「20世紀機械人形♥ 『アンクル・アンドリューズ・ケビン』」アンドリューNDR114 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
20世紀機械人形♥ 『アンクル・アンドリューズ・ケビン』
アイザック・アシモフのロボット三原則とはなぜ存在するのか?
つまり、ロボットはそうなる可能性があって、ロボットのプログラムを組む人間の道徳に訴えて作られている。三原則の根源は『ロボットは人間の為に存在する』が大原則だ。
実存主義な西洋人にとってのファンタジーである。
従って、この映画も機械人形が人間に近づくファンタジーではなく、人間の存在哲学と思うべきだ。
この類のストーリーは手塚治虫先生の『アトム今昔物語』などなど沢山ある。
『新・スタートレック』の『データ少佐』とかね。
しかし、手塚治虫先生のアトム今昔物語は黒人解放と反ベトナム戦争がテーマだった。
また、新スタートレックのデータも人間にはならなかった。
『姉さんはアンドリューを殺そうとした』こんな台詞が飛び出す。
結局、白人男性の描くロボット映画は『フライング・ダッチマンの奥さん』の話になってしまう。
『アンクル・トムズ・ケビン』の様な人種の表現しか出来ないのだから、ロボットに対する人権なんてあるはずも無い。また、
ロボットにDNAを搭載させるなら、死を与える必然性が生じ、その段階で宗教がロボットには備わる。しかし、それだけでは進化しないので、進化と言うアップグレードは、右辺と左辺が同じと言う方程式がある限り、そう簡単には動ずるものではない。
ロボットの人権を描きたいなら、アメリカの自由と民主主義を淘汰させて、地球全体の平和を始動してもらいたいものだ。
描かれる未来都市はニューヨーク?そこにゴシック様式のカトリック教会は似合わない。もし、ニューヨークならこの映画上映の翌年に悲劇が起こる。二本のビルディングはこの映画では消えている。さて。
追記 こんなロボットが現れたら、自由と民主主義の美国は侵略戦争に使うはずだ。
だからと言って、尊厳死まで踏み込む事はないだろうが!