「詩人と郵便配達人の友情を美しい自然と共鳴させた繊細なイタリア映画」イル・ポスティーノ Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
詩人と郵便配達人の友情を美しい自然と共鳴させた繊細なイタリア映画
南イタリアの寂れた漁村に祖国チリを追われた詩人が訪れることから始まる、詩人と郵便配達人の詩作を通して結ばれる友情の物語。マッシモ・トロイージの素人らしい飾り気のない素の演技とフィリップ・ノワレの老練な演技のアンバランスな趣が、二人の立場を返って浮き上がらせて面白い。予測しにくいストーリー展開で進む物語の新鮮さもあり、最後まで興味深く観ることが出来る。ただ、脚本が意図する部分の多くが、主人公ふたりの共産主義に起因するものであり、主人公の死を共産党大会の詩の朗読に持っていく結末は、政治色が強すぎる。それだけ孤独な若者の純真さや可笑しさに親しみを覚えただけに、そこに政治思想的判断が介入する必要性を感じなかった。
恋人の叔母が詩の解釈をめぐり詩人ノワレと対等に会話するエピソードは可笑しく、詩人と主人公の師弟関係の会話の内容も分かり易くて面白い。そして、ラストの自然の音を録音するシーンの繊細な映画タッチなど特筆すべきものがある。無教養な田舎の若者が、村一番の美女と結婚し子供まで儲ける幸せな人生。妻になる女性が何故惚れてしまったのか説明不足かも知れないが、主人公の純真さは一際溢れていた。ラストシーンのノワレの表情は、観る者の思いを代弁して余りある。
長々すみません。本当にそう思います。イデオロギーに一歩踏み込むと、真偽が問われますから、ヘタをすると『プロパガンダ映画』になりますものね。感動して『作り話』だったりするとがっかりします。だから、反戦を描いた映画でも、慎重に見るようにしています。
やっぱり、映画は楽しくないとと思います。夢のある映画という事で、僕が一番感動したのは『八十日間世界一周』ですね。幼少の頃、音楽から入ったと思います。ビクター・ヤング以外の楽団で聴き比べていました。
そう、
映画はやはり楽しくなくては。と思います。
マサシさん、コメント有難うございます。
学生時代のイタリア映画の印象には、政治色の強い作品がありました。エリオ・ペトリの「悪い奴いほど手が白い」、マウロ・ボロニーニの「わが青春のフロレンス」、ジュリアーノ・モンタルドの「死刑台のメロディ」、そしてフランチェスコ・ロージの「シシリーの黒い霧」など。イタリア統一から第二次世界大戦の歴史や、イタリア人の直情的な楽天性と攻撃性を視れば、政治に関心が高いのは理解できます。戦後の荒廃からネオレアリズモ運動が誕生したことには、必然性があったのですね。
この映画には、イタリアローカルの叙情的風情が奇麗に描かれていて好感を持ちましたが、それとコミュニストの設定が映画の魅力として一致していなかった感想を持ちました。作品的にはもっと点数を付けるべきものだと思います。でも、今でも思想が反映される映画鑑賞は得意ではありません。
ソ連ボルシェビキから遠く離れたコミュニストの二人。結末の仕方が『それはないだろう』と僕も思いました。まぁ、西側で一番強かった共産党がイタリア共産党なので、仕方ないとは思いますが。
因みに、ソ連ボルシェビキから完全離脱した一番の共産党が、日本共産党なのは有名。因みに因みに、僕はコミュニストではありません。
あしからず。すみません。