「私はもう死んでいる」雨のしのび逢い(1960) mittyさんの映画レビュー(感想・評価)
私はもう死んでいる
フランスの作家、マルグリット・デュラスが原作の映画。
原題は"Moderato Cantabile"だが、小説のタイトルでもあるようです。
元旦に鑑賞しました。じっくり観るとなかなかいい映画でした。
不倫というには、あまりに禁欲的。メロドラマというには、あまりに観念的。ブルジョワマダムの愛の不毛というには、あまりにも地味すぎる。原題の「モデラート・カンタービレ」のフレーズが映画を見終わった後も耳についています。
フランス南西部、海辺沿の小さな田舎町。その鉄工所の経営者の妻であるアンヌ(ジャンヌ・モロー)が、子供のピアノレッスン中に女性の悲鳴を聞くことから物語が始まる。レッスン所の階下にあるカフェで殺人事件が起こった。男が女を愛するあまりに殺害を起こしてしまったらしい。横たわった女の上に男がかぶさり抱きかかえる。愛しているとつぶやき、女から離れようとしない。その光景を見たアンヌの心が突然、火がついたようにざわざわしはじめたのである。激しい情熱を心が求めていたのか、殺してしまいたいほどの情熱に心が揺れ動いてしまったのである。そして、鉄工所の工員の若い男性(ショーヴァン/ジャン=ポール・ベルモンド)から話しかけられ、事件について語り合っているうちに、二人は愛し合うようになってしまう。
あらすじだけ書くと通俗的でつまない感じがしますが、映画全体は非常に文学的。読書において行間を読むという言葉がありますが、映画の場合、余白を読むとでもいうのでしょうか。台詞を抑えた描写で鑑賞者はいろいろと考えさせ(感じさせ)られます。
ジャンヌ・モローのまぶたを閉じて悶えるような演技が見所なのですが、感情を抑えて接するジャン=ポール・ベルモンドも地味ながらよかったです。アンヌの心の動きが主に描かれますが、男は前々からアンヌに憧れを持っており次回の逢瀬を約束しようとしたりします。「勝手にしやがれ」のような、やんちゃさと元気さはありませんが、ベルモンドはこんな役もこなせるんだぁ。時期的には「勝手にしやがれ」のすぐ後に公開された作品のようです。もしも、この役をアラン・ドロンが演じたら...ロマンスの要素が加味され、モローとドロンの目力の強さがバッティングしてしまうのではないか。ベルモンドでよかった。
男と女には距離があり、情事に至るまでにはいかず、くちびるを重ねる描写さえありません。手と手が触れあう場面があるのですが、それが妙に官能的。顔と顔が近づいただけで、胸がドキドキしてしまいました。アンヌは「つくり話でもいいから、事件の話をして」とショーヴァンにせがむ。ショーヴァンは待ってましたかのように、自分たちの境遇と重ね合わせて、男女の物語を語る。二人にとって、この「会話」はすでに愛の交歓なので、エロティックに感じました。この独特の「高ぶり」の中でアンヌは恍惚となっているようでもありました。
時間的な流れはよくわからなかったのですが、最後に二人が逢瀬を重ねたのはたった7日間(7夜)だったことがわかります。「僕がいると君は散歩もできない」とショーヴァンは言い、「君は死んだ方がいい」とまで言い放ちます。アンヌは「私はもう死んでいる」と言い、雄叫びのような声を上げて、カフェの中で倒れ込みます。事件の女性が悲鳴を上げたように。男は静かに去っていきます。
アンヌの旦那が車でカフェの前まで来てアンヌは車に乗り込み、現実に戻って、映画はFIN。
いやいや。mittyさんの深い洞察レビューを拝見して、まだまだ己の解釈が底浅い気が。再度の鑑賞が必要な気がしてきており、良い切っ掛けとなる共感を本当にありがとうございました。