カッコーの巣の上でのレビュー・感想・評価
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病院の中も外も、何も変わらない
常々、健常者はこの世にいない、みんな何か病気を抱えて生きている、そう思っていました。病院の中の人達は健常者と差異は無く、病院の外の人達も病んだ顔をして歩いている。何処の世界でも変わらず、支配する者、好んで支配をされる者がいて、秩序に膝を屈して、意志を捨てて苦痛に耐える人生を好むか。あるいは――自由とは、決して得難い物では無く、勇気を持って踏み出さなければ、痛みを恐れず突き進まなければ、得られない物――。
正直、如何にこの映画を捉えるか難しかったのですが、こんな所でしょうか。何か苦い物を感じて、お薦めしにくいところもありますが、とても良い映画だったと思います。
そんなに良い映画か?
ニューシネマど真ん中の映画だった
胸糞映画と取るか否か
やっと観れた有名作品のひとつ。
精神病院の話、という事しか知らない状態で鑑賞。
ジャックニコルソンが段々と周りに影響を与えていく様子が面白く、ハッピーかつハラハラさせる雰囲気でしたが、まさかあんな結末とは…
1人のワルが看護師長に怒られつつも、退屈な毎日を送っていた精神病棟の患者たちに新鮮さを与えていく!みたいなファンタジーで済ませてくれないところが良かったです。
最後に気になる女の子と一夜を過ごせた彼には、良かったねという思いと、でもこんな事をしなければ(バレなければ)生きられたのに…という悲しみとの半々の感情を感じました。
ママに報告、というただそれだけの事も、彼にとっては痛々しい自死を選ぶくらい重い罰だったんですね。。
患者一人一人のバックボーンも、物語の中で語られる少しのセリフや様子から予想。
想像の余地がある物語は面白いですね。
ゆっくりの流れの中に名作はある
当時のアメリカンニューシネマの代表作であると共に名作である。映画館では観ていない。未だ10代の頃テレビで観た記憶があった。それ以降少なくても1回は視聴しているがいつだったか思い出せない。今回は見直す為にレンタル店にてBDを借りて再度観た。名優のジャックニコルソンの代表作である。この作品により主演男優賞を受賞した。BDの特典映像を観て分かった事だがこの作品の元々の原作はカークダグラスが版権を買っていて舞台として演じていたらしい…。しかし余り人気は出ず数ヶ月でおわってしまった。そしてその息子のマイケルダグラスがその版権を元に映画化したようだ。
今回再度視聴して初めて気付いた点があった。それは吃音だったビリーが初体験をした後、吃音が治っていた事。これには驚いた!しかし婦長の厳しい叱責により又吃音になってしまうのです…そしてあの事件へと続く。なんとせつない事だろう…。。
人間の尊厳を問うた作品。当時のアメリカンニューシネマはお金を掛けずに良い映画を沢山出していた。その匂いはちょうど今の日本映画やフランス映画のような良質の香りがする。現在の米国映画はお金を掛け過ぎたステレオタイプの作品ばかり創っている。お金を掛けている為ヒットばかりを狙い派手に見せ掛けているだけである。そこは中身の無い作品ばかりである。そんな映画と違うアメリカンニューシネマを是非味わって欲しい。特に若い世代に観て頂きたい。現在の映画とは違い物語はゆっくり進む為、時として時間の経過が長く感じられるかも知れない…しかし現実もそんなに早くは進まないのだ。
人生の教科書
ついにチーフがマグマーフィの遺志を引き継ぐ
カッコウの巣の上に
考えさせられますよね
最後は自由を勝ち取った感じでスッキリ
(Rさん)
いまの世の中の縮図ですね
チーフになれる人は
まわりをみてもいないですよ
なので
映画でチーフが
マグマーフィの遺志を引き継ぎ
あの重い礎石をもちあげ破壊したとき
みな眠りから覚め起きて
感動している
このエンディングは見てる
観客も同じです
世の中の
曲がった制度に
従っている
だれも
勇気ある一歩は踏み出せない
ついにチーフは
変わり果てたマグマーフィではあったが彼と一緒に
カナダへ向かった
このエンディングは最高です
私達のいる処って…
何が凄いって、ジャック・ニコルソンの顔が凄い。「シャイニング」も、そうですけど、彼の顔見てるだけで感動してしまいそう。彼の顔の筋肉、どうなってんの。時の映画賞、総取りにするわけですね。
そんな彼の演ずるマクマーフィーも、また凄い。彼、誰に対しても、平等なんです。
できます?。全てのヒトと対等であろうとする。その一方で、婦長さん、ヒール張りまくりですが、実はリアルな世界では、婦長さんキャラで仕事するヒトが、俄然、圧倒する。きっと私も、その1人。自分ができることは、他者も出来て当然。出来ないヒトは、劣っている。そう思うと、自分と他者の間に、垣根ができる。マクマーフィみたいに、垣根レスにヒトと、接するのって、容易ではない。
但し、他者を見下す、他者に自分の価値基準を押し付けようとするヒトには、容赦しないマクマーフィ。その結果…。
この映画が公開され、映画祭で喝采を浴びて、ずいぶん経ちます。今の医療の現場、どうなのかな?。このクニでは「月」みたいな話がありましたけど。
タイトル忘れちゃったんですけど、確かイタリア映画で、精神疾患のある方を、ほとんど退院させる話がありました。不安になりますか?。何故、そんなことしたと思いますか?。かなりデリケートな問題なので、私から言及できませんが、邦画「くちづけ」とか、マンガ「ブラックジャックによろしく」あたりが、参考になると思います。
そもそも、「カッコーの…」ですが、これは、閉ざされた世界の、閉ざされたヒトだけのお話でしょうか。あるいは、私達、全員が当事者で、今、私達の暮らす世界の縮図として創られたのでしょうか。婦長さんになりたくないと思いながら、婦長さんと同じことしている自分が、いませんか?。
私達は、未だに、カッコーの巣から、飛び立っていないのかな?。
昔と今
仕事が医療従事者なので、この映画を観て思ったのが、今は良い時代になったなと言う事。現代は医療技術の発展だけではなく、考え方もだいぶ当時と変わり、患者主体の医療が行われるようになっている。
まず、割と序盤の方でなんの説明も無く良くわからない薬を渡されて、飲めと言われる。マクマーフィーはなんだかわからない物は飲みたくないと言う。現代ではこのマックの感覚のほうが普通だと感じるし、ああ言われたら医療者としては患者に隠さず説明をするのが当たり前で、説明無く飲ませることに違和感しか感じなかった。でも、当時は割と良くある話しだったんだろうな。
今では考えられないけど。
昔は患者よりも医者が一番偉いという風潮があったし、癌なんて病名を知らされずに治療を受けるなんて良くある話しだったわけだし。
でも、こういう映画などの功績もあって医療倫理という考え方が広まったのかもしれないと思うと、世に広く患者の権利や尊厳を訴えたという意味ではすごく意義深い映画だと思った。
なんて事を感じながら観た。
そういう視点から考えると、この映画の登場人物の中では、どうしてもマックが1番人間らしくまともに見えてしまうし、なのに人間らしさが乏しい人達の中にいたために、脳をいじられて人間としての大事な部分を奪われるという最後にはほんとに衝撃だったし、悲しさを覚えた。
周囲に好影響を与えていくマクマーフィの姿に感動
マクマーフィが仮病で入院した精神病院は、閉鎖的な空気が漂い、患者達もどこか人生に対する諦めが感じられるところだった。彼はそんな狭い世界に生きている患者達に、バスケや釣りを教えたり、頭の固い婦長の管理体制に抗議したりすることで、少しずつ患者達の意識を明るく変えていく。彼が患者達に人生の希望を見せる姿に感動し、心が温かくなる。
マクマーフィは他の患者達のことを「話も理解していない奴ら」等と差別的な表現をすることもある。しかし、それは彼が他の患者達を対等な人間として見ているからこそ、変に遠慮せずに率直に思ったことを言っているのだと感じる。そこに彼の精神病患者に対する差別心の無さが表れていて、人間的な器の大きさが見ていて気持ち良い。
マクマーフィを演じたジャック・ニコルソンの全力の演技も、マクマーフィの人間的な魅力を表現できていて素晴らしい。この映画を観てジャック・ニコルソンが好きになった。
インディアンウソつかない。 ”正しさ”が托卵するのは”システム”という狂気の雛か。
強制労働から逃れるため精神病院へと入院した囚人マクマーフィが、病院の抑圧と支配から自由になるために抗うアメリカン・ニューシネマ。
主人公、ランドル・パトリック・マクマーフィを演じるのは『イージー★ライダー』『チャイナタウン』の、レジェンド俳優ジャック・ニコルソン。
製作を務めるのは当時はテレビドラマなどで活躍していた、後のレジェンド俳優マイケル・ダグラス。
👑受賞歴👑
第48回 アカデミー賞…作品賞/脚色賞/監督賞/主演男優賞/主演女優賞(フレッチャー)!✨✨✨✨
第33回 ゴールデングローブ賞…脚本賞/作品賞(ドラマ部門)/主演女優賞(ドラマ部門)/主演男優賞(ドラマ部門)/監督賞!✨✨✨✨
第1回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作品賞!
第30回 英国アカデミー賞…作品賞/監督賞!✨
アカデミー主要5部門を制覇した、言わずと知れた名作中の名作。そして『シャイニング』(1980)と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の前日譚でもある🤥
原作は1962年に発表された同名ベストセラー小説。翌年にはブロードウェイで舞台化もされており、その際マクマーフィを演じたのは名優のカーク・ダグラス。
この物語に魅了されたカークは10年にも渡り映画化に向けて奔走するも実現はならず。その後を継いだ息子のマイケルが父の夢を叶え、結果としてその作品は映画史に残る大傑作となったのであーる。
驚かされるのはそのリアリティ!
役者さんたちの演技が皆驚くほど自然で、クリストファー・ロイド(余談だが、本作は彼の映画デビュー作である)がいなければ本物の精神病患者を使って撮影したと思い込んでしまったかも知れない。
それもそのはず、本作は本物の精神病院を使ってロケ撮影をしており、ジャック・ニコルソン以外の患者を演じる役者たちは実際に10日間入院し、その流れのまま撮影を開始したらしい。
この徹底したリアリズムはキャスティングにも表れており、ロケ地となったオレゴン州立病院の院長ディーン・ブルックスはジョン・スピービー医師として映画に出演している。
本作のキャスティングで最も難航したのは巨漢のネイティブ・アメリカン、チーフ。彼を演じることが出来る役者が全く見つからず途方に暮れていたところ、ウィル・サンプソンという男の存在を人伝に知らされる。いざ初めてサンプソンという男と会したマイケル・ダグラスはその2mを越す巨体に衝撃を受け、その場で「こいつしかいない!!」とキャスティングを決めた。
面白いのはこのサンプソン、本作に出演するまで演技経験が0だったということ。彼はヤキマ市の森林警備隊員を務めているズブの素人だった。
先のディーン・ブルックスの件といい、本作は重要な人物を演技未経験者に演じさせており、それが不思議なほど絶妙にマッチしている。配役の妙ということもあるが、これは役者陣を実際に入院させることで生み出したリアリティが全体の演技バランスを上手く調節していたのだろう。
なんにしろ、役者陣の演技が非常に良かったことがこの映画の物語性を真に迫ったものにしていたのは間違いない。
そんなリアリティのあるキャラクターたちをぶち抜いて、過剰なまでの存在感を放ちまくるジャック・ニコルソン。既成の常識を粉砕しながら爆進する彼の姿はほとんどジョーカーそのものである🃏
『シャイニング』も『イーストウィックの魔女たち』(1987)も『バットマン』(1989)も、ハイテンションな狂人がジャック・ニコルソンの独壇場となったのはひとえにこの映画での彼の熱演があったからだろう。
一人だけ明らかに演技が異質だが、それは彼がこの物語上でも異質な存在だから。全てを薙ぎ払うヒーローだからこそ、彼の怪演が許されているのです。
とはいえクライマックス、彼がチーフの手にかかり自由を得る場面。あの枕をパッと取った時の顔、あれは完全に笑わせに来てるでしょ…😅ヘゲッ!というオノマトペが似合う圧巻の顔面力に爆笑してしまったのは私だけなんでしょうか…?
『シャイニング』の時もそうだったけど、ニコルソンは悲劇的だったり恐怖する場面だったりする時に過剰な顔芸によって笑わせにかかりますよね。トラジディとコメディは表裏一体だという哲学が彼の演技の根底にあるのでしょう。…いや知らんけど。
映画史にその名を残す悪役、ラチェッド看護婦長。
『ミスト』(2007)の宗教ババア、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007)のピンクババアと並ぶ、世界三大クソババアの一角をなす終身栄誉クソババアである。
「自分が悪だと気づいていない、最もドス黒い悪」とは「ジョジョの奇妙な冒険」の名言だが、ラチェッド看護婦長はまさにこれを体現している。
彼女が厄介なのは、自らの行為を「悪」だとは露ほども思っていないところ。彼女が作り上げた”完璧”なシステムこそが唯一の治療法であると信じきっており、そこに割り入る意見や価値観は全て夾雑物として取り除いてしまう。彼女の世界の中ではそのシステムは全き「善」に他ならず、それを阻むものは皆全て「悪」なのだ。独善的な ”正しさ”はシステムを生み出し、それはそこから溢れた存在を徹底的に抑圧し排除する。その正しさが行き着く先は考えを放棄し、波風を立てることを恐れる人々が列を成す狂気の管理社会である。
SNS社会となった現代にこそ、このメッセージは深く突き刺さる。世界を窮屈にしているのは悪徳ではなく行き過ぎた”正しさ”なのだ。
ラチェッド看護婦長というキャラクターはこの”正しさ”の持つ危険性のメタファーであり、だからこそ彼女は名悪役として今に至るまで語り継がれているのだろう。
また本作で描かれているのは精神外科治療に対する強烈なアンチテーゼ。
本作を観ればロボトミー手術や電気けいれん療法など、患者の人権を無視した精神外科療法に対して憤りを覚える事だろう。
脳みその一部を切除しちゃうロボトミー手術は流石に60年代を最後に行われていないようだが、電気けいれん療法は未だなお積極的に行われているという事実にはぶったまげた。頭に電気を流して鬱病とかの精神病を治療する、ってマジかっ!?そんなんほんとに効果あんの?
こういう治療法ってあまりに安直すぎる気がする。精神の病っつうのはもっと時間をかけて少しずつ回復させていくものなんじゃないんですかねぇ…。
劇伴についてはラチェッド看護婦長のかけるクラシックレコードがそのまま作品のBGMになるという演出がとられており、それ以外のところでは音楽が流れないためとにかく静かな映画である。
ただ2箇所だけ、登場人物の心が大きく動くシーンでBGMが流れるんですが、ずっーと静かな場面が続いてからの音楽だからそれが胸にドサっと迫ってくる!
その2つのシーンのうちの一つがエンディング。いや本作のエンディングは本当に素晴らしい✨
カタルシスとはまさにこの事!チーフによる水道台持ち上げは『ショーシャンクの空に』(1994)にも匹敵する最高の脱獄場面であります!!
静かな上テンポがゆったりとしているので、全体的にはとにかく地味なのだが、バスケットボールのシーンや空想野球観戦シーン、チーフのウソが明らかになるシーンなど、脳裏に焼きつく印象的な場面がところどころに配置されているため退屈することはない。アカデミー賞を総なめしたのも納得な、名作に相応しい堂々たる映画であると思います!!
…ただ本作のクライマックスは賛否が分かれるだろう。いくらロボトミーで廃人になったとはいえ、本人の意思を蔑ろにして殺しちゃうっていうのは…。
まぁチーフはネイティブ・アメリカン独自の宗教観というか価値観を持っているわけで、だからああいう行為に到ったというのはわかるんだけどやっぱりモヤモヤしちゃう。日本では2019年に「ALS患者嘱託殺人事件」なんてもんがあったから余計にねぇ…。
まぁモヤモヤするもんは仕方ない。映画はモヤモヤするために観ているようなところもあるしね。そこも混みで、鑑賞する価値は大いにある歴史的な一作であります!!
人間らしさとは
素晴らしい
怖いロボトミー手術
隔離された病棟!! 精神を病んだ人間の尊厳とは?
ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーは
刑務所の労働から逃れるために、精神病を
装っていました。
古い時代、1963年の精神病院に来たけれど
其処には生き甲斐を無くした患者たちがいました。
社会から隔離された、看護師たちからも自由を奪われた患者に生きる希望や自由を
与えようとして必死になるマクマーフィーの
人間らしい心を見ることができました。
刑務所みたいに厚い塀に囲まれた精神病院!
病院を脱出して患者たちをバスに乗せて走る場面は患者であっても人間として自由に
生きたい!
港から船を出す場面は、人生を謳歌したい
気持ちが伝わるシーンでした。
ラチェッド婦長を演じたルイーズ・フレッチ
ャーが光る演技でした。
患者に嫌われる役柄を体当たりに演じていました。
閉ざされた病棟にまだまだ患者に対しての
差別や偏見があった時代の古さ、理不尽さを
感じました。
病院で亡くなる患者の男性の1人。
その後の孤立したマクマーフィーの姿は
生きている屍のように見えました。
マクマーフィーと患者たちの友情、人間として
の生き方、死にいく様、尊厳を考える
ストーリーでした。
補足、昨年の9月に亡くなった女優の
ルイーズ・フレッチャーに追悼したいと思います。彼女自身、難聴でありながらアカデミー賞のスピーチは素晴らしいものでした。
【精神病を詐称した男が経験した、1960年代の精神病院の現実。人間の尊厳と社会の不合理を描いた作品。前半の明るいトーンからのラストシーンの恐ろしさに戦慄する作品でもある。】
■1963年9月のある日、オレゴン州立精神病院に1人の男ランドル・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)が連れられてきた。
彼は刑務所の強制労働を逃れるために狂人を装っていた。
マクマーフィは絶対的な権限を持つ婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)が運営する病院に、さまざまな手段で反抗しようとする。
◆感想<Caution 内容に触れています。>
・途中までは、婦長ラチェッドが、病院内の規律を乱すマクマーフィの数々の行いを、歯ぎしりしながら観ている姿が印象的であった。
・マクマーフィが、それまで精神病患者たちが、病院の言いなりになって死んだように暮らす姿を変えて行く姿。
・それに感化されたように、精神病者たちの表情も生き生きとしてくる。口が利けないふりをしていたアメリカン・インディアンのチーフも、マクマーフィには口を聞く。
<恐ろしいのは、精神病患者たちに行きる意味を与えたマクマーフィが密かに脳の手術を受けたと思われる彼の額に刻まれたメスの後であろう。
彼はそれまでの快活な表情とは無縁の生きた屍のようになって、ベッドに横たわっている。
それを観たアメリカン・インディアンのチーフは、彼の頭に枕を押し付け、絶命させるのである。
勿論、彼を思っての行為である。
前半の明るいトーンからのラストシーンの恐ろしさに戦慄する作品でもある。>
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