「たった一夜で大きく成長するティーンエイジャーたちの愉快で、切なくて、眩しい群像劇」アメリカン・グラフィティ kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
たった一夜で大きく成長するティーンエイジャーたちの愉快で、切なくて、眩しい群像劇
午前十時の映画祭14にて。
夢の国、アメリカ万歳🙌
舞台はカリフォルニアの小都市。ジョージ・ルーカスの出身地であるモデストという街で郡庁所在地らしい。
時は1962年、ルーカスが18歳の頃が背景だ。
ちょうど私が生まれた年でもある。
日本公開は1974年で、私は中学1年生。一人で映画館に行き始めた頃だ。
当然、私にはハイ・ティーンのアメリカ人たちが大人に見えた。
男も女も車を持っていて、たまり場であるレストラン(看板にはドライブ・インと書かれている)は、駐車スペースでインターフォンから注文するとローラースケートのお姉さんが料理を車まで運んでくれ、運転席の窓の外にテーブルを掛けてくれる。そのまま車で食すのだ。
この風景、いつか自分も彼女を助手席に乗せて、車でこういう店に行けるようになるだろうかと、夢のようにキラキラ輝いて見えた。
これが当時でも10年以上も前の地方都市の姿だとは全く知らなかった。
この街では、奨学金を得て東部の大学に進学する子たちは街にとっても誇りなのだろう。
この年は2人の若者カート(リチャード・ドレイファス)とスティーブ (ロン・ハワード)が奨学金を得て明日この街を発つ。
カートの妹ローリー(シンディ・ウィリアムズ)はスティーブと交際している。
地元には短大しかないらしく、短大生のジョン(ポール・ル・マット)はいかにも不良の雰囲気を漂わせている。彼は車の腕に定評があり、街の車乗りたちから英雄視されている。
現役高校生のテリー(チャールズ・マーティン・スミス)は車を持っておらず、ブレーキの効きが甘いスクーター(ヴェスパ)に乗っている。こちらはいかにも冴えない体だ。
彼ら、4人の男たちと1人の女の子の一夜の体験が、カーラジオから流れるオールディーズ・サウンド(時代設定当時の流行曲)に乗って、並行して描かれる。
このBGMの使い方は、一時期の青春映画で定番となった。
物語の始まり時点で、悩みを抱えているのはカートだけだった。この期に及んで進学を迷っている。この年頃は大抵は夢と希望が勝るのだが、漠然とした不安にかられる者もいるだろう。踏ん切りがつかない様子だ。
悩めるカートは、白いスティングレーの金髪美人から唇の動きで「I love you.」と告げられて夢中になる。探し回った挙げ句、ニアミスの連続で結局逢えない。
だが、この日高校で行われていたプロムナードには行けず終いでも、カートは貴重な経験をする。
スティーブは、地元でも女の子にモテている。ローリーに、離れている間の交際は自由にしようと言ったために関係が気まずくなる。そりゃ、都会に出れば洗練された女の子たちと付き合えると期待するだろう。だからといって、ローリーと別れたいわけではないから、離れている間だけと言った。そんな都合のいい話はない。
スティーブとローリーはプロムでペアでダンスを披露することになっていた。気まずい状態でダンスする2人のシーンが傑作だ。
3回目のデートでもキスをしないスティーブのことをローリーは父親に相談したという。「頭のいいやつだ、そのうちキスのことを思いつくさ」
この2人、一晩で2度別れて2度よりを戻す(笑)
テリーは、スティーブから留守中は愛車を貸すと言われ、有頂天になる。車が手に入ったのだから、あとは女の子だ。
スティーブの車で女の子を求めて夜の街を徘徊すると、思わぬことで美人のお姉さん(キャンディ・クラーク)を助手席に乗せることになる。このちょっとアバズレ風な美人が、意外と優しくテリーをかまってくれる。こんないい話があるだろうか、うらやましい。
だが事件が起きてジョンに救われると、虚勢を張って嘘をついていたことを彼女に白状することになる。彼女は強いジョンになびくのかと思えば、優しくテリーを慰めるのだ、うらやましい。
やはり、不良っぽいジョンがカッコいい。
半袖Tシャツの袖をまくってタバコの箱を挟んでいる。これを真似してキャラメルの箱で試してみたが、腕がTシャツの袖いっぱいに太くないと無理だった…。
ジョンはテリーとは逆に中学生の女の子(マッケンジー・フィリップス)の相手をさせられることになる。女の子はお姉さんたちの真似をして背伸びをしている。面倒を押し付けられて辟易のジョンだが、彼はいいヤツだった。
しつこくジョンに車の勝負を煽ってくるボブがハリソン・フォードだ。
クライマックスはドラッグレース。
ボブの助手席にはローリーが乗っている。
ここで1台車を横転させて燃やすのだから、低予算映画といえども大変な撮影だっただろう。
ジョンの男気が示されて、女の子を上手く家に送り届けると、今度はテリーを助けるという、よく見るとジョンは大活躍なのだ。
劇中流れ続けるラジオのDJウルフマン・ジャックは当時実在したらしく、終盤でカートが会うのは当のご本人だという。
冷蔵庫が壊れたと言ってアイスキャンディーを食べまくっている。何度も勧めるがカートがいちいち断るのが可笑しい。
波乱万丈な彼らの夜が明ける。
残る者も旅立つ者もそれぞれが何かを感じ取った一夜だっただろう。
カートとスティーブが真逆の決断をしているのが良い。
若者にとって何が正解かなど誰にも分からない。自分にとって何が大切かを自分で見つけて歩むしかないのだ。
この映画は架空の物語なのに、4人のその後が文字で表示される。必ずしも幸せな人生を送ったわけではないというのも、ルーカスの友人たちの思い出が含まれているのだろうか。
後に『アメリカン・グラフィティ2』で彼らのその後が描かれているが、アメリカはケネディ暗殺、ヴェトナム戦争を経ていて、映画の作風も面変りしている。ハリソン・フォードのボブは白バイ警官になっていた(笑)
さて、カートが追いかけていたスティングレーの美女は、実在したのか。
一説に富豪の有閑マダム、一説に高級娼婦、顔は最初に映っただけで後は車しか見えない。
カートが飛行機からあのスティングレーを見つけてニヤリとするのは、一夜の夢から覚めたことを示唆しているのかもしれない。