劇場公開日 1990年2月10日

「ダブルミーニングの滑稽さ」俺たちは天使じゃない(1989) Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ダブルミーニングの滑稽さ

2022年10月28日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

最初、1935年、カナダの国境近くにある、深刻な罪状の人々の州の監獄と出るから、こんなコメディだとは思わなかった。ネッド(ロバート・デ・ニーロ)とジム(ショーン・ペン)は片田舎のルター派の教会の催しに招かれた神父と間違えられる。このコメディで一番、面白く印象に残ったシーンは
ダブルミーニング、ほのめかし、掛け言葉、とか言われる表現で一つの修辞法である。(下記に意味を掲載した)この表現法でこのコメディをより面白くしている。それに、韻も踏んでいる。

ダブルミーニングの顕著なのは、ジムであるブラウン神父が、プロセッションというルター派の儀式で説教しなければならなかったところだ。この説教はクジに当たり、抜き打ちだったため、準備は何もしていないし、ましてやジムは神父ではない。しかし、聴衆は著名な作家でもあるブラウン神父だと思っている。そこでの説教だが、聖書を開き、何か言おうとするが、目に入ったものは、店にタダで置いてあって持ってきたチラシ。
彼はこれを読み始める。
『一人だと、思ったことがありますか?誰にも頼れないと思ったことが。。。。』 これは、説教の出たしで名文句だと思ってチラシをよく見たら、コルトという銃の宣伝文句。大笑い!!! それから彼は
こう続ける。
『ポケットの中に何を見つけたと思う? 何にも、何にもそこにないんだ』『金を取ることもできる、持っているものも、殴ることもできる』『あらゆることが皆さんに起こる。。。。。』などと。
これはジムの見解で銃の話、自分の過去などを話しているのだ。しかし、イントロの部分から困難な状況に陥っている人の心を惹きつける上等な説教である。うまい!拍手喝采も頷ける。それに、彼は最後に神父の道を歩むようになるし。
既成のものより自分の経験を話すこといかに人々の心を打つかがここでよくわかる。ジムはこの後はストレートに悲しみがある人、神は素晴らしいという人に対して『私は知らない』と言っている。締めくくりに、聖書や神の存在が心に平安を与えるなら信じなさいと。そして、人々は罪があると。
このシーンが最高に良かった。聴衆の心を打ったように私の心にも響いた。

韻をちょっと踏んでいると思われるいい例は:
最後の啞の少女がネッドに救われて、初めて口を開いたところだが、ネットが犯人(Convict)だという。それを通訳が神父のトップに(ホイト・アクストン)伝える。この神父が、生まれ変わって、ルター教徒になったと(Convert)。この流れがかっこいい!

最後の、ネッド(ロバート・デ・ニーロ)とジム(ショーン・ペン)がそれぞれ自分の道を進むところがいいね。ジムはブラウン神父を慕う神父(ジョン・C・ライリー)とローズ(朝の祈り、Lauds)に出られるね。何にもない田舎町の教会を訪れた神父は特別な存在であったから、偽でもブラウン神父を慕う気持ちよくわかるね。これがまたダブルミーニングで、偽でも、嘘でも信じきってしまうというジョン・C・ライリー役の神父で異端宗教を皮肉で表しているのかも??
ジョン・C・ライリーとショーン・ペンの会話が微笑ましかった。
ジムの一生の転機がやってきたね。おめでとう。

ダブルミーニング:
ウィッキーから抜粋、『隠された意味に通じていない人はそれは気付かず、また変だとも思わない(理由はわからないがユーモラスだと気付く人はいるかも知れない)。ほのめかしは、隠された言外の意味をわからない人には不快感を与えないため、子供たちが目にするシチュエーション・コメディなどの喜劇でも広く使われている。』

Socialjustice