アメリカン・グラフィティのレビュー・感想・評価
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高校生活最後の一日の話
感想
1962年カリフォルニアの小都市が舞台。
ベトナム戦争の影響が社会に及ぶ直前のアメリカ社会とその時代に輝ける時を生きていたごく普通の高校生達、最終学年、最終学期、最後の夏の一日を夕方から翌朝までオールディーズの名曲の数々とウルフマン・ジャックの名DJを交えて若者の想いや悩みなど、ありのままの人間模様を懐古調に面白おかしく描いている作品。ルーカスの車好きの趣向が最大限に反映されている。(ルーカスが学生時代に自動車事故を起し、人生を見直した話は有名で本作にもエピソードとして描かれる。)アメリカ西海岸地区のモータリゼーションが一般生活に浸透しており、一般家庭でも平均2台以上車があると想像させる描写がある。中流家庭の子女であれば高校生(16歳)になれば車を購入、それなりに贅を凝らし週末のドライブや夜の街を流して走る事を楽しんで
いたのだろう。
ジョージ・ルーカスの考えるこの映画の狙いとは、「俺の住んでいた街はこんな街で、こんな音楽がラジオから流れていたよ。ウルフマンの遠吠えDJがあったなぁ。高校のクラスにはあんな奴や、こんな奴、面白い奴、カッコいい奴、頭いい奴、悪い奴、変な奴、大好きだった彼女達、イカした彼氏達、いろんな奴がいたっけ。懐かしいよな〜。ところでアイツら今はどうしているのかなぁ?あの頃はあんな事が悩みだったなぁ。くだらない事が楽しかった。あの時は恥ずかしかった思いもあるが、あれはあれで良い思い出だ。あの頃は馬鹿が出来て本当に楽しかったよ。今はただ小さくまとまった聞き分けの良い、いい歳の大人になってしまった。アイツらも死んでしまって。あの時の判断は正しかったのか?時代も変わり、輝いていたあの頃にはもう戻れそうにない。このアメリカという国も変わってしまい、同様にこちらも元には戻れそうにないー。」
悩める70年代のアメリカとアメリカ人の姿を見つめる制作意図を感じる。それはコッポラがダイレクトに戦争そのものを見つめた「地獄の黙示録」で浮き彫りにしようとした悩めるアメリカの姿とジャンルは全く違うが、同じような想いがあったのではないかと感じる。
商業映画デビューして2作目のジョージ・ルーカスが監督、プロデュースにフランシス・フォード・コッポラが名を列ねており、実質的に製作面の費用負担を行って製作されている。
ルーカスはジョン・ミリウスと共同で持っていた「地獄の黙示録」の原作の映画化の版権をコッポラに譲り、次回作は悩めるアメリカから逃避し、新しい時代を意識した「スターウォーズ」を全く新しい映像概念を創造しながら制作していく事になる。その道は険しく果てしない苦難の道となる。
配役・俳優
カート・ヘンダーソン:リチャード・ドレイファス
スティーブ・ボランダー:ロン・ハワード
ジョン・ミルナー:ポール・ルマット
ボブ・フェルファ:ハリソン・フォード
若き日のアカデミー賞俳優リチャード・ドレイファスと、この頃は髪の毛がまだたっぷりとあった子役出身の今やハリウッドを代表する映画監督である、ロン・ハワードが主演している。
テリー・フィールズ:
チャーリー・マーティン・スミス
とにかくチャーリー・マーティン・スミスの演技が良い味を出していて印象的で忘れられない。その後彼をスクリーンで観たのは1987年B・デ・パルマ監督「アンタッチャブル」の中でのオスカー・ウォーレス役であった。この時も記憶に残る素晴らしい演技であった。
飛ばし屋フェルファでほぼ無名時代の
ハリソン・フォードが観れる。
⭐️4.0
余談追記
本作に黒人が一人も出ていないというのはおかしいという意見がレビューにあるのを見たので気になりざっくり確認したところ、本作が描かれている場所は1962年のカリフォルニア州モデストがモデルになっており、時代的には公民権運動前である。公民権の法施行は1964年である。
1962年当時のカリフォルニアは白人はアングロサクソンの他、移民としてのアイルランド系、ゲルマン系が主で他はスラブ系(フレンチ、イタリアン、スパニッシュ、メキシカン、ユダヤ)が多く住んでおり、アジア系では移民としては中国人がかなり多く住んでいたらしい。(アジア系であるネイティブアメリカインディアンは少数派であった。またスタインベックの「怒りの葡萄」にも移民の描写があるが、農場労働者の中心は黒人ではない。)1960年代には西部地区に黒人はメキシカン、イタリアン、中国人程多くは住んでいなかったのである。
公民権運動前頃まで黒人の住んでいた場所は地域的には中西部デトロイト周辺の重工業地帯と東部のニューヨーク周辺部、ペンシルベニア、メリーランド、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ワシントンD.C.に人口が集中しており、あとは南部に広く分布していた。1965年以降、徐々に西部地区に移住するようになったようだ。だから黒人が一人も出てこないのでは無く住み分けがはっきりとしていて、母数が少ないのでいないも同然だったというのが真相のようである。
0081 ウルフマンジャックに何の用だ?
1974年公開
アメリカの青春もの、という触れ込みなので
後年見てみたが当時の高一にはハマりませんでした。
特に50’Sが一つも知らんいうのは致命的でしたね。
なのでリチャードドレイファスはわかったけど
ハリソンフォードはわかりませんでした。
主演のメガネ野郎もわかりません。
60点
初鑑賞 1976年12月29日 大毎地下劇場
ジョージルーカス 監督作品
【1962年のカリフォルニアを舞台に、高校を卒業した4人の若者の一夜を描く群像ドラマ。エンディングの字幕からも伺える通りアメリカンドリームの終焉を暗示した作品である。】
ー『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカスの出世作である'60年代の熱い青春を描いた群像ドラマ。-
■高校を卒業し、翌日には都会の大学へ旅立つことになっているカートとスティーブンは、高校生活最後の夜を楽しもうと、仲間たちと夜の街へ繰り出す。
大学に行かずこのまま街に残ろうかと思い悩むカートの想いは、夜が更けていくに連れて少しずつ変化していく。
◆感想
・1962年のカリフォルニアが舞台という事で、二回りも違う私は置いて行かれそうになる。
ー 私のレビューが老成しているように見えるのか、私をお爺さんと思っている方が多く、平日でも有難い事だが、勤務中に多数の共感を頂く。
だが、出来れば18時以降にして頂けると有難いです。(ホント、スイマセン。)-
・今作は高校を卒業した4人の若者の一夜を描く群像ドラマであるが、その中で今では滅多に見ないアメ車や、一夜の女性を求める若者たちの姿が描かれる。
■劇中に流れる音楽は、殆ど分からなかった。今作は1960年代に青春時代を過ごした方々には響くんだろうなと思った作品である。
<今作で響くのはエンドロールで流れる4人の若者の生涯である。あるモノはベトナム戦争で戦死し、あるモノは堅実な人生を送っている事が語られる。
この作品は、未来ある少年4人の未来に希望と、不安を抱えた一夜を描いた作品なのである。>
アメリカンなグラフィティ‼️
ジョージ・ルーカスの描いた青春物語に感謝をしたい。
うそーこれジョージルーカス監督作品なんですね。スターウォーズ以前は...
音楽だけが懐かしい
ああ青春!
ほんの一日の他愛ない出来事に凝縮された青春スケッチの映画らしさ
ノスタルジックな青春映画
もっともっと遠くへ
もう何度見たのだろうか
映画館でもレンタルでも見たことはないけどテレビでやるたびに必ずと言っていいほど見ています。
ここ最近はやらなかったな〜
中学生の頃に2枚組のサントラを買ってから30年以上
いまだに聴いても心がウキウキしてきます
久しぶりに見た感想は、『グッド・ウィル・ハンディング』に似ているのだな〜と
あっ、逆か。
ひとつの場所にこだわらず世界を広く見て回れと
人は経験を積んで生きているのだから経験は何ものにも変え難い財産になるのだと私も思います
今までと違う見え方がしてきました、映画は変わらないのにいる側の経験や年齢が重なればそれだけ見えてくる気がつける部分が増えてくるのでしょうね
何年経っても色あせない作品
今度はいつ見られるのだろうか
もう今から楽しみでなりません。
この映画で人生構築された
50年代風のアメリカ青春映画
60年代の音楽とウルフマン・ジャックのDJが流れ、彼等の進路や恋...
誰も唄わないけれどミュージカル
全編に当時のヒット曲がかかり続ける
場面説明、心理描写、盛り上げ
全てがそれで行われている
普通の劇伴奏のサウンドトラックに相当するものは皆無
画期的な音楽の使い方だ
4人の夏の終わりの一夜のストーリーが並列で進行してそれぞれに絡みつつ、それぞれに終わる
グランドホテル形式に似てるが少し違う
若者が悩んだ末に自ら答えをだし新しい道を一人歩みだすというテーマを結論にブレずに伝える脚本構成はお見事
夜の街の撮影主体ながら、美しく夏の暑い空気感まで感じさせる撮影も見事
1962年アメリカがアメリカであった最後の光景を活写している
本作には誰一人黒人は登場しない
カメラに映り込みすらしない
この街には黒人がいないかのようだ
これもまた当時の白人中心のアメリカの心象風景なのだ
見えていない
10年後の1972年、黒人がヒーローの映画黒いジャガー シャフトが大ヒットする
その10年の間に、ベトナム戦争、黒人公民権運動と暴動、ビートルズ、ヒッビーが登場してアメリカが変わった
いや、現実のアメリカを直視し目に映るようになっただけだ
変わったのはそこだ
若き新人俳優の頃のハリソンフォードが台詞付きのいい役を貰って頑張ってます
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