エデンの東のレビュー・感想・評価
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新・午前十時の映画祭
壮大な自然の風景に花畑など色が綺麗で映像に目が奪われてしまう。
50年代の作品である大袈裟なメソッド演技が気になったりならなかったりJ・ディーンやM・ブランドにP・ニューマンが存在していなければA・パチーノもデ・ニーロもましてやJ・ニコルソンにD・ホフマンも出て来ていない訳で。
キャルの八の字眉毛の苦悩する表情が印象的でやはり兄貴が可哀想な設定。
●清志郎とカブるな。
ジェームス・ディーンのデビュー作。
愛に飢えた若者といえば聞こえがいいが、泣き虫すぎだろ。
イケメンだから許される技か。
旧約聖書のカインとアベルの物語がベースらしい。
ので、エデンの東か。知らんかった。
厳格な親父と愛されない次男。
親父に愛されたくて頑張るけど空回り。
親父よりも死んだ母親の血が強いから親父と合わないんだ。
しかし死んだはずの母親と会うと、その血の強さに気付く。
そうして大人になっていく。
なんだか清志郎を思い出した。
初めて観た時はジェームズ・ディーンの寂しげな表情だけが心に深く残っ...
エリア・カザンの問いかけ
エリア・カザンの作品を初めて観た。この人の名前は、第二次大戦後のアメリカ、とりわけハリウッドの映画界に吹き荒れた赤狩りで告発者側に連なっている。他になんの予備知識もなく、タイトルの「エデンの東」が旧約聖書にまつわるものであることを知っているくらい。
父/神に認められる兄と、疎まれる弟。父の誕生日に婚約者を紹介する兄。父がビジネスで失った金を穀物相場の投機で稼いできた弟。この二人に対する父親の対応がまさに、「旧約」のカインとアベルの物語に相似する。父親は婚約者/肥えた羊の初子という家族的な財産を贈った兄には無上の感謝を表し、戦争によって高騰した穀物で得た金を持ってきた弟を罵倒する。
そして、映画/聖書から消えるのは、(映画と聖書では兄と弟が反対だが)羊を贈ったほうである。聖書では、穀物を贈って無視されたカインが、羊を贈ったアベルを殺害するのだが、映画では殺されるのではなく、志願兵として戦地へと赴き家族の前から姿を消す。
聖書と相似形の物語を紡いでいながら、最後は異なる展開にしたのは、まさにこの点にこそ物語を通じて訴えたかった主張があるのではないだろうか。
この作品は赤狩りが終わった1954年の直後に撮られた。赤狩りに対する否定的な世論は、当然、告発する側に立ったカザンも批判の対象としたことだろう。そんな中どのような思いでカザンはこの作品を撮ったのだろうか。この聖書と映画とのズレには何が込められているのだろうか。
映画の中で父親が非難するように、穀物への投機の成功は戦争のおかげであり、その戦争によって多くのアメリカの若者が命を落としている。そんな言わば汚れた金など受け取れないというのが、人格者を自認する父の考えだ。
しかし、この父がそもそも大きな損失を抱えるようになったのは、西部のレタスを冬場野菜不足となる東海岸へ送って相場の違いをそっくり利益にしようという投機的な企みだった。もちろん、父の中では冬場にビタミン源を失う人々に野菜を提供するという善意の行為ではあったが。
弟が穀物価格の高騰を見越して成功したのも、戦争によってヨーロッパの穀物需要が高まるという、海の向こうの人々の飢えを予想したからだ。
このように、父による弟への非難は、そのまま自分自身への批判となって跳ね返る。どちらにせよ、資本家が当たり前に考えることを実践したまでなのだ。
そして、全てがこのようなマネーゲームに回収される資本主義経済に、家族愛や家庭的な温かみを奪われていくアメリカ社会とは、資本の蓄積に長けた弟に、婚約者を奪われる兄そのものではないか。
婚約者を奪われて自暴自棄となり、戦争へ自らを送り込む兄の姿こそ、資本主義の浸透によって家族を失ったアメリカ社会が、自ら積極的に対外戦争へと突き進むことを、極めて冷徹に予測している。旧約のアベルの如く、弟に殺害されるまでもなく、自ら死地へ赴くのだ。
カザンが赤狩りによって守ろうとしたものが、実は資本主義社会ではなく、その資本主義によって血縁と地縁と家族愛を奪われた、強い紐帯の残る社会であったとしたら。映画は、この時代のアメリカ人に対して、この紐帯を捨てて戦争の続く時代を生きる覚悟を問うている。
「エデンの東」は、20世紀前半のアメリカ農業社会が資本主義経済に飲み込まれていく様を、その作品でつぶさに描いた小説家ジョン・スタインベックの原作なのだ。
赤狩りの波に乗って、資本主義社会を揺るがす恐れがあるとして映画人を追放したカザンその人が、反資本主義的なスタインベックの小説を映画化したということが、自らの批判に対する回答だったのではないだろうか。
名作です
この映画のキーパーソンは兄の恋人です。一つ一つのセリフに重みがあります。主人公の唯一の理解者で、彼女がいなかったら、彼は立ち直れなかったははず。最後に、父が彼のことを愛していること、あるいは許した言葉が欲しかった。あと、若い時に観た印象と結構年をとった今観てみると、印象がかなり違ってきているのに、我ながら驚いた。例えば、父の誕生日のプレゼントのシーン、主人公のお金を受け取らず返せと言われ、相当ショックを受け主人公に100パーセント同情し、父の言葉には全く理解できなかったが、今観てみると、30パーセント位は理解できるようになってきている。
ジェームズディーンが見たければ。
評価が難しい映画。
この映画は、僕にとって批評しにくいです。なぜなら、ジェームス・ディーンの出演作というだけで、なにかあるのだろうと思ってしまうからです。そのなにかを見つけることができなければ、それは僕が馬鹿なんだと思ってしまうのです。また作品のテーマも現在では使い古されたようなもので、さほど衝撃を受けませんでした。また、ジェームス・ディーンの芝居が少しぎこちないように感じ、うーん僕の目が駄目なのかなー?って鑑賞後に考えてました。
あれこれ悩んでも、自己卑下しちゃいそうなので、この映画については深く考えないようにしました。名作だから!っていう頭で臨むと、僕のような憤りを感じてしまう方もいらっしゃるのでは?と思います。
J.ディーンが出演したというだけの古典
総合50点 ( ストーリー:50点|キャスト:70点|演出:55点|ビジュアル:70点|音楽:75点 )
現代社会に生きていると、現在とあまりに違うこのような古いキリスト教的な堅苦しい倫理観と家庭の価値観に辟易してしまう。それはとりあえず置いておいて、ジェームズ・ディーン演じるキャルもこの堅苦しさに圧迫され苦しむ。愛に飢えた彼の葛藤と振る舞いが自分と周囲を傷つけてしまう。その苦しみもがく様が彼を永遠の名優にした。せつなく美しく流れる音楽も名作にふさわしい。
ただし映画としては物語が古い。映画の自然な演出というより舞台劇のような演出も古い。面白かったかと聞かれれば、残念ながら面白くはないと答える。この時代を飾った名作だが、この時代ならではという作品で、今となっては過去にあった一つの古典作品に過ぎない。
圧倒的な心情描写
カインは去ってエデンの東、ノドの地に住めり
映画「エデンの東」(エリア・カザン監督)から。
名作と言われつつ、あまり覚えていない作品だったので、
再度、メモを片手にゆっくり観直してみた。
今回は「どうして『エデンの東』というタイトルなのか」が
気になって仕方がなかったので・・・。
映画のタイトルこそ、私の一番の気になるフレーズである。
ネットで調べると「旧約聖書のカインとアベルの物語を
下敷きにしたジョン・スタインベックの同名小説を
映画化した青春ドラマ」とある。これでもわからない。
「カインは立ってアベルを殺し、カインは去ってエデンの東、
ノドの地に住めり」という台詞が、映画の中に登場する。
だから「お前も去れ」という前振りのようなフレーズで・・。
「エデンの東」という単語は、その部分しかでてこない。
それが、名作といわれる「映画のタイトル」であるから、
私の驚きは隠せなかった。
しかしながら「音楽」だけで、作品を思い出せるのは
名作の条件なのだろう。
台詞から1つ選ぶとしたら、
「何かを求めてあげれば、彼はあなたの愛を悟ります」かな。
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