カビリアの夜のレビュー・感想・評価
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救いを求める女
この映画を観るたび
勝ち気なカビリアに
全身の血が逆流し
純真なカリビアに
胸がドキドキする。
フェリーニはカリビアをとことん追い詰める。
不幸である。本当に不幸である。
そこまでしなくても、といつも思う。
映画の中で、強気なカビリアと弱気なカビリアを
くるくる忙しく見せてくれる。
そして時々挟み込む意外なカットに驚く。
主演のジュリエッタ・マシーナもいいが
音楽のニノ・ロータもいい。
彼の音楽はカビリアの笑顔と共に
ラストで心に刺さる。
完全に救ってくれる。
物語、カットの選出、映像スタイル、
どこの国の監督も、こんな映画は作れない。
それがフェリーニの虜になる理由だ。
※
今となってはありふれた悲劇を,今では失われてしまった新興のひかりと...
今となってはありふれた悲劇を,今では失われてしまった新興のひかりと影の間で描いている作品.悲劇ではあるが結局悲しくはない.カビリアは元の街に戻って口汚なくののしって暮らしていくだろうし,結局元の生活の中に特別な悲哀があるわけでもなかったのではないだろうか.信仰と周囲の人間からの目線の中で,結婚というものにハロー効果が発生していただけで現実のそれが,もともとの友人の多い暮らしと比べていいものであるわけでもないだろう.ただ単に今とは違う自分でありたいという欲望が結婚という社会制度に回収されただけであって,それが失われたからと言って特別悲しむことではないのだろうな.信仰の瞬間,催眠の瞬間の映像美は見事だった.
騙され続けたお人好しの女性カビリアが辿り着いた微笑みの境地
名画「道」と同じく1957年に本邦初公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の初期の代表作だが、「道」に比べてあまり話題になることがない。”ジェルソミーナ”の女性像とはまた違ったジュリエッタ・マシーナが演じた”カビリア”という女性の可愛らしさや無垢さが素晴らしいだけに、もっと注目されるべき名作と思う。但し、今日的な男女平等の概念とは社会背景を異にする時代の違いは大きい。特に女性から見て、何度も男に騙され続ける愚かな娼婦カビリアに共感することは難しいのではと危惧する。あくまでも、この時代の女性の哀れさの表現として優れているフェデリコ・フェリーニ監督とジュリエッタ・マシーナの演出と演技を観るべき女性映画であり、その純度の高さを素直に評価したい。
その意味で、この映画のクライマックスである、カビリアが仲間たちと訪れる宗教行事の場面が素晴らしい。元々参加することに関心が無かったカビリアなのだが、遊び感覚半分ピクニック気分半分の仲間たちとは対照的に、真剣な眼差しで神に縋る姿は感動的ですらある。自分が意図していない状況に遭遇した時の、心と体のバランスが崩れたときの戸惑い、その一気に心に偏った時の人間の弱さ。フェリーニが求め描いたものは、弱い人間のありのままの姿であり、心の動揺であり、それに対して正直であることの人間としての美しさである。その弱い自分を認めたカビリアは、ラスト何とも言えない微笑みを浮かべながらスクリーンに消えていく。ここには、今の時代にも必要なメッセージがあるのではないだろうか。「道」のラストシーンは、男の悔恨と懺悔の悲痛さで終わったが、この映画のラストシーンは、男の罪を認めて尚前を向いて生きようとする女性の強さを讃えているように思われる。
2000年 1月29日
人生の浮き沈み
大富豪のラッツォという客と夢のような一時も過ごした。娼婦に限らず、浮き沈みの激しい人生を歩む人間にとって、幸せと不幸の繰り返しなんてのはどこでも見られる。そんな彼女は飲み屋の見世物で催眠術をかけられた。舞台の上で恥ずかしながらも色々と暴露させられるが、オスカーという青年と出会って恋をする寸劇を演じさせられた。それを見た同じ名のオスカー・ドノフリオという実業家が彼女に運命的なものを感じ、2人はデートを重ねる。
カビリアの過去はともかく、かなりの年増に見えるし、本当に純粋な心だけを感じ取ったオスカー。ノースリーブのセーラー服を着たカビリアにプロポーズをするところなんて感動的。しかし、あまりにも急展開されすぎの至福の時。絶対にハッピーエンドにはならないぞ!とじわりじわりと予感させる進み方がすごい。
結局は冒頭と同じことを繰り返しているんだと気づき、湖畔の綺麗な夕陽を眺めながら「殺して」と泣き叫ぶカビリアの姿。プロポーズシーンの感動から一転して悲しみの涙が流れてくる。ちょっとだけ未来に向けて希望も感じるエンディングも素晴らしい。
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