カスパー・ハウザーの謎のレビュー・感想・評価
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人間や知性、はたまた文明について考えさせられる怪作
鬼才ヘルツォークの映画を観るときにはみぞおちのあたりが痙攣する。その世界はときに常軌を逸し、観る者を驚かせ、ともすれば嫌悪させることも多いが、本作も「人間性」というおぼろげな輪郭を持った存在について、彼にしか成しえない素っ頓狂さで迫ってみせる。序盤から、ほぼ言葉を用いずに主人公の暮らしを描く場面には、演技の域を超えた異常さを感じるばかり。そこから彼が初めて街へと足を踏み入れ、文明と対峙を果たす場面からは、物語のテーマがより内面へと向かっていく。とはいえ、説教じみたことは何もなく、ヘルツォークなりの荒治療で次々と描写やエピソードを重ねて、観る者に淡々と突きつけるのだ。面白いものでこの真っさらな視点で、ぎこちなく語られるカスパーの言葉には妙に心を打ち、芯を喰ったところがある。彼は何者だったのか。それについて考えることは、人間性とは、知性とは、文明とは何か、を問うのと同意味を持つのかもしれない。
穴蔵から外へ
何度か涙を流す場面があったけれど笑ったり怒ったりは無く感情の起伏は乏しいままで世の中に出られたことは彼にとって意味はあったのか。
下品かもしれないが気になったのは女性との接し方や性教育を教えていたのか?
そんな描写が一切無かったことが実話だとしてもリアルさに欠けているような。
観ていて段々とカスパーに愛着を感じてしまうが全体的に淡白でダレる。
キャラバンの目指す先は・・・?
さすがにヘルツォークは裏切らない。これが本作を観終わった直後の感想。
19世紀最大の謎と言われるカスパー・ハウザーは実在の人物。彼は十数年間地下室に閉じ込められ、記憶を失い、言葉もしゃべれず、歩くこともままならない状態で発見された。彼の出生については当時様々な憶測が飛び交い(ナポレオンの落とし子という説まであった)、最後は非業の死をとげた。それすら陰謀による暗殺と噂されたほどだ。しかし本作はその謎を解き明かすものでは全くなく、あくまでもカスパー・ハウザーという特異なる人物像にせまったヒューマン・ドラマ(?)だ。
ヒューマン・ドラマとはいっても、鬼才ヘルツォークの手にかかれば、単純なハートフルドラマになろうはずもなく、コミカルな中に人間社会に対する痛烈な皮肉が盛り込まれている。
本作において重要なポイントを締めるのは、ブルーノ・Sという素人俳優。彼を見出した監督もスゴイが、まるでカスパーそのもののブルーノ・Sの無垢さがスゴイ。カスパー同様に数年も隔離生活を送った経験のある彼の浮世離れした存在感。作中の彼の表情に「ウソ」は無い。初めて見たロウソクの火を捕まえようとして指先を焼いてしまった時、驚きと痛みで涙を流す表情が忘れ難い。言葉も知らず、社会生活のルールも知らないカスパーだが、動物を愛し、赤ん坊を可愛がる彼の心の優しさ。猫に二足歩行を教えようとしたり、リンゴに意思があると言う彼の純粋さ。彼の奇跡は、出生の謎や数十年閉じ込められていたという事実ではなく、純粋無垢である彼の存在そのものが奇跡なのだ。辛抱強く彼に言葉や社会のルールを教える老紳士や家政婦、子供たちは、そんな彼のことが大好きだから。彼を実験の対象や奇異の眼で見る者たちは、彼に「教える」資格は無い。興味深いのは、学者や宗教者が彼に教え込もうとする難しい理論や神の摂理が、全てウソ臭く無意味な物に感じること。ここにヘルツォークの社会批判が見え隠れする。
カスパーは、言葉や音楽など様々なことを学び、感性を磨いていくが、純粋無垢な心は最後まで忘れなかった。何者かに刺され、瀕死の状態で伝えようとする彼の夢の物語、そこに登場するキャラバンの目指すものは、無垢な者だけが行き着ける愛に満ちた国だろう・・・。
さて、ラストカットで再び映される幽閉生活。このカットは何を意味するのか?もしかすると今までの物語は、閉じ込められた部屋の中で、カスパー自身が見た夢だったのか?夢の中で人間社会を垣間見ることのできるカスパーこそ、もしかしたら神そのものなのかもしれない・・・。
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