エデンの東のレビュー・感想・評価
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ジェームズディーンが好きだ
今の自分にとってジェームズディーンが特別な人間だと再認識した。繊細で不器用で苦しむ姿が自分に重なる。寂しい表情がカッコ良くもある。
映画としては『理由なき反抗』の方が好き。今作は終わり方がぼやっとして腑に落ちなかった。キャルの選択というより、状況が状況なだけにそうせざるを得ない感じがした。
行き過ぎた善と清らかさは人を縛り付ける
銀行に一人のマダムが預金に訪れる。挨拶のような感じでマダムに話しかける銀行員を「急いでるのよ」と遮って通帳をひったくる姿はあまり好感が持てない。
そして、そのマダムの後ろをつけて歩く一人の青年。彼も挙動不審でどことなく近寄りがたい。
家までつけてきた彼をケートと名乗るそのマダムは用心棒に頼んで追い返してもらおうとするが、青年は彼女のことを何とか聞き出そうとしてなかなか帰らない。
貨物列車に飛び乗って帰る彼の姿に、随分遠出してきたらしいことが分かる。
彼はキャルという青年で双子の兄弟アロンと美しいアブラは婚約関係にある。父アダムは冷凍保存で食物を長持ちさせる方法を追及している。
とにかくキャルの行動が不可解。愛し合うアロンとアブラの姿をじっと覗き見していたり、狂ったように父が保管している冷凍用の氷を投げ出したり。
キャルのことを「何だか怖いわ」というアブラに、「あいつの考えていることは分からない」アダム。観ている側も同じ気持ちだ。
しかし、キャルが何故そのような行動を取っているのかが次第に分かってくる。実は死んだと教えられてきた彼の母親は生きている。それが彼が追跡していた酒場を経営するケートなのだ。
何故父は母親は死んだと兄弟に告げたのか。神への信仰に厚く心の底から清らかさを求めるアダムに対して、ケートはどちらかというと美しくて魅力はあるが性悪だった。アダムが言うには「暖かさと良心のない女」だったという。そんな正反対の二人が上手く行くはずもなく、二人は別れてしまった。アダムはその人生の汚点を隠したかったのだ。
心の清らかなアロンと違って、自分は父に愛されていない、しかし母親が悪人だから自分の悪の心は母親譲りなのだと気づいたキャル。
ひょっとしたらアダムが利益が出るかどうかも分からない冷凍保存の技術に夢中なのは、ケートとの結婚生活が短く終わってしまったことに原因があるのかもしれない。少しでも長く作物に瑞々しい時間を与えようと。
父からの愛を得るために人が変わったように明るくなり、父の仕事を戦力で手伝うキャル。しかし、汽車でレタスを輸送途中に雪崩れのせいで足止めをくらってしまい、氷は溶けレタスは全て駄目になってしまう。落胆を表に出すまいと明るく振る舞うアダムの姿に、アロンは「父さんは全然落ち込んでないんだね」と無邪気に喜ぶが、キャルは「お前は何も分かってない」と言い放つ。
そして、世間は第二次世界大戦にアメリカが参戦するかどうかの話題で溢れる。アメリカが参戦すれば穀物の相場が上がることを知ったキャルは、大豆で当てて父のレタスの損失を埋めようと思い立つ。
その資金を彼は母親であるケートから借りようと何度も追い返されたにも関わらず、彼女の酒場を訪れる。ケートにもキャルが自分の息子かもしれないことは薄々分かっていた。アダムに対して「彼は清らかさで自分を縛りつけようとした」と語る彼女は、アダムとの生活の息苦しさから銃で彼を傷つけてしまった。アダムとの生活はこりごりだが、やはり自分の息子には愛着があるのだろう。ケートはキャルにお金を渡す。
最初は観ているこちら側もキャルのことを不可解に思っていたが、実は愛情に乏しかっただけで、そこまでひねくれてもいないし、悪人でもない。父のためにお金を稼ごうとする姿はとても健気だ。
アブラも実はそんなキャルのある意味正直な生き方に少しずつ引かれていく。
アロンは善人だけど、「愛について口先だけで語るし、頭で理解しようとしている」のと、自分の清らかさをアブラにも求めようとしている。
彼女自身はそこまで善人ではないが、この作品の中では一番物事が良く見えていて心が広い人間に思われる。キャルに触れる仕草なんかに、本人は自覚してないだろうけど小悪魔的な要素はあるのだが。
いけないと思いつつも、彼と口づけを交わしてしまったアブラは「アロンを愛しているの」と苦悩する。
戦争が激しくなり、あるドイツ人の男が民衆に罵倒され押し掛けられているのを、戦争に反対のアロンは止めようとする。それを助けようとキャルが介入したことで事態は悪化してしまう。
善意でアロンを助けようとしたキャルに対して、彼がアブラと一緒にいたことも気に入らなかったアロンはキャルに冷たく当たり、そこから大喧嘩になってしまう。
そして、父の誕生日にアブラとの結婚を発表したアロンに対してアダムが心からの祝福を述べたのに対して、キャルが大豆で稼いだお金を見て「こんなものは受け取れない。今すぐ返してこい」とつっぱねたことで最悪の展開となってしまう。
結局アダムもアロンも清らかであることと、善であることを心がけたつもりだが、それは自分の理想であるもの以外には目を向けない行為であり、それがキャルにとっては自分が愛されてないことを決定的に知らしめる結果となった。
キャルに無理矢理ケートの前に連れ出されたアロンは、自分の理想が壊されたことで発狂し、そしてアダムもショックで倒れてしまう。
ついに脳卒中になってまで現実から目を背けようとしたのだ。
失意のうちに家を出ようとするキャルと、余命幾ばくもないアダムを救ったのはアブラだ。
アブラはアダムに愛されないことがどれだけ人の心を捻れさせるかを説き、彼を許さなくてもいいが、せめて愛情の一部でも見せてほしいと懇願する。
心打たれたアダムは、キャルに一つだけお願いをする。看護婦を変えてほしいと。
アダムの看病に何とも下品で繊細さの欠片もない看護婦が当てられたのも皮肉なものだと思ったが。
アブラと共にキャルが父の看病をして暮らすことになるラストはハッピーエンドなのかどうかは分からないが、一つの救いではあると思った。
善とは何か、悪とは何かを色々と考えさせられる内容で、あまりにもシナリオが完璧すぎて怖くなるような映画だった。
その術を使って、レッドパージの映画界から追放されること無く、彼は生き残っている
モラトリアムだが、狡猾な青年の話。スタインベックの原作だから、ストーリー展開は決まっているが、結末に何一つひねりがない。先物相場とか買い占めとか、資本主義の汚点ばかりで話が進行し、その中で何もできなかったもう一人の兄弟が、戦争で身を滅ぼす。そんな話の構造。『主人公の方が狡猾で生き残る術を持っていた』と言う事で、共感出来るが、エリア・カザンの経歴を考えると、その術を使って、レッドパージの映画界から追放されること無く、彼は生き残っているので、その点をあまり、芳しく思えない。勿論、あまり語られる事がなかったので、エリア・カザンの本性は理解できないが。
善い人は打たれ弱い
午前十時の映画祭12にて。
1917年のアメリカ・カリフォルニア北部の町サリナスで農家を営む父アダムは真面目な息子アーロンばかり可愛がるためもう1人の息子のキャルは孤独を感じていた。父が冷蔵レタスの失敗で負った借金を取り戻そうと、第一次世界大戦直前の大豆の先物で儲け、お金を父に渡すが、戦争で儲けた金なんて要らないと言われ絶望した、アーロンも母が生きていて、軽蔑してた酒場の女だった事にショックを受け戦争に志願して出ていった。父はアローンの行動に落胆し、そのショックでを脳出血を起こし寝たきりになってしまった。残されたキャルはアブラのおかげで最後に父の愛を感じる、という話。
綺麗事ばかり言ってる父アダムとアローンは善い人だけど、打たれ弱い。ケートやキャルは悪い人みたいに扱われているが、別に法律違反してる訳じゃなく、自由にやりたいことをして稼いでるだけで、悪い事とは思えない。
しかし、このご時世、ロシアのウクライナ侵攻に対して反対もせず経済制裁をせず、ある意味戦争に加担してる中国をどう思うかと言われれば、良い感情は持てない複雑な面もある。
ジェームズ・ディーンはカッコよかったし、ジュリー・ハリスは仕草が可愛かった。
テーマ曲はピアノで練習して弾ける唯一の曲で、その意味でも思い出深い作品です。
主人公がひねくれるのも分かる。
リバイバル上映があると知り、それならもう配信で見てみようと思い、早速鑑賞。
想像以上に気持ちが重たくなる脚本でした。
自分の正義を押し付けてくる親って本当に最悪だし、しかも死んだと聞かされた母親が実はそう遠くない街で元気に生きていると思春期になってから知るとか。。ほんとにもう、苦しい展開。
当初は主人公が何の説明も心の中のつぶやきも無しにただとある婦人のあとを付いていく意味が分からなくて、開始からしばらくは脚本の説明の無さ、冗長な始まり方にモヤモヤ。まぁ、そのうち主人公の行動理由は分かるんですけど。
最後の最後で父親と和解というか、本音で話せた感じになったのは良かったんですが、兄の彼女が残っていて、ええと、これは兄が帰ってきたら修羅場?でも彼女の気持ちも変化しちゃってるし。。今度は兄がひねくれていく?もう兄の精神は壊れかけてて厳しいのかな。。。と、この先数年後の未来を想像してまたちょっと苦しくなりました(泣)
名作なんでしょうが、気持ちが重くなるので、爽やかな青春映画を望む方にはお勧め出来ないな、と思いました。
鋼の錬金術師もそうですが、人生の途中からでも、人生の最初からでも「目の前にいない母を求める子ども」って切ないというのはいつの時代も普遍的なテーマなんだと実感しました。
お父さん、「母さんはどこにいるか知らん」、みたいに冷たい言い方しないで。あなたが嫌う人の半分の遺伝子は子どもの中にあるんだから、子どもは自分の半分を否定された気持ちになるから苦しいんだよ。。と、劇中のお父さんに言いたくなりました。
そして、レタス事業の損失額を大豆の先物取引で利益を出して補填出来た息子のことは、シンプルに褒めて喜んで感謝してほしかった。
戦争という状況を利用したとはいえ、別に武器商人になったわけでもないし、先物取引なんて損することもあるんだから、ちゃんと値上がりする品物を見極められたのは商才があるから。しかもちゃんと「父さんを助けたくて稼いだ」って。。こんな孝行息子いないですよ。こんな良い子はいません。この子は悪い子なんかじゃない。お父さんには主人公をあそこでちゃんと褒めて欲しかった。
どこかで、商才があるのも別れた妻に似てる部分だから嫌悪感が出たのかな。。あそこは親子関係が改善するチャンスだったのに、息子を否定したお父さんが残念過ぎました。
兄の今後の精神カウンセリングは必要になりそうですが、ともあれ元気なうちにとりあえずお母さんに会えたことは一応、とりあえずは良かったのかな、と思うことにしたいです。
大傑作だ…
ギリシャ神話に擬えて進む物語、
ジェームズディーンの存在感もさることながら、
シナリオが良い…。
結果的に、二人の運命を決めたのはアブラ。
彼女が救世主でもあり、裏切り者でもあるっていうのが肝だな〜。
二面性を持った最も人間らしい彼女が、
最後にはキャルを選ぶのもまた深いところ。
にしても清い存在として描かれているはずの
兄や父の方が悪人に見えるのは、
キャル視点でストーリーが進むからだけだろうか。
映画史に残るアイコン的作品と聞いたので見たのだが、、、
主人公のキャルは確かに母の不在、旧来の価値観に囚われている父、そしてその父に従順な兄、アロンとの対比され余り喜ばしく無い評価を与えられたことは同情すべきである。だが父と兄は両者とも悪意はなく、また主人公を見捨てず出来るだけ精一杯愛を与えていた。
主人公は多少のシンパシーを感じたからか、兄のフィアンセに対し愛情表現を行う、これは兄に対する裏切り以外の何物でもない。いやもしかするとこれは兄に対する''理由なき反抗''か?
キャルは兄に対して常に劣等感を抱き、兄よりも良い評価を得たかったのだろう。父を喜ばせるために彼は自ら稼いだお金を父の事業失敗の補填に当ててもらうため父の誕生日にプレゼントしようとした。
しかし父が喜んだのは兄、アロンの婚約で、キャルの稼いだお金の受け取りは拒否した。
視聴者はキャルは用意した贈り物を無下にされた哀れな主人公のように見えるかもしれないが、父親は徴兵委員であり顔馴染みである近所の人の子供を戦地に送り、死なせている一方でキャルは戦争によって得た儲けで金を作ったのだ。
果たして父親の立場に立って、素直にそのお金を受け取れるだろうか?
主人公に焦点が当てられ過ぎる余り、そこに対する指摘が少な過ぎるように思える。
キャルは父の評価に対する反発から復讐をする。まず今までの自分の素行やフィアンセに行った不必要な接触に対し不満を述べたアロンに少し前に見つけた母と引き合わせる。
これはアロンの神聖視していた母親のイメージの破壊行為であり、彼の倫理観を揺らがせるものであった。父はそうなるのが分かっていたので、母親が見つかったことを知らされてもキャルにアロンには伝えないよう念を押したのだ。また母もキャル以外の家族に自分の存在が知られることを望んでいなかった、つまり彼は同時に三人を裏切ったというわけである。この復讐は見事に目的以上の効果を発揮する。まず兄のアロンは半狂乱となりそのまま戦地に恋人を置いて向かう、そして父は大事な息子の余りの変わりようにショックを受け脳卒中となり半身不随となる。
さらに母親はかつて家を出て行ったとはいえ、キャルの仕事に必要な多額の資金を貸すなど彼の理解者でもあった。しかしキャルは恩を返すことはなかった、彼は母が知られたくなかった秘密をアロンに見せつけ失望させた。
これら一連の行為は一時の悪意で済まされるものでも無いし、更にその許しを得ようとするのは余りにも傲慢ではないか?
家族を狂わせた張本人であるキャルは死期の近い父から寛大な許しを得た後、兄のフィアンセと結ばれる。多くの者を感動させた物語の実態はこうである、カインとアベルよりも残酷な話かもしれない。
映画公開当時、今まで押し付けられていた価値観に対し多くの若者が反発していたのは分かる、だが旧来の価値観の持つ善意まで殺す必要はあったのか?
またこの作品の評価を高めているのがキャルを演じているジェームズ・ディーンの存在だろう、この若くで死んだ俳優の出演した数少ない作品の一つ、それだけで付加価値はつく。
最後にこの作品は星二つとはしたが、B級映画と同ランクの扱いをしてるわけではない。やはり名作と言われるだけあって、どうなるのか、どう対処するのか一人の人生の一部を垣間見る気持ちで見れた。ただその行動が余りにも評価できるものでは無かったのだ。
同性の兄弟に生まれる難しさ
スタインベックの原作は読んだことがないが、映画のストーリーはカインとアベルの兄弟と父親の関係を中心にすっきりとまとめられていて、とても観やすかった。
父親に品行方正な兄といつも比較されて、自分は要らない子だと苦しむ弟役にジェームズ・ディーンがとてもはまっていて、本当にこういう生まれなのかなと思ってしまうほど自然だ。主人公達の表情や音楽が暗めなので悲しい結末かと思ったがそうではなく、あんがいアメリカ的な(私個人の見方)エンディングだった。このラストをどう捉えるかは見る人それぞれだと思う。
歳を取ったからこそ感動できる映画もあるんです。
①2回目の鑑賞。大スクリーンでは初めての鑑賞。②前回観た時はまだ若かったし、親子の和解のラストシーンでは感動したが全体としては、名作のお勉強という感想しか抱けなかった。③しかし今回、これだけ人生を経ると、キャルの気持ちも分かる、アブラの心の揺れも分かる、アーロンのキャラクターも分かる、父親の信仰や考え方も分かる、母親の生き方も分かる、というわけで途中から涙が止まらなかった。④人間の善悪なんて簡単には分けられない。清濁あってこその人間。良いと思ってやったこと、愛してもらおうと思ってやったことが、かけ違っていって悪い方に向かってしまう。ただそこまで行き着かないとお互いに分かり合えないのも人間。本当に人生とはままならないものだ。それを描いているから名作だし本当に泣けてくる。⑤この作品の唯一の残念な点はアーロンのキャラクターが深掘りされていないこと。ただ余り深掘りするとアブラが悪者になってしまうから、この程度の描写にしたのかな。⑥前回も思ったが、ジュリー・ハリスはどう見てもジェームス・ディーンには年上すぎる(だから画面にも紗が掛かるんでしょうけど)。ただアブラの内面描写と父子の架け橋となる役割とを説得力を持って演じるにはもっと若い女優では無理だったんでしょうな。⑦母親役のジョー・ヴァン・フリートは短い出番ながら、その存在感と演技とで映画を締めている。夫を撃ってまで、子供を捨ててまで自由を求めたかった女の覚悟とその結果を甘んじて受けていること、でも会いに来たキャルへの母性も垣間見せて人物造形が見事な素晴らしい演技だ。⑧ジェームス・ディーンは死して尚何故こんなに人気があるのか今まで良く分からなかったが、今回見て初めて分かった。“青春”というものをもし人にしたら彼のようになるのだろうと思う。。
強い人間って何だろうと思った
・冒頭から双子の兄の方が楽しそうで羨ましい感じだったのが、徐々に頭の固い人間だった事が露呈して気が狂ってしまうのを観ていて、信念というのか軸にしているものがあればあるほど不自由に見えてきたのと、実は何も考えてなくて、考える事を早々に放棄しているから明るい感じだったのかなと思うと恐ろしくなった。恋人も上っ面だけで、心がないみたいな事をいってジェームス・ディーンに惹かれていくのを観ていると、益々切なくなった。
・ジェームス・ディーンが父親のために尽くすのにけんもほろろにされるのを観ていて、何であんなに父親に認められたがっているんだろうと思った。
爆傑作!!!
20年ぶりくらいに見たが、とんでもない傑作だ。映画の目指すべき姿のお手本のようだ。こんなオリジナリティあふれる映画は今でも出会えない。
●原作は読んでないないが、物語が秀逸。それぞれのキャラクターの思いと絡み合いが素晴らしい。
●計算されつくした構成。もう無駄の無さには頭がさがる。
●演出と構図が鳥肌もの。
●キャラクターの配置が完璧。
●とにかくジェームズ・ディーンの存在感が半端ない。中心線がないような流れる動き。次の表情が予測できない。兄を殴った後の酒場でのコップの持ち方。伝説になるのがよくわかる。
●ラストが最高。何でこんな看護婦を配置したか不可思議だったけど、あの瞬間のためだった。やはり無駄なキャラはいなかった。「看護婦を遠ざけてくれ」なんてセンス良すぎる。しかもそのあと耳元でささやく言葉をいっさい聞かせない。「この僕に看病してくれって」とディーンは父を見守るが、そんな事を言ったとは思えない。これは気づく人は気づくが、もっと深い愛の言葉をささやいたはず。そう、言葉に出来ない愛の表現をああいう形で表したのだ。「愛してる」とか安っぽい言葉を避けたんだ。なんて発想だ。
愛ゆえに人は罪を犯す。そんな人間ははたして悪人であろうか?カインとアベルの古典的な神話を見事に現代ドラマとして描いた。
まさに教科書とすべき傑作!
Love > Kindness+Conscience
Calの視点で観ていると、胸が張り裂けそうになりました。特にプレゼントのくだり。手作りだろうが、吟味した品だろうが、激怒されたり、拒絶されたり、捨てられたりしてきた自分としては。残念ながら金券を断られたことはないのだけども。
冒頭、その行為は違法なのかと、Calは逐一尋ねます。
愛されないのは自分が悪いからなのか?
兄は善人だから父から愛され、婚約者もいるのか?
自分を捨てた母親に会いに行った。
事業の損失分を戦争に便乗して穴埋めした。
幻想を抱く兄にとって厳しい現実を突き付けた。
無条件に愛されることを知らず、
愛に飢え、愛に絶望した青年の行動。
戦地なら人を殺しても良いのか。
長年の隣人でも敵国出身者は敵視すべきか。
倫理観を保つこと、善悪の線引きの難しさを考えさせられます。
時代が変われば判断基準も変わる。
その基準がブレないようにと、事あるごとに聖書を引き合いに出す父Adam。基準を守ろうとする姿勢は立派ですが、あくまでも「行い」重視で、そこに至るまでの想像が膨らまない人。
そして見るからに怖そうで近寄りがたい母Kate(^_^;)。美しい手のお手入れを欠かさない女性が、主婦業と農業に専念できるとはとても思えないし、結婚前に向いていないことに気付かなかった本人にも落ち度があるような。
母親が子供の名前も決まる前に出て行ったということは、当たり前のように双子という設定なんですよね。
清廉潔白で道徳観に溢れた大黒柱でも、愛が偏在している家庭。
Calが破滅の原因のようでいて、そういう人間を創り上げてしまった愛情の欠如、配慮の無さが根本原因なのかと。
許すことと愛することは違う。
無償の愛とも言うけれど、求めることも愛の証明。
人生の選択の前に、人が人として進むには愛情が不可欠なのです。
それにしてもAbra姉さん、顔が近い(〃ω〃)。
上目遣いが悩ましいJames Dean、本作の舞台となったSalinasのオートレースへ向かう途中の交通事故死だったんですね…。
“Man has a choice and it's a choice that makes him a man.”
“.....it's awful not to be loved. It's the worst thing in the world. It makes you mean, and violent, and cruel. And that's the way Cal has always felt..... All his life!..... You never gave him your love. You never asked for his. You never asked him for one thing..... You must give him some sign, .....some sign that you love him, or he'll never be a man.”
●清志郎とカブるな。
ジェームス・ディーンのデビュー作。
愛に飢えた若者といえば聞こえがいいが、泣き虫すぎだろ。
イケメンだから許される技か。
旧約聖書のカインとアベルの物語がベースらしい。
ので、エデンの東か。知らんかった。
厳格な親父と愛されない次男。
親父に愛されたくて頑張るけど空回り。
親父よりも死んだ母親の血が強いから親父と合わないんだ。
しかし死んだはずの母親と会うと、その血の強さに気付く。
そうして大人になっていく。
なんだか清志郎を思い出した。
エリア・カザンの問いかけ
エリア・カザンの作品を初めて観た。この人の名前は、第二次大戦後のアメリカ、とりわけハリウッドの映画界に吹き荒れた赤狩りで告発者側に連なっている。他になんの予備知識もなく、タイトルの「エデンの東」が旧約聖書にまつわるものであることを知っているくらい。
父/神に認められる兄と、疎まれる弟。父の誕生日に婚約者を紹介する兄。父がビジネスで失った金を穀物相場の投機で稼いできた弟。この二人に対する父親の対応がまさに、「旧約」のカインとアベルの物語に相似する。父親は婚約者/肥えた羊の初子という家族的な財産を贈った兄には無上の感謝を表し、戦争によって高騰した穀物で得た金を持ってきた弟を罵倒する。
そして、映画/聖書から消えるのは、(映画と聖書では兄と弟が反対だが)羊を贈ったほうである。聖書では、穀物を贈って無視されたカインが、羊を贈ったアベルを殺害するのだが、映画では殺されるのではなく、志願兵として戦地へと赴き家族の前から姿を消す。
聖書と相似形の物語を紡いでいながら、最後は異なる展開にしたのは、まさにこの点にこそ物語を通じて訴えたかった主張があるのではないだろうか。
この作品は赤狩りが終わった1954年の直後に撮られた。赤狩りに対する否定的な世論は、当然、告発する側に立ったカザンも批判の対象としたことだろう。そんな中どのような思いでカザンはこの作品を撮ったのだろうか。この聖書と映画とのズレには何が込められているのだろうか。
映画の中で父親が非難するように、穀物への投機の成功は戦争のおかげであり、その戦争によって多くのアメリカの若者が命を落としている。そんな言わば汚れた金など受け取れないというのが、人格者を自認する父の考えだ。
しかし、この父がそもそも大きな損失を抱えるようになったのは、西部のレタスを冬場野菜不足となる東海岸へ送って相場の違いをそっくり利益にしようという投機的な企みだった。もちろん、父の中では冬場にビタミン源を失う人々に野菜を提供するという善意の行為ではあったが。
弟が穀物価格の高騰を見越して成功したのも、戦争によってヨーロッパの穀物需要が高まるという、海の向こうの人々の飢えを予想したからだ。
このように、父による弟への非難は、そのまま自分自身への批判となって跳ね返る。どちらにせよ、資本家が当たり前に考えることを実践したまでなのだ。
そして、全てがこのようなマネーゲームに回収される資本主義経済に、家族愛や家庭的な温かみを奪われていくアメリカ社会とは、資本の蓄積に長けた弟に、婚約者を奪われる兄そのものではないか。
婚約者を奪われて自暴自棄となり、戦争へ自らを送り込む兄の姿こそ、資本主義の浸透によって家族を失ったアメリカ社会が、自ら積極的に対外戦争へと突き進むことを、極めて冷徹に予測している。旧約のアベルの如く、弟に殺害されるまでもなく、自ら死地へ赴くのだ。
カザンが赤狩りによって守ろうとしたものが、実は資本主義社会ではなく、その資本主義によって血縁と地縁と家族愛を奪われた、強い紐帯の残る社会であったとしたら。映画は、この時代のアメリカ人に対して、この紐帯を捨てて戦争の続く時代を生きる覚悟を問うている。
「エデンの東」は、20世紀前半のアメリカ農業社会が資本主義経済に飲み込まれていく様を、その作品でつぶさに描いた小説家ジョン・スタインベックの原作なのだ。
赤狩りの波に乗って、資本主義社会を揺るがす恐れがあるとして映画人を追放したカザンその人が、反資本主義的なスタインベックの小説を映画化したということが、自らの批判に対する回答だったのではないだろうか。
名作です
この映画のキーパーソンは兄の恋人です。一つ一つのセリフに重みがあります。主人公の唯一の理解者で、彼女がいなかったら、彼は立ち直れなかったははず。最後に、父が彼のことを愛していること、あるいは許した言葉が欲しかった。あと、若い時に観た印象と結構年をとった今観てみると、印象がかなり違ってきているのに、我ながら驚いた。例えば、父の誕生日のプレゼントのシーン、主人公のお金を受け取らず返せと言われ、相当ショックを受け主人公に100パーセント同情し、父の言葉には全く理解できなかったが、今観てみると、30パーセント位は理解できるようになってきている。
カインは去ってエデンの東、ノドの地に住めり
映画「エデンの東」(エリア・カザン監督)から。
名作と言われつつ、あまり覚えていない作品だったので、
再度、メモを片手にゆっくり観直してみた。
今回は「どうして『エデンの東』というタイトルなのか」が
気になって仕方がなかったので・・・。
映画のタイトルこそ、私の一番の気になるフレーズである。
ネットで調べると「旧約聖書のカインとアベルの物語を
下敷きにしたジョン・スタインベックの同名小説を
映画化した青春ドラマ」とある。これでもわからない。
「カインは立ってアベルを殺し、カインは去ってエデンの東、
ノドの地に住めり」という台詞が、映画の中に登場する。
だから「お前も去れ」という前振りのようなフレーズで・・。
「エデンの東」という単語は、その部分しかでてこない。
それが、名作といわれる「映画のタイトル」であるから、
私の驚きは隠せなかった。
しかしながら「音楽」だけで、作品を思い出せるのは
名作の条件なのだろう。
台詞から1つ選ぶとしたら、
「何かを求めてあげれば、彼はあなたの愛を悟ります」かな。
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