風が吹くときのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
1980年代、英国サセックスの郊外の一軒家。
リタイアし、ロンドンから引っ越してきたジム(声:森繁久彌)とヒルダ(声:加藤治子)の夫婦。
ジムは社会情勢に関心を寄せている。
なにせ米ソ冷戦下、いつ戦争が起こっても不思議でない。
今日も図書館で新聞を読み、「室内核シェルターの作り方と過ごし方」なる小冊子を入手し、室内シェルターの製作にとりかかった。
ドアを外し、そのドアを壁に立てかけ固定する。
中には非常食やクッションを用意して。
そんなある日、核戦争が起こってしまう。
街に核爆弾が落とされたのだ。
シェルターへ逃げ込んだジムとヒルダだったが・・・
といった物語で、やわらかいタッチの画と裏腹に、どんどんと悲惨な状況に陥っていく夫婦。
画で見るとかなりの老夫婦のように感じられるが、時代を考慮すると、60代半ばぐらいの夫婦。
若い時分に第二次大戦を経験したが、英国は戦勝国。
戦争に対しては、悪い印象を抱いていない。
戦火にまみえたが、若かったジムはそれなり活躍した。
連合国側のリーダーは、いい人物だった。
今度、戦争が起こっても、我々が勝つだろう。
いわば、能天気と言ってもいいくらいなのだ。
放射能の危険などについても無知であり、それゆえ、政府の言うことを聞いていれば、そのうち助けてくれる、と信じて疑わない。
狭い家の中で、地獄になっていくことなど、信じられないのだ。
初公開にも観ており、そのときは「ああ、英国人は放射能については無知なんだなぁ」という感想が第一だったが、今回は夫婦の(特にジムの)戦争に対する考え、政府に対する盲信のほうが恐ろしく感じられました。
核の恐怖以上に恐ろしいものがある・・・
その観点からいえば、今まさに観るべき映画といえるでしょう。
救いがない
デデデデ後章を観てからずっとこの映画のことが思い出されていた。奇遇にも映画館で見られるという。TV録画で何度も見たが、劇場では初めて。
戦争に向かう世界、それをどこかノスタルジックに受け止める老夫婦。そしてデストラクション。
過去の印象は(素敵な回想シーンのせいか)ファンタジックで観念的という記憶だったのだが、見返すと著しくリアリティに寄っていた。特に生活描写、細やかな家事の仕草や家の中の動線が丁寧に描かれることで被爆の前と後が対比され、異常事態にも平常を維持しようとする努力のいじらしさと虚しさ、そしてじわじわと迫り来る終末への道の悲惨さが浮き彫りになる。後段はストーリーの起伏もないが、それは(前の大戦のような)命を賭けた戦いのスリルや高揚のない、ただ物理法則に基づく科学的な死があるのみ、という被爆の性質を表していると思える。
もうひとつ、昔は、純朴な民衆が国民保護プログラム(『防護と生存』)を盲目的に信じて騙される、という構図を見いだしていた。彗星大接近で呼吸チューブを売りつけるのにも似た、政府の欺瞞的な態度を戯画化して批判しているのだと。
大災害やパンデミックを経た今なら理解できるが、屋内シェルターの角度も何のためかよく分からない備蓄物資も紙袋さえも、国民が生き残れる可能性を少しでも高めるために科学者や官僚が真剣に考えてマニュアル化したのだろうし、その内容にも意図にも嘘はないのだと思う。
欺瞞はそこではなくて、相互確証破壊の名の下に、数千万の国民の命を危険に晒してでも守るべき国益があるという政府のテーゼに対し、テーブルに載せられた側の人々が異論を表明できない、あるいは自分がそういう状態にあることを人々に気づかせないという国のあり方にあると思い至った。(夫が防衛態勢の頭文字語を羅列するが中身は理解していなさそうだったのが示唆的である)
エコーチェンバーに陥らずに、いかに情報を咀嚼して自分で判断し行動するかが重要だと気づかせてくれる。
核の使用可能性が高まっていると言われる中でタイムリーな再映。冷戦を知らない世代の人たちにもっと観てほしい。
コメントを頂き追記:
手製シェルターの効果は、爆心から一定程度離れていれば、熱線や爆風、放射性降下物の影響の軽減が期待できるといったもので、直撃に近ければ意味がないだろう。本来は(英国がどれだけ整備していたか分からないが)地下シェルターや地下鉄駅などへの避難が優先で、そこにアクセスできない場合の代替手段なのだと思う。
生死を分ける最大の要素は被攻撃目標(政経中枢、生産基盤、人口稠密地、軍事拠点…)との距離と風向きであるという前提で(だからそこに幻想を持たない都会住みの息子はとりあわなかった)、初期の爆発を逃れた場合は救援が来るまでの間を自力で生き延びられるよう備えてくれ、というのがマニュアルの趣旨で、だからこそ一つひとつの記述には意味があるだろうと想像した。
ただしマニュアルも政府の対応手順も実地で試されてはいない。救助隊を組織できるだけの国家機構が残っているという想定は甘かったのだろう。
24-080
はだしのゲンに比べると
何とまぁ、のどかな事!二人の会話で「 ヒロシマ」の四文字が語られていたから、原爆がどれだけ怖いかは知っているだろうに、ドアを立て掛けただけのシェルターじゃねぇ...。
原作が絵本だから、はだしのゲンのように「 ギギギ... 」 と唸る事も無く綺麗な身体のまま死んでいく夫婦は絵空事のようにしか思えない。原爆って、無茶苦茶恐ろしいんですよ?
被爆地ナガサキに生まれ育った者なら、必ず行く原爆資料館で黒焦げになった遺体、爆風で飛んできたガラスが全身に刺さっても行きている人、山のように積まれた遺体などを、小学生低学年なのに見学させられて、その晩も、次の晩も怖くて怖くて眠れなかった事を思い出します。
だから、アメリカのヤンキーどもが映画で軽々しく原爆を落として被害が雹が降る程度の被害で済ましているのを見ると、
「 原爆舐めんじゃねーぞ!」 と言いたくなります。
まぁ、子どもには「 はだしのゲン」はトラウマになるくらい怖いから、放射能の怖さを知る教材としては良い作品かも。
子どもに核の恐ろしさを知ってもらうには「コーマック・マッカーシー原作のザ・ロード」を見せるのが良いでしょう。怖がるがいい、ふはははははは。
じわっと来る怖さ。当時のイギリスの事情を理解しているとよいかも。
今年285本目(合計1,377本目/今月(2024年8月度)10本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「コンセント 同意」→この作品「風が吹くとき」→次の作品「???」)
この映画が参照する当時のイギリスは、映画内に登場するようなパンフレットが配られていたのは事実だし、それこそラジオ・テレビが当たり前になってきた時期には、ラジオ・テレビを使った「核攻撃がきた、すぐに適切な対応をとって~」というような番組は放映されていました。これはアメリカほかの国においても同じです。事実上これらの番組がほぼなくなるのはソ連崩壊後になります(現在でも状況によってはテスト放映がある模様)。
そしてリアル世界では第三次世界大戦は始まっていませんが、映画内では核ミサイルが飛んできてあたりはむちゃくちゃ。パンフレットや番組がいうように「外に出てはいけない」や「水は大切にしましょう」などを(一部)無視してしまった老夫婦がたどる道のりは…といった趣旨の映画です。よって、「相手方」が出てくるわけではないし(核ミサイルらしきものが落ちるだけ)、「広義な意味での戦争もの」といえますが、明確な意味での「敵」というものは観念できません(まぁ、ソ連なんでしょうけど)。
平和の大切さを描く映画は数が多いものですが、アニメタッチのものは数が少なく、しかもその中から、「相手が明確に示されない」といったタイプの作品は珍しく良いなと思った一作です。大阪市では来週(8月2週)にも放映があるのでもう一度見てもよいかなと思ったくらいです。
採点にあたっては特に採点上気になる点までないのでフルスコアにしています。
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(減点なし/参考/日本での実情)
・ 日本ではJ-alert が運用されてはいるものの、実際に日本各地に核シェルターが色々あるわけではなく(都会部ではせいぜい地下鉄駅くらいにしか逃げられない)、その日本のJ-alertはその「想定する国」が実質的に一つだけであり、しかもその「想定する国」は突拍子もなく飛ばすので(そしてそれに対して、首相等が「遺憾に思う」というところまでセットで「(日本が発する)遺憾"砲"」などと揶揄される)、一応そういうものがある程度で、日本ではアラートがあるだけで、じゃどこに逃げたらいいのかとか水を用意しろだのということになっておらず(せいぜい、時々の「本物」と、いわゆる「テスト放送」とで時々見ることができる程度)、日本ではとりあえず「あるだけ」になってしまっているのは、日本国憲法のいわゆる「戦争の放棄」との関係でもあるし、実際に「どこにでもシェルターを作る実際のお金がない」といった問題にも依存してきます。
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トラウマと有名なあの作品がリバイバルと聞いて
記事などでトラウマとして挙げられる事が多い風が吹くときがリバイバル上映されると聞いて行ってきました(円盤化や配信もされていない様子?なので)
内容は実写の映像や模型などとアニメーションを組み合わせた作品で、田舎で2人で暮らす老夫婦が被災し弱っていく様子を見る感じです。
戦争が始まるとラジオから流れてきているにもかかわらず緊張感のない奥さんと、曖昧な知識しか得る事ができず説明に説得力を持たせることが出来ない旦那さん…曖昧な知識で核爆弾への備えをするものの、遂に爆弾は投下され…
投下による崩壊のシーンは直接的なグロ表現が繰り広げられるといったことはないのですが、映されている光景とはちぐはぐな字幕「ケーキが焦げた!」がなんとも奇妙で怖いです。
作ったシェルターのおかげで命を取り留めたものの、それを幸とは言えない、ただただ救助を待つしかない地獄の日々が始まります。ずっと前向きな言葉をかけ続けて奥さんを励ます旦那さん…その日その日を生きながらえて、徐々に徐々に衰えていく様子が続きます
バカにしていた紙袋を被る対策をとり、シェルターで神に祈りを捧げ…
奥さんが「もういいのよ」みたいな言葉で、物語と視聴者のメンタル摩り下ろしタイムは終わります
決してすごい善人でも悪人でもないごく普通の夫婦が、非もないのに苦しみ命を奪われる…(死んだという表現はありませんが…) 特別好ましいと思える2人ではありませんでしたが、それでも救いのない結末は悲しく辛いです。少なくとも不幸になるべきとは思えません…
好きな作品として挙げる事はないと思いますが、見る事ができて良かったですし、いい作品だと思います。ただ日常生活シーンが続き、劇的に盛り上がったりはしないので教育アニメ的なものを見る、という心づもりでないと退屈に感じるかもしれません。(旦那さんはなかなかコミカルな人ですが) 作品を見る事が出来る貴重なチャンスなのでそのあたり問題ない方にはおすすめしたいです。
劇場にはパンフや絵本(原作本?)の販売もありました。会場前にパンフは買いましたが絵本も気になってきましたね…
【温かみのある絵のタッチからは想像もつかない、哀しく恐ろしい原爆アニメーション映画。戦争が無くならない現代に観ると、更に哀しく恐ろしい作品である。】
■イギリスの何処かの田舎に暮らす老夫婦、定年退職したジムとヒルダ。二人はジムの退職をきっかけに田舎に越してきて平和な生活を送っている。
だがある日ラジオから、3度目の世界戦争の勃発と原爆が投下されるという情報が流れてくる。
◆感想
・”風が吹くまでは”二人はのんびりと過ごしている。そして、ラジオから緊急ニュースが流れて来ても、"政府"が配ったお粗末な手引きにより、木の板を壁に立てかけただけの”シェルター”を作り、原爆に備えるのである。
余りにも、粗末な”シェルター”だが、二人が政府が配った手引きを信じて備える姿が、何とも切ない。
”そんなシェルターじゃ、駄目だよ・・。”
・そして、真っ白な光と共に猛烈な”風が吹く”。列車は、線路を外れ川に落下し、家々の屋根は吹き飛ぶ。そして、その後は犬の鳴き声意外は、何もない世界になる。
■この映画の哀しくも恐ろしい描写は、ここからである。
ヒルダが、徐々に体調を崩して行く中、二人は外に出てチェアに座って日に当たろうとしたり、雨が降ってくればそれを貯めて飲料水にしようとするのである。
二人の身体には、原爆症の印である斑点が出始めるが、ジムは余り気にしない。
だが、ヒルダの髪が抜け始め、ドンドン憔悴していく二人は”シェルター”の中に入り、神に祈るのである。
二人の無垢だが、余りにも原爆の恐ろしさを知らない姿と"政府"のお粗末な"手引き"を信じる姿。
<今作のフライヤーを読むと、クリストファー・ノーラン監督もこの作品を幼い時に観たらしい。
今日の朝8時から、広島で「原爆死没者慰霊式・平和記念式」が行われる。毎年世界100か国以上から代表者が集まる。
代表者の方々には、是非、式典が終わったらトットと国に帰るのではなく、”広島平和記念資料館”に足を運んで貰いたいものである。
そして、今年こそ日本の首相は、あいさつの中で核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を宣言して欲しいものである。
日本人である程度の年齢、経験を積んだ者であれば、8月の6日、9日、15日位は彼の大戦で犠牲になられた方々を偲ぶべきだと、私は思います。>
非日常の中で淡々と日常を過ごす意味
リバイバル上映ということで、数十年ぶりに鑑賞しました。
以前観た時になんとも言えぬ後味の悪さを感じ、もう観ることはないだろう…(辛いので)と思っていましたが、改めて当時の世界情勢の背景を想像しながら観ると、反核・平和への願いを強く感じました。
日本では被曝国ということもあり、核爆弾の知識を学ぶ機会がありますが、40年近く前の諸外国ではおそらくこの主人公の夫婦のように被曝後の身体への影響等について情報を得る機会もあまり無かったのではと推測されます。
非日常的なことが起きているのに、何とか日常を保とうと過ごしている夫婦のアンバランス感がじわじわと怖さを感じます。
網の目に風たまらず
リバイバル上映の吹替版にて鑑賞。
粗筋に「核戦争の恐怖を描いた」とあるが、描かれていたのは“無知”と“盲信”の恐ろしさだ。
ジムは政府の言う通りにすれば大丈夫と信じ、ヒルダは楽観的を通り越して思考すらしない。
それだけであれば皮肉な滑稽劇として観られるが、正直に言ってこのあたりの描き方には疑問を感じる。
ジムは世界情勢を気にして新聞にも目を通すし、何より『ヒロシマ』に言及しているのだ。
その上であの知見ということなのかもしれないが、些か行き過ぎではないか。
おまけに、防空壕を秘密基地扱いしたことなど過去の戦争を楽しい思い出のように語り出す。
子供ならまだしも、老齢の夫婦がというのはサスガに受け入れ難かった。
とはいえ、仲睦まじい夫婦が放射能に侵されていく様は堪えるものがある。
段階的な描写と、その中でも変わらぬ声色で励まそうとするジム、という夫婦愛としては見るものがある。
逆に言えば、夫婦しか描かれていないとも言える。
その姿は被爆者の一例であり、“数”という核の恐ろしさの一面は良くも悪くも一切描かれない。
当時なら別だろうが、人並みに同様の題材に触れてきた身としては、新しいものはなかったかな。
滑らかな動きのみならず、実写と組み合わせる手法など、40年近く前とは思えない映像は見事。
ただ、綿毛からの幻想や、3〜5文字の機構を羅列するなど余計な部分も目立つ。
局所的な描き方をするのであれば、もっと深く刺さるようなものを期待してしまった。
絵本も素晴らしいけれど…
被曝に無知で何が悪い
核被害を描いた名作だが、意外に実験的な描写も含んでいる一作
核戦争の惨禍を描いた作品として確実に筆頭に上がる本作。絵本のような優しい筆致でありながら核戦争の恐ろしさを描いている作品、と認識していましたが、時折実写の映像を差しはさむなど、ちょっと前衛的、というか実験的な描写も盛り込んでいた点は意外でした。最初「入る映画館間違えたかも……」と思ってしまったほどに。
イギリスの農村に住む老夫婦が、核戦争後の放射能汚染によって徐々に身体を病んでいく、という過程を克明に描いていて、状況の凄惨さとほのぼのとした絵柄の落差がむしろ強烈な印象を与えています。
他方、この絵柄だから観通すことができる、という側面もあって、これが実写なら中座してしまうかも、と思わずにはいられませんでした。
老夫婦が、放射能汚染について無知ゆえに苦しむ、のではなく、第二次世界大戦を生き延びた経験から政府の救助を固く信じ、それが事態への対処を遅らせた(ああなったら何をしても手遅れなような気もするが…)、という描写も、冷戦ただなかの当時には強い説得力があっただろうと感じました(森繁久彌の吹き替えは秀逸だけど、あんまりにものんびり、かつ事態に対して見当違いと思えるような認識で話すので、「そんなことしてる場合じゃないんだよぉ!」と肩をつかんで揺さぶりたくなる気持ちになることもしばしば)。
これほどまでに核と放射能の恐ろしさを正面から描き、実写映画としても『ザ・デイ・アフター』(1983)や『テスタメント』(1983)などを作ったのに、その後のハリウッド映画で核爆発を「通常爆弾よりちょっと規模の大きな爆発」程度にしか描けなくなってしまったのはなぜなんでしょう……。
アニメじゃない
1986年製作の英国アニメーション映画
日本では1987年初公開
高校生の頃テレビかなにかで観たような気がする
いずれにせよ映画館ではなくテレビで観た
鑑賞はそれ以来となる
8月2日から各地でリバイバル上映される
地元ではフォーラム仙台だ
自宅から100キロ以上離れているが北海道民感覚ならわりと近所のうちに入るだろう
それまで待てずにU-NEXTで鑑賞した
オリジナル字幕版で
舞台はイギリスの片田舎
主な登場人物はジムとヒルダの老夫婦
若い頃に2人は二つの大戦を生き延びた
ロンという息子がいて独立し離れて暮らし妻子がいた
ロシアとの核戦争が始まると聞き政府発行のパンフレットを参考に備えるジムとブツブツ言いながらも協力するヒルダ
アニメーション作品のわりに実写シーンが多い
いきなり冒頭実写だし背景や静物が実写だったりする時もある
実写混じりのアニメーション
日系監督ムラカミ氏はリアルを追求したかったんだろうがそれならアニメじゃなくても良いんじゃないか
キャラクタービジネスを狙ったのかもしれない
ジムがバスに乗っているシーンでのBGMはいらない
おそらくデビッド・ボウイだろう
彼のような偉人に大変失礼な話だがはっきりいってうざかった
核シェルターがあまりにもお粗末だ
ドアを斜めに壁に付けてその中に老夫婦が避難するという馬鹿げた代物
布団用のクッションと食料と水を入れて
こまわりくんがモモちゃんの自宅の軒下に隠れ家を勝手に作っていたがそれとはまるで違う
パンフレット通りに48時間後に外に出てみると辺りは変わり果てた残状で人影は見当たらなかった
鳩は飛び立てず死にかけていた
水道も電気も止まり電話は繋がらなかった
牛乳も新聞も届かない
核兵器使用をちらつかせる独裁者は他国に確かに存在するが核戦争なんてまず起きないだろう
でも冷戦の頃はメディアなどがこぞって恐怖を煽った
ノストラダムスも手伝い終末思想が流行した
僕は子供の頃から既に他人と価値観をなかなか共有できずどこかしら楽観的でそういう世相を見下していた
放射能の影響で衰弱していく老夫婦の姿がこの作品の1番の見どころだろう
アニメ嫌いでも日本人なら必ず観るべし
原発問題を抱えてる国には
まず、"知らない"、無知であるということがこれだけ恐ろしいことなんだと知る作品、
放射能を浴びた老夫婦が日に日に弱っていく日々を描いてるんだけども、
この中の1つのシーンで旦那さんが奥さんに"顔色が悪い、日に浴びるといいよ"と言って外で日光浴をすすめるシーンがある、
心の中で"うわーダメー!"と思わず叫んだな、
イギリスが舞台らしいが中心地にいた人たちはきっと亡くなり、草木は枯れ、鳥などの生き物もみんな死んでいくところも描かれてるが、
その中でもトイレの下水の中から元気に生きているネズミだけがいて、そんなところも描かれているのに衝撃を覚えた、
かなり昔に見たけど今だにいろんなシーンを鮮明に覚えている作品です
森繁久彌と加藤治子に尽きる。
最初に見た時には、ひょっとすると日本以外の人々の核爆弾や放射線に関する知識はこの程度のものなのかもしれないと思いました。またヒルダとジムの夫婦についても、愚かさや無知に対しては否定的な感覚を持ちました。(感動もしましたが・・・)
二度目に見た時には、外国のDVDを買って見たので、字幕もなく、会話が全く理解できず退屈でした。(それが最初のレビュー(星3つだった))
今回は三回目。ヒルダたちの愚かさは、ひょっとしたら、否定的なことだけではないのかもしれないと感じました。お互いのことを思い合ってはいても、確かな知識を何も持たないままの二人の姿は確かに愚かです。しかし、愚かであっても、だからこそ尊いというか・・・。とにかく否定的なものだけではない何かを感じることができました。うーん・・・。うまく表現できていませんね。すみません。中途半端な表現になってしまいました。うまい表現を思いついたら、この部分また書き直します。
この映画のソフトさに、本来の核の怖さを知っている人たちから批判の声が上がることもあると思います。それは当然のことです。
それでも、この映画を全世界の子どもたちに見せることには、とても大切な意味があるのではないでしょうか。
だからこそ、しぼりにしぼって、せめて45分程度におさめて欲しい。日本ならば小学校の授業で見せることのできる長さにして、義務教育のうちに、国民全員が見ることができるようになれば、と願ってしまいました。
また、「愚か」という表現を使ってしまいましたが、今回初めて、私自身も、確かに核などに関する知識は彼らよりずっとたくさん持ってはいるのでしょうが、彼らと何ら変わりがないのではないかと感じました。
デヴィッド・ボウイの「When The Wind Blows」が心に残ります。
〈最初のレビュー〉
いい映画なのですが、いかんせん長い。
30分くらいにできれば、小さなこどもたちにも見せることができるのにと思った。
DVDを買いたくても買えないのも残念。
こんなアニメ映画があったんだな。
2011.3.11。東日本大震災を経験した日本人にとっては、また違った思いで鑑賞せざるをえない。
時代は1980年代なので、米ソ核戦争を想定したものであり、チェルノブイリ以前だということを頭に入れておく。ほとんどが夫婦の会話のみ。それも多少ボケてはいるが、ほぼ知識の少ない一般人レベルなので、感情移入しやすい。第2次世界大戦を経験して、「あのときの戦争はよかったわ」などとたわけた発言もある(笑)。だから、どうしても過去の戦争しか比較の対象になっていない会話。夫の方は広島原爆についても知識があり、うんちくを並べ立てるが、科学の進歩により核兵器は格段の差があるだろうと予想はできた。しかし、政府発行のパンフレットに頼り切り、窓に白ペンキを塗ったり、ドアを60度に立てかけ、それが核シェルターになるのだと真剣に取り組んでみるのだ。
あっという間に核戦争。一つの原爆が落ち、夫婦の住む家はボロボロに・・・それでも二人はなんとか生きていたが、用意した水を入れた瓶はこなごな。食料だってまともに食えたのは缶詰のみ。やがて、原爆症の症状が彼らを蝕んでいくのだった・・・髪が抜け落ち(チャーリー・ブラウン似の夫はもともと毛がない)、赤い斑点が現れ、二人とも衰弱の一途を辿る。最後にはなぜか紙袋を被る二人・・・
核に対する無知。無知の美学。世界の終焉とあらば、そのほうが幸せなのかもしれない。アニメで描かれているのはそんな内容だけど、反核ではあるが反戦ではない。しかし、ハリウッドの映画人にはなかなか作れない内容なのは確か。同じ核保有国でありながら、感覚が違うんだろうな。
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