カッコーの巣の上でのレビュー・感想・評価
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時代
なんというか、グリーンマイルとかショーシャンクみたいな雰囲気で私は好きでしたが途中のストーリーに比べてオチがなんだかなーって感じでした
実際に昔の精神病院の中がこんなだったのか、昔の映画だからこう描けたのかわからないけど
とにかく役者人の演技がすごいなーと。
みんな本当にクレイジーにしか見えない
クリストファーロイドが出てるの?って気づいたときと言ったら感動でした
この時代の役者さんは演技に本人にしかない味が溢れんばかりにあって何というか、、かっこいい。
釣りのシーンは単純に笑える場面もあって(笑)
そんな所も昔の映画だなぁーって(女がビッチなのも含む
ショーシャンクみたいにうまく外にでれてヤッター!って見たあとにすっきりする映画ではないけど、個人の個性と自由についてちょっと考える映画だった
この病院より外がこわいから病院を好んでいる人はただ逃げてるだけだけど
もしかしたらこの時代にはわかってない彼も本当に精神障害があったのかも??
極端な自由vs統制が描かれている
ロボトミーだとか看護師による診療だとか、措置入院だとか、
この映画で描写されている個々の問題は、
現代ではほとんど克服されている。
とはいえヒューマンドラマとしては今見ても興味ぶかい。
例えば、主人公は、少なくとも2回は病院から逃げるチャンスが
あったのに逃げなかった。何故だろう。
逃亡が彼にとっての一番の目的ではなかったのだとすると、
彼が必死に求め続けたはずの自由とは何だったのか。
次に観たときには何かわかるかもしれないと思う一方で、
この暗すぎる内容をまた見る気が起きるのだろうか、とも思った。
タイトルなし(ネタバレ)
最初に鑑賞したのは二十歳ごろだった。
お恥ずかしい話だが、当時は「なんのことやらさっぱり」だった。
患者が落ち着いて暮らすことができるように、きちんと管理されている精神病院に、精神病と偽って刑を免れたマクマーフィ(ジャック・ニコルソン)がやってきて、秩序正しい日常をぶち壊す。あげくの果てに看護師を殺そうとまでしたので脳に手術をされ廃人となるが、けっきょく最後に同房の収容者に殺されてしまう話…というふうにしか受け取れなかった。
むろんミロシュ・フォアマン監督の意図は、そういうところにはない。
非常に個人的で我田引水な解釈を許してもらえるなら、この映画が言っているのは、「患者の治療のため」と称して行われる「管理」は、実は、「病院」の秩序維持のために患者を「押し込めておく」ことにすぎなかったということだ。
むろん「患者」とか「治療」、「病院」が何の喩えかは言わずもがなだ。
映画の中で患者たちは一時「外」に出してもらえる。だけどそこで失敗をやらかす。明確には表現されないが、看護師長(ルイーズ・フレッチャー)の「ホラごらんなさい。だからあなたたちは管理されなきゃダメなのよ。それがあなたたちのためなのよ」とでも言いたげな勝ち誇った表情。
そして、最後のところで看護師長の本性がむき出しになる。ハメをはずしすぎた青年の患者に向かって「あなたのお母さんに言いつけますよ」と言う。極度のマザーコンプレックスから精神を病んでしまった患者にだ。その言葉にショックを受けた青年が自殺を図る。看護師であれば予測し得た結果だ。看護師長にとっては「治療」よりも「秩序」が優先すべきことだったのだ。
これを見たマクマーフィは激怒し、看護師長にとびかかってその首を絞めようとする…。
最初に書いたようにマクマーフィは死んでしまうのだが、この映画は希望をにじませる形で終わる。
人間の尊厳とか自由について、たまには考えてみることも必要だ。
仕事帰りのビールが楽しみな日常に慣れきって毎日を安穏と過ごしていると、いつのまにか知らないうちに窓に鉄格子が嵌っていることにもなりかねない。
ジャック・ニコルソンを印象付けた作品
あまりに生々しく、切なくて観終わったあとも自分の中で違うラストを想定したくなってしまった。主人公マクマーフィーはアウトサイダーで精神病院にちょっとした嵐を吹き込む。それに対し、婦長のラチェッドはどこまでも規律に忠実に抑制の中で患者たちを管理することに努める。敵対する両者の描写が見応えある。
ジャックニコルソンは皆が絶賛するように気迫に満ちた素晴らしい演技。そして婦長さんは私の中では決して悪ではない。仕事に忠実で自らも己の感情を抑制し、使命を全うしようとしただけの人。だから、本当の顔はわからない。人が人を管理すること、病院の体制こそが権威をかざし人間の自由意思を奪いさるそのものだと思える。
彼とチーフの友情も見どころのひとつ。終盤、魂の死んでしまったマクマーフィーをチーフがやさしく抱きしめるシーンは切ない。彼のとった衝撃の行為。そしてチーフは飛び立った。彼の魂を引き継いで、いるべき場所ではないところから外の世界へと。
再び訪れた平穏な日常シーンの一こま。婦長の穏やかな顔つきと他の患者達の心持ちが前と変わったことがマクマーフィーの軌跡。テレビ前で架空の大リーグ観戦で盛り上ったときの喜々としたみんなの表情が鮮明に浮かぶ。
決して好きな部類ではなかったけれど、観なかったら後悔したと思う作品。
精神病の線引きとは
映画の中でこんな会話がある。刑務所の強制労働を避けるために狂人を装って入院してきた主人公についての、病院の職員たちの会話である。
「彼は精神病といえるのか」「危険だが病気ではない」「重い障害ではないが病気だ」…
私も彼が精神病なのかと考えてみたが、そう決めつけるのには少し違和感があった。彼は確かに病院内で一番問題ばかり起こし周りを巻き込む「クレイジー」な人物ではある。しかしそれが病気のせいなのかと言われると疑問が残る。一方、彼の周りの患者たちは確かに精神病といえる振る舞いをしている物が目立つ。すぐに泣き出すいい年のおじさんや、黙っていたかと思えばいきなり大声で罵りだす青年(?)など。
しかし、一番言動が「クレイジー」なのは主人公のマックである。「マックは病気のふりをしているのだから健常者なのは当たり前」と言われたらそれまでなのだが、ふりだとしてもなりふり構わず問題を起こしまくること自体普通ではないし、後半は彼の本心で行動しているようにも見える。
患者の中には症状の軽そうな者もいるし、(ちょっと神経質なくらいで割とまともなハーディングなど)何をもって精神病だというのか…これは現代でも難しい問題である。驚きなのは、それぞれ症状の全く違う患者たちに同じ(と思われる)薬を処方していること。本当に病院側はそれぞれの患者ひとりひとりを治そうとしているのか?同じ薬に、同じ日課メニューを強いる病院の姿勢には疑問が湧く。患者たちの日常を見ていて、「ここに入ったら私も無気力の廃人になりそう…」と感じた。
そして衝撃的なラストだが、数々の問題を起こし看護師を絞め殺そうとしたマックはロボトミー手術を施される。そのせいで彼は自分の意志の全くない廃人になってしまう。ロボトミーは一時期実際に行われていた治療だが、それを施された患者こそ一番の精神病者のように見えてしまう…。一番健常者に近かった彼がなぜ悲惨な結果を迎えてしまったのか。病院側の思惑以外には考えられない。
しかし、病院がすべて悪だったのかというと、それも違う気がする。患者を虐待していたわけでもないし、むしろ自由にカードゲームや運動をさせていたように見える。(それも日課の一環だったのだろうが、やり方などを強制させていたようには思えない)
ミーティングも、現代も行われているような、自由に話し合って患者自身が互いの心を解きほぐしあうような理想をもって始められたのではないか。また集団生活の中で規則があるのは当たり前だし、それを破ろうとする者には指導を行うのも自然なことである。つまりすべてやり方が悪かったのだと思う。すべての患者に対して画一的な方法で治療を行っていたことが間違いだったのではないか。
実際、マックの型破りで人間的な行動に巻き込まれた患者たちは笑顔を取り戻していく。吃音症のビリーは、好きな女性と結ばれた喜びで一瞬だが吃音が治っている。しかし看護師のラチェッドの厳しい追及で再び吃音に戻り、ついに自殺してしまう。その騒ぎで集まってきた患者たちに対して、「いつもの日課に戻りなさい」と言うラチェッドには、少しぞっとするものがあった。彼女にも患者たちを治したいという信念があったのだろうが、その時代の方法論ではそれは叶わなかったのではないか。
現代では、精神病についての研究が進み、新しい病名も次々世間に知られるようになってきたようで、薬も症状に応じた細かな処方がされているそうだが、患者に無理やり病名を割り当てたり、とりあえず薬を出す、というような治療がなされているとも言われている。実際精神の病というものを100%間違いなく診断することは不可能であるが、患者を「ひとりの人間」として向き合う姿勢こそが一番大事なのではないだろうか。
サムラーもびっくり
ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィは、精神病院内での徹底的に管理された患者たちに、自由を与えるために行動したわけじゃなく、全て私欲のためにしか動いていないので、共感もできないし、彼の末路にも同情はできない(ロボトミーで黙らせる行為はヒドイが)。
本人詐病のつもりだけど、暴力衝動の常習と社会不適合者の行動は立派な精神病でしょう(笑)
権威の象徴として婦長が描かれ、冷酷でシャレも通じないが、婦長自身は良かれと思って(ロボトミー手術含め)信念を持っている分、よりたちが悪くて恐ろしい!(本作観て婦長は優しいと思ってる人も恐ろしい!!)
ジャック・ニコルソンのクズ演技も良いが、ラチェット婦長役のルイーズ・フレッチャーが素晴らしい!冷静な表情ながらも攻撃的な目で、その事に気づいていない純粋な邪悪さを秘めた演技が絶品です。
聾唖を演じるインディアンのチーフを演じたウィル・サンプソンも、佐村河内もビックリの良い演技で皆騙されましたよ(笑)
マクマーフィやラチェットをどう捉えるかによって大きく評価が変わると思うので、観る価値はある作品だと思います。
何が正義?
とても評価の難しい作品。
精神病院という舞台設定ながら、音楽も含め、全体的にのんびりとしたムードで、主人公の反抗を通じて無気力だった他の患者たちが心を開いていく過程はむしろとても前向きな映画にも感じさせる。
主人公のやり方は享楽的であり、基本的に自分の欲望に従っているが、他方で、他の患者への友情・愛情も感じていて、結果的にそれが脱走を失敗に終わらせている。
主人公は決して正義ではないが、実際に主人公のために他の患者に生気が戻っていった面は否定できないし、また、病院側は秩序は守るが、その独善的なプログラムが本当に患者の症状改善に繋がる措置なのか甚だ疑問。
特に、最後の初体験で自信をつけたビリーを自殺に追い込んだ経緯や、主人公のロボトミー手術はそういった皮肉的な側面を強烈に表している。
原作どおり主人公がチーフだったら、その脱出でエンディングとなり、結末としてすっきりしたのだろうが、映画版での主人公の手術から死亡への流れは、チーフがその意思を引き継いだといっても、やはりネガティブな印象が残ってしまう。
しかし、ジャック・ニコルソンは若いときから、悪相。。。
人間の本質
人間の目的と行動を一致させない人間の本質
マクマーフィーの目的は強制労働から逃れること。
だから精神異常者のフリをして病院に入りスキを見て逃げようとした。
この映画を見るにあたって主人公の目的を忘れてはならない。
みんなでかからないテレビで野球を楽しんだり、みんなと釣りを楽しむために船に連れて行ったりして仲良くしたのは、どんちゃん騒ぎを起こしそのスキに逃げる作戦をスムーズに行うためかもしれない。
しかしラストシーンで全てが覆される。
絶好の逃げるチャンスだった時にマクマーフィーは何をしたか。そう。
婦長を絞殺しようとする。
びっくりしたがこれが人間の本質なのかと改めて思い返される重いシーンだった。
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