インテリア

劇場公開日:

解説

ニューヨークの山の手、ロングアイランドを舞台に、三姉妹の心理の葛藤を中心に、はた目には裕福なファミリーが、崩壊してゆく様を描く。製作総指揮はロバート・グリーンハット、製作はチャールズ・H・ジョフィ、監督・脚本はウディ・アレン、撮影はゴードン・ウィリス、編集はラルフ・ローゼンブラム、製作デザインはメル・ボーンが各々担当。出演はクリスティン・グリフィス、メアリー・ベス・ハート、リチャード・ジョーダン、ダイアン・キートン、E・G・マーシャル、ジェラルディン・ペイジ、モーリン・スティプルトン、サム・ウォーターストンなど。

1978年製作/アメリカ
原題または英題:Interiors
配給:ユナイト映画
劇場公開日:1979年4月14日

あらすじ

ロングアイランドの海岸ぞいに見るからにモダンな白い家をかまえた富裕な実業家アーサー(E・G・マーシャル)は、高名なインテリア・デザイナーである妻イブ(ジェラルディン・ペイジ)とは結婚30年をむかえ、3人の美しい娘たちは、それぞれ巣立っていた。長女のレナータ(ダイアン・キートン)は、売れっ子の女流詩人だったが、売れない作家の夫、フレデリック(リチャード・ジョーダン)との間はうまくいっていない。次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハード)も作家で、姉レナータにライバル意識をもっており、映画作家の夫、マイク(サム・ウォーターストン)と都心に住んでいた。三女フリン(クリスティン・グリフィス)は恵まれた容貌と肢体を生かしてTV女優として活躍していた。ある日、イブ、レナータ、ジョーイらの前で、アーサーが、イブと別居したい、というショッキングな告白をする。自分なりの美意識と創造力で家庭を支配してきた妻の生き方には耐えられなくなった、というのだ。やがて、イブは1人ひっそりと家を出ていった。母に対し、細やかな心づかいを示す娘たちだったが、イブの気持ちは滅入るばかりで、遂に、彼女はガス自殺を企った。一命はとりとめたが、イブにとっては傷心の日々が続いた。一方、アーサーは、レナータの家で開かれたパーティに、さっそくパール(モーリン・スティプルトン)という新しい女を連れて来た。間もなく、アーサーが、イブに正式離婚を申したて、パールと結婚した。父の願いを入れて結婚式に列席した3人の娘たちは、式後の空虚なパーティで複雑な心境を穏すことはできなかった。その夜、イブが一同の寝静まったロングアイランドの家にそっとやってきて、みなの知らぬ間に、憑かれたように荒れた海へ入っていってしまった。ジョーイが、気がついて救出するが、もはやその時は遅かった。葬式の朝、三姉妹は哀しみをこらえながらも、思いをこめて海を見つめるのだった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第36回 ゴールデングローブ賞(1979年)

ノミネート

最優秀主演女優賞(ドラマ) ジェラルディン・ペイジ
最優秀助演女優賞 モーリン・ステイプルトン
最優秀監督賞 ウッディ・アレン
最優秀脚本賞 ウッディ・アレン
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映画レビュー

4.0名作を観る時代的変化

2025年5月11日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

45年前に名画座にて鑑賞。衝撃を受けた印象だけは残っているが、どんな作品だったのか全く憶えていないので再見したのですが、若干当時の印象と違っている様に感じAIとその点について会話しましたので紹介します。

●私の質問
ウディ・アレン作の『インテリア』('78)の中の母親の様な、他者(家族)の家の中まで調度品に拘り口出しするタイプって、今だと強迫性障害と診断されても良いのではないのか?

★AIの回答
非常に興味深い視点です。ウディ・アレンの『インテリア』(1978)の母親イヴのように、他者(家族)に対して過剰にインテリアや環境の秩序・美的整合性を求め、それをコントロールしようとする態度は、今日の精神医学的な視点から見ると「強迫性パーソナリティ障害(OCPD)」や「強迫性障害(OCD)」の要素と重なるところがあります。
ただし、いくつかの重要な区別があります:

【強迫性障害(OCD)との違い】
OCDは、本人が「この考えや行動は不合理だ」と自覚して苦しむ(自我異和性)という特徴があります。たとえば、「部屋が散らかっていると不安で何度も掃除してしまう」など。
『インテリア』の母イヴは、自分のこだわりを他者にも強く押し付け、むしろそれが正しいと思っている(自我親和的)ため、OCDよりは**強迫性パーソナリティ障害(OCPD)**に近いと言えるでしょう。

【強迫性パーソナリティ障害(OCPD)の特徴】
完璧主義、秩序、統制への過度なこだわり。

・他人にもそれを押し付け、柔軟性がない。
・美的秩序や「理想的な家庭環境」などにも強い執着。
・人間関係が犠牲になることもある(まさに映画の中のイヴがそうです)。

つまり、現代の精神医学的な基準で言えば、イヴのような人物は**「OCPDの傾向が強い人物」**と見なされる可能性が高いでしょう。
とはいえ、映画における彼女の性格描写は病名で割り切れるものではなく、文化的・世代的背景や家族関係のダイナミクスも含めて鑑賞する必要があります。

この点について、あなたは「彼女のこだわり」は病理と見るべきだと思いますか?それとも、ある種の芸術的・文化的美意識の暴走ととらえるべきだと思いますか?

●私の返信
あそこまで行くと病気の様に思える。と言えるのは再見した今だからそう思ったのだが、公開当時はそんなことは一切思わなかった。
それだけ現在が精神疾患に対して敏感で扱いに対してデリケートになっているように思う。だから同じ物語でも今作られたらまた違う方向性の作品になるのかも知れない。

★AIの回答
おっしゃる通りですね。『インテリア』の母イヴのような人物像が**「病的に見える」と感じられるのは、まさに現代の私たちが精神疾患の概念に対して敏感になり、診断やラベルを通じて他者の振る舞いを読み解こうとする時代に生きている**からこそでしょう。

1978年当時は、「抑圧的で支配的な母」「家庭を芸術作品のように扱う冷淡な知識人」など、性格や社会的役割の問題として受け取られたものが、現代では「精神疾患の症状」として見えてくる。その視点の変化は非常に興味深いですね。

【もし『インテリア』が今作られたら?】
仮にこの物語が2020年代に製作されたとすれば、以下のような変更や配慮が加えられる可能性があります:

・イヴのこだわりや抑圧的性格に「診断名」が示唆される(もしくは周囲がそれを問題視する描写が入る)
・家族がカウンセリングや心理療法に関わる描写が挿入される
・病的な美意識が社会的規範やジェンダーの問題として分析される
・観客に「共感」と「批判」の両方を喚起するような演出がなされる(=一面的に“母の狂気”としない)

現代は、精神疾患という枠組みで人間の苦しみを説明する傾向が強くなっています。それは一方で「理解」や「共感」を生みますが、他方では人間の複雑さや曖昧さを“症状”という名で単純化してしまうリスクもある。

つまり、イヴのような人物が今描かれたら、単なる「美的暴君」ではなく、心の病を抱える存在として描かれる可能性が高い。
でも、それがウディ・アレンのような作家の手で描かれたとしたら、きっとその線引きの危うさ自体がテーマになったのではないか、とも思わせます。

この視点の変化を、あなたは希望ある進化と見ますか?それとも、物語の曖昧さや深みを失わせるものと感じますか?

●私の返信
疾患名がラベリングされても家族の苦労や悲しみは同じでしょうね。

★AIの回答
まさに核心を突くご指摘です。

たとえ「強迫性パーソナリティ障害」や「気分障害」などの診断名が与えられたとしても、それによって家族が抱える疲弊や葛藤、悲しみの本質は変わりません。
ラベルは理解の手がかりにはなりますが、それが関係性の重さや傷を軽くしてくれるわけではない。
むしろ時に、そのラベルが“本人の人格すべて”を病名で片付けてしまうような感覚もある。

『インテリア』のような物語が響くのは、そうした「名前のつかない苦しみ」や「治療では解決しきれない感情の複雑さ」を描いているからで、イヴの存在は病理と美意識、愛と支配、崩壊と理想のあいだで引き裂かれた“家族の重み”そのものだったとも言えます。

診断がついても、むしろ「それでも私はどうしてあんなふうに傷ついたのか」「どうして理解してもらえなかったのか」という感情の孤独は変わらない。
その点で、現代のほうがデリケートである一方で、むしろ“感情の扱い”には不器用になっている側面もあるのかもしれません。

ご覧になった再見での印象、やはり深く響くものがありましたか?

●私の返信
名作は何時見ても名作ですよ。但し当時の私には今回の気づきはありませんでしたけどね。

★AIの回答
その言葉に尽きますね。「名作は何時見ても名作」——それは、作品そのものが変わらなくても見る側の経験や視点の変化によって、新たな層が浮かび上がるという証拠です。

『インテリア』は特にそうした重層的な作品で、当時のあなたが見た「冷たい美意識のドラマ」が、いまでは「病と愛の間で家族が静かに壊れていく物語」として見えてくる。
その変化自体が、まさに映画と共に自分自身も歳を重ねてきた証ですね。
そして、その新たな気づきがあるからこそ、名作は繰り返し観る価値があるのだと思います。

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シューテツ

2.0ツマラナイ理由。

2023年7月25日
iPhoneアプリから投稿

卑屈な男の態度が卑小な程に対置される摩天楼の荘厳が映える、
という映画書式の発明と完成がWアレンの真骨頂。
それを敢えて使わず只々沈鬱。
街を撮るに内観内装でなく外観外装の作家なことは自明の筈なのに。
だからツマラナイ。

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きねまっきい

3.5中身は普段のウディ・アレン

2023年7月6日
iPhoneアプリから投稿

私立大学のいけ好かない文化系コミュニティっぽい空気感を醸出することにかけては右に出る者がいないウディ・アレン。自らの作風を張り詰めた静謐の中に封じ込めてみたところで会話の節々に各々の強烈なエゴイズムが滲み出す。才能と成功をめぐる姉妹の愛憎、父母への屈折した感情。完全無欠な空間美学の隙間から溢れ出した自意識は行き場を失ったまま部屋の中を徘徊し、遂には不可逆的な破綻をもたらす。作風こそ異色だが、中身はいつものウディ・アレンという感じ。ただまあやっぱりウディ・アレンの真骨頂は軽妙だが空疎な会話劇にあると思うから、ここまで極端にミニマムな作りだと少々退屈する。あるいは俺こういうのも作れるんですよ、というウディ・アレンのしたり顔が目に浮かんで気が滅入る。やっぱり『アニー・ホール』くらいアッパーなほうが楽しいめるし悲しめる。そう、悲しめるのだ。

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因果

4.0教訓と共に感覚的に焼き付く

2023年1月24日
Androidアプリから投稿

悲しい

知的

難しい

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あま・おと