劇場公開日 2020年2月23日

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「女と男の絶対的な隔絶を、撮影技法の工夫により表現した傑作」女と男のいる舗道 慎司ファンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0女と男の絶対的な隔絶を、撮影技法の工夫により表現した傑作

2022年9月15日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

肉体では交わっても、真に向き合うことのできない女(アンナ・カリーナ)と幾人もの男たちの関係の歪さを、会話シーンにおいて一般的に用いられる切り返しショットを崩して撮影することで見事に描出する。
会話はしているけれど、しかし対話にはなっていない女と男の絶対的な断絶、その痛々しさがアンナ・カリーナの真っ直ぐな瞳を介して観る者に突き刺さる。
例えば、最初の元夫との会話シーンは、二人を背中側からしか撮らないという異常なカットバックで表現される。
ドライヤー「裁かるるジャンヌ」を一緒に観た男と別れ、今カレの写真家と合流してカフェで話すシーンでは、横並びになった二人の左右の切り返しポジションをカメラが行ったり来たりするが、そのリズムが会話のテンポと同調していないために、滑らかな会話劇とはとても呼べない不安定なリズムが映像には生まれる。
すべての会話シーンや売春シーンに工夫が凝らされており、カリーナが一人で実に幸せそうにミュージカルを演じるシーンなど本当に切なく感じさせられるのだが、すべてを説明するのは割愛する。

以上のことを念頭において観ていくと、突然、カリーナと真の“対話”を行う人物が現れることに、観る者は果てしない感動を受ける。最後から2つ前のシーン、哲学者との会話場面である。
カリーナ「何も話さずに生きるべきだわ」
哲学者「本当にそうかね?」
カリーナ「…わからない」
哲学者「考えることを諦めた方が楽に生きられる。話すことは、もう一つの人生を生きることなのだ。話さずにいる人生の死を意味するのだ」
カリーナ「命がけなのね」
哲学者の話を聞いているカリーナは、唐突に画面のこちらを見つめてくる。
あなたと、会話することはできる?
真に言葉を交わすことはできる?
と、カリーナの瞳は訴えてくる。
そしてこのシーンは、作中で唯一、カットバックが成立している。
二人の間に、対話が成立しているのだ!
しばし考え、言葉を選びながら話すカリーナ。
カリーナの投げる疑問に、思考を巡らせながら真剣に応える哲学者。
この哲学者ブリス・パランは、ゴダール自身の恩師だそう。

「ゴダール 映画史」でゴダールは当時のことを振り返り、
「彼女(カリーナ)と一緒に映画のことを話すことができなかった。」
「我々の間には、対話が成り立たなかった。今思うに、私はそれを受け入れるべきじゃなかった。」
と、別れに至る原因を自己分析する。本作の内容とそのまま二重写しになるこの述懐の切なさたるや、果てしないものがある。

カリーナ自身は完成した本作を観て怒り心頭だったというが、いや、本当に素晴らしい輝きを放っていると、カリーナもゴダールも死んだ世界から、真実の称賛を二人に送りたい。

Ka!