劇場公開日 2020年2月23日

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「安らかに眠ってくれるな」女と男のいる舗道 abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0安らかに眠ってくれるな

2024年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

知的

ジャン=リュック・ゴダール監督作品。

ナナを救うのは「死」のみか。

舞台女優を夢見る彼女の行きつく先は娼婦である。男は性欲の解消のために、ナナは金銭を得るために、そんな利害のために貸される彼女の身体。それは絶えずナナという実存が死に続けることかもしれない。

だから劇中に登場する『裁かるゝジャンヌ』で彼女は涙するのではないだろうか。死によってしか救済されないジャンヌの境遇を自分に重ねてしまうから。

エピソード11でナナは見知らぬ老人と哲学談義をする。
老人は言葉は愛と同じで、それなしに生きることはできないという。そして人間は書くようには話せないから言葉を裏切るともいう。ではなぜ表現するのか、ナナは疑問に思う。それに対して老人は考えるために話をするのだと答える。

老人「話すことはもう一つの人生だ。…別の生き方だ。…話すことは話さずにいる人生の死を意味する。…話すためには一種の苦行が必要なんだ。…人生を利害なしに生きること。」
ナナ「でも毎日の生活には無理よ。利害なしに。」
老人「だから人間はゆれる。沈黙と言葉の間を。…それが人生の運動そのものだ。…日常生活から別の人生への飛翔。…思考の人生。…高度の人生というか。…日常的な無意識の人生を抹殺することだ。」

ナナは愛を裏切り、裏切られる。それはナナが死に続けることかもしれない。絶えず死にゆく自身の話をナナがすることーそれは映画によって描くことと同等であるーは傷を開く行為だ。けれどそれのみがナナに再び生を与える「奇跡」の儀式である。

言葉でもって話をすることは特別な儀式であると同時に誤りをもたらし、嘘にもなり得る。老人とナナもそれに言及している。

ナナ「嘘をつきやすいこと?」
老人「嘘も思考を深める一つの手段だ。…誤りと嘘の間に大きな差はない。…言葉が見つからないことへの恐怖。」
ナナ「言葉に自信が持てる?」
老人「持つべきだ。…努力して持つべきだ。…正しい言葉を見つけること。…つまり何も傷つけない言葉を見つけるべきだ。…つまり誠実であることね。…“真実は誤りの中にもある”。」

ナナの語られる人生は誤りかもしれない。夫の元から去り、夢を希求して、結局娼婦になってしまったのだから。でもそこにはナナの実存が賭けられている。それならばそこには真実が確かにある。人生について。生について。愛について。

ナナ「愛は唯一の真実?」
老人「愛は常に真実であるべきだ。…愛するものをすぐ認識できるか。…20歳で愛の識別ができるか。…できないものだ。…経験から“これが好きだ”と言う。…あいまいで雑多な概念だ。…純粋な愛を理解するには成熟が必要だ。…探求が必要だ。…人生の真実だよ。…だから愛は解決になる。…真実であれば。」

ナナは絶えず話していこうとすることで、もう一つの人生を生きようとした。そして真実の愛を探そうとしていた。
しかしナナは死んだ。22歳の彼女は、愛を経験主義的にしか認識できず、形而上学的な純粋な愛には到達できなかった。

物語は、ナナの人生は、ここで終わる。映画として。

いや映画だから、ナナはまだ死んでいない。
ナナの人生を光学的に記録した映画を私たち鑑賞者がみる。時空間を超えて、何度でも。そして何度でもこの映画について話す。この絶えず映画に働きかける運動が、ナナを何度でも蘇らせる。
それは残酷なことかもしれない。ナナを絶えず死なせ、生かすのだから。

だからゴダールよ。私は何度でもあなたを蘇らせる。あなたが記録して語った人生を、絶えずみて話すことで。レオス・カラックスよろしく最大の敬意を込めて「安らかに眠ってくれるな」。

まぬままおま