「ショットの密度と恋愛ドラマの濃密さがブレンドされたドイツ表現主義の巨匠フリッツ・ラング監督の傑作」暗黒街の弾痕(1937) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ショットの密度と恋愛ドラマの濃密さがブレンドされたドイツ表現主義の巨匠フリッツ・ラング監督の傑作
ドイツ表現主義のフリッツ・ラング監督がナチスドイツから逃れ、アメリカに亡命して演出したハリウッド映画の第二作品目。製作が「駅馬車」「海外特派員」などのウォルター・ウェンジャーで、音楽が映画音楽の大家アルフレッド・ニューマン、撮影が「王様と私」「クレオパトラ」「猿の惑星」の巨匠レオン・シャムロイと、超一流スタッフが揃っている。第二次世界大戦後はB級映画専門のプログラム・ピクチャー監督の扱いであったが、戦前戦中にはドイツ時代に匹敵する傑作を生みだしたことは、映画ファンにとって貴重な遺産となっている。他に「死刑執行人もまた死す」を観ているが、甲乙つけがたい傑作だった。
物語は、三度めの服役を模範囚として3年務め、担当弁護士や神父から厚意を受けて人生をやり直す主人公エディー・テイラーの、どう足掻いても犯罪者の烙印を押された不運と悲劇に、弁護士事務所で働くジョージ・グレアムとの熱烈な恋愛が描かれて、濃密な人間ドラマになっている。同じ原案をニューシネマとして再生したアーサー・ペンの「俺たちには明日はない」とは全く趣を異にする犯罪映画で、その特徴を一言で云えば、ショットの密度とプロットの正確性である。登場人物の、特に主人公ふたりの性格描写や心理の変化がショットに込められて、モノクロ映像の際立つ光と影の美しさが素晴らしい。特に後半の道行きからは、エディーを愛さずにはいられない女性の衝動と想いが伝わり、不覚にも涙を堪えて観てしまうほどに感情移入してしまった。ジョージを演じたシルヴィア・シドニーの可憐で清楚な美しさがいい。女優歴10年を超える26歳の演技とラング演出に迷いはなく、対してエディを演じるデビュー2年目の若き31歳のヘンリー・フォンダの初々しさ。名優になってからのフォンダしか知らないのでそう感じてしまうのだが、既に確かな演技力を備え、耐え難い苦しみとジョージの愛に応えようとするエディーの抑えた感情を巧みに表現している。
それにしても、このラング監督の無駄の無いショットとモンタージュには大変驚かされる。90分にも満たない上映時間でも、この内容の濃さでは120分以上必要とするのが普通ではないか。それは簡潔なモンタージュと観る者の想像力を信じた省略の演出法によるラング監督のドイツ表現主義から生みだされた映画術と言っていいと思う。刑務所の庭で野球に興じる場面の地面すれすれから見上げる囚人と建物のショットや主人公エディが独房内を往復する場面の鉄格子から漏れる光を放射状に捉えたショットなど、ドイツ表現主義らしいショットが印象的だが、映画技法としてはロングショットを使わずスタンダードサイズ内に収めたアップとミドルの集中力の凄みであり、場面変化の説明ショットの省略は一貫している。例えば銀行強盗の冤罪の逮捕から判決が出るところでは、連絡を待つ新聞社のデスクと部下が三種の紙面を壁に貼っているシーンが繋がり、電話を置いたデスクがその中の一枚を指して終わる。無罪、評決出ず、有罪の紙面に使われているエディーの顔写真が違っている点や、これをワンカットで表現したカメラワークの雄弁さ。演出で特に緊張感に満ち優れているのは、エディーが独房で自殺未遂を図るシーンで、エディーの表情のアップと看守の対比、そしてアルミのコーヒーカップをエディーが後ろ手で潰すショットと床に落ちる血のショットの4カットで収めた演出である。この時のヘンリー・フォンダの表情の演技ですべてが解るのだ。他にも毒ガスを使用した銀行強盗のどしゃ降りのシーン、現金輸送車が逃走して事故を起こすのをフレームアウトの音だけで表現したシーン、死刑執行に絶望して自殺を図るジョージのシーン、そしてラストの照準器に映るふたりの姿と、強烈な印象を残すシーンが全編に張り巡らされたフリッツ・ラング監督の傑作である。
視聴を重ねると、その素晴らしさに思わず唸らざるを得ない貴重な映画、そのショットの素晴らしさに酔える映画の教科書のような映画に、心から賛辞を送りたい。