴールドバーグが熱演した。最初から能力も美貌にも恵まれ自立していたシャグ役・強さをもっていながら潰されそうになってまた復活していくソフィア役の他の出演者の演技も良かった。
ソフィア役のオプラ・ウィンフリーが2013年にスイスの高級店で差別されたという記事が話題になったが、そのオプラがこれに出ていたのは知らなかった。ウィキペディアによると、オプラは親戚に性的虐待を受けて14歳で出産したそうで、本作品の主人公の生き様を地でいっているのも知らなかった。
物語は結末近くの展開が安直に感じる。あれだけの抑圧生活が一気に解放されるのは変だし、自我に目覚めたらその瞬間に彼女だけでなく外の世界も変わり何もかも全てがいい方向に運ぶのは違和感があった。家を出た彼女はどうやって生計を立てていたのだろうか。白人からの差別と迫害はなかったのだろうか。薔薇色の結末を素直に受け入れにくかった。
とはいっても彼女の最低の奴隷生活が終わり変わっていく姿は悪くない。若い頃に鑑賞したときよりも今のほうがより深く理解出来たように思う。
もっと早く観れば良かった
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