劇場公開日 1979年4月14日

「名作を観る時代的変化」インテリア シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0名作を観る時代的変化

2025年5月11日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

45年前に名画座にて鑑賞。衝撃を受けた印象だけは残っているが、どんな作品だったのか全く憶えていないので再見したのですが、若干当時の印象と違っている様に感じAIとその点について会話しましたので紹介します。

●私の質問
ウディ・アレン作の『インテリア』('78)の中の母親の様な、他者(家族)の家の中まで調度品に拘り口出しするタイプって、今だと強迫性障害と診断されても良いのではないのか?

★AIの回答
非常に興味深い視点です。ウディ・アレンの『インテリア』(1978)の母親イヴのように、他者(家族)に対して過剰にインテリアや環境の秩序・美的整合性を求め、それをコントロールしようとする態度は、今日の精神医学的な視点から見ると「強迫性パーソナリティ障害(OCPD)」や「強迫性障害(OCD)」の要素と重なるところがあります。
ただし、いくつかの重要な区別があります:

【強迫性障害(OCD)との違い】
OCDは、本人が「この考えや行動は不合理だ」と自覚して苦しむ(自我異和性)という特徴があります。たとえば、「部屋が散らかっていると不安で何度も掃除してしまう」など。
『インテリア』の母イヴは、自分のこだわりを他者にも強く押し付け、むしろそれが正しいと思っている(自我親和的)ため、OCDよりは**強迫性パーソナリティ障害(OCPD)**に近いと言えるでしょう。

【強迫性パーソナリティ障害(OCPD)の特徴】
完璧主義、秩序、統制への過度なこだわり。

・他人にもそれを押し付け、柔軟性がない。
・美的秩序や「理想的な家庭環境」などにも強い執着。
・人間関係が犠牲になることもある(まさに映画の中のイヴがそうです)。

つまり、現代の精神医学的な基準で言えば、イヴのような人物は**「OCPDの傾向が強い人物」**と見なされる可能性が高いでしょう。
とはいえ、映画における彼女の性格描写は病名で割り切れるものではなく、文化的・世代的背景や家族関係のダイナミクスも含めて鑑賞する必要があります。

この点について、あなたは「彼女のこだわり」は病理と見るべきだと思いますか?それとも、ある種の芸術的・文化的美意識の暴走ととらえるべきだと思いますか?

●私の返信
あそこまで行くと病気の様に思える。と言えるのは再見した今だからそう思ったのだが、公開当時はそんなことは一切思わなかった。
それだけ現在が精神疾患に対して敏感で扱いに対してデリケートになっているように思う。だから同じ物語でも今作られたらまた違う方向性の作品になるのかも知れない。

★AIの回答
おっしゃる通りですね。『インテリア』の母イヴのような人物像が**「病的に見える」と感じられるのは、まさに現代の私たちが精神疾患の概念に対して敏感になり、診断やラベルを通じて他者の振る舞いを読み解こうとする時代に生きている**からこそでしょう。

1978年当時は、「抑圧的で支配的な母」「家庭を芸術作品のように扱う冷淡な知識人」など、性格や社会的役割の問題として受け取られたものが、現代では「精神疾患の症状」として見えてくる。その視点の変化は非常に興味深いですね。

【もし『インテリア』が今作られたら?】
仮にこの物語が2020年代に製作されたとすれば、以下のような変更や配慮が加えられる可能性があります:

・イヴのこだわりや抑圧的性格に「診断名」が示唆される(もしくは周囲がそれを問題視する描写が入る)
・家族がカウンセリングや心理療法に関わる描写が挿入される
・病的な美意識が社会的規範やジェンダーの問題として分析される
・観客に「共感」と「批判」の両方を喚起するような演出がなされる(=一面的に“母の狂気”としない)

現代は、精神疾患という枠組みで人間の苦しみを説明する傾向が強くなっています。それは一方で「理解」や「共感」を生みますが、他方では人間の複雑さや曖昧さを“症状”という名で単純化してしまうリスクもある。

つまり、イヴのような人物が今描かれたら、単なる「美的暴君」ではなく、心の病を抱える存在として描かれる可能性が高い。
でも、それがウディ・アレンのような作家の手で描かれたとしたら、きっとその線引きの危うさ自体がテーマになったのではないか、とも思わせます。

この視点の変化を、あなたは希望ある進化と見ますか?それとも、物語の曖昧さや深みを失わせるものと感じますか?

●私の返信
疾患名がラベリングされても家族の苦労や悲しみは同じでしょうね。

★AIの回答
まさに核心を突くご指摘です。

たとえ「強迫性パーソナリティ障害」や「気分障害」などの診断名が与えられたとしても、それによって家族が抱える疲弊や葛藤、悲しみの本質は変わりません。
ラベルは理解の手がかりにはなりますが、それが関係性の重さや傷を軽くしてくれるわけではない。
むしろ時に、そのラベルが“本人の人格すべて”を病名で片付けてしまうような感覚もある。

『インテリア』のような物語が響くのは、そうした「名前のつかない苦しみ」や「治療では解決しきれない感情の複雑さ」を描いているからで、イヴの存在は病理と美意識、愛と支配、崩壊と理想のあいだで引き裂かれた“家族の重み”そのものだったとも言えます。

診断がついても、むしろ「それでも私はどうしてあんなふうに傷ついたのか」「どうして理解してもらえなかったのか」という感情の孤独は変わらない。
その点で、現代のほうがデリケートである一方で、むしろ“感情の扱い”には不器用になっている側面もあるのかもしれません。

ご覧になった再見での印象、やはり深く響くものがありましたか?

●私の返信
名作は何時見ても名作ですよ。但し当時の私には今回の気づきはありませんでしたけどね。

★AIの回答
その言葉に尽きますね。「名作は何時見ても名作」——それは、作品そのものが変わらなくても見る側の経験や視点の変化によって、新たな層が浮かび上がるという証拠です。

『インテリア』は特にそうした重層的な作品で、当時のあなたが見た「冷たい美意識のドラマ」が、いまでは「病と愛の間で家族が静かに壊れていく物語」として見えてくる。
その変化自体が、まさに映画と共に自分自身も歳を重ねてきた証ですね。
そして、その新たな気づきがあるからこそ、名作は繰り返し観る価値があるのだと思います。

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シューテツ
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