暗殺の森のレビュー・感想・評価
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教授の夫人役ドミニク・サンダの優雅な美しさと妻のサンドレッリのコ...
教授の夫人役ドミニク・サンダの優雅な美しさと妻のサンドレッリのコケティッシュな雰囲気。昔から憧れだった夫人に冷たくされるものの肉体関係を結んでしまうマルチェロ。しかも、バレエ教室のクラスの5分間の休憩中だ。
結局女の競演を描くのが上手いベルトリッチ。夕陽と暗闇を対照的に取り入れている。男の世界は雪がバックであることが多く、精神病院に入ってる父に会うときなどは白さを強調する。政治色が強い映画かと思ったけど、暗殺に対する罪の意識や、裏でうごめく女心の葛藤のようなものの方が強い。
結局、教授夫妻を殺すことになったが、マルチェロは黙って見ていただけ。数年後娘もできて三人でファシスト崩壊のラジオニュースを聞く。さらに13歳のときに誤って殺してしまったと思っていた男も・・・
ラストの狂気じみた行動、人生を嘆いているような振り向きざまの表情がいい。途中、眠くなるような展開がもったいないです。
逃げ続ける…
主人公マルチェロは最後まで「普通になりたいため」にファシストになり、ファシスト敗北に際してはその逆をと逃げ続けるわけだが、この感覚って日本にいるとよくわかるのではないだろうか。事大主義でみんな一緒が大好きで…。
さて彼にとってそれはファシストでなくてもよかったのだろう。ファシストないしファシズムは普通になるための一方法だったに過ぎず、その思想も行動もどうでも良いのである。しかも何も自分で処断できていない。ただ見ていただけと言うダメ人間っぷり。しかしながらこんなマルチェロのダメ人間さ、弱さーを責められないだろう。
センスだらけの映画
本当の意味でお洒落な作品。
衣装も最先端で現代との差も無くファッション雑誌の見本みたいな映像群。
だがぁ気軽に鑑賞出来る映画では無いし運良く映画館で観れたからこそなので家だったら落ちていたかも..zzz..しれない静かな作品だが全体的に緊張感が途切れないで進んで行く。
ストーリーどうこうより映像美を堪能してナンボなベルトルッチ体験でした。
桜井薬局セントラルホールにて鑑賞。
同調する人
人間は同調から逃れることはできないのか。思考を前に恐怖から逃れることはできないのか。
束になったファシズムが、深く連なる森と重なり、私を底知れぬ恐怖へと誘う。全体主義後に残されるのは、皮肉にも孤独だけだ。
洞窟の囚人。
普通であるとは?流されることなのか?大衆ってそんなものなのか?
そんなもんさ、あんたもそうだろ?、と観衆を突き放すメッセージを感じた。
プラトンの提示した命題を下敷きに。
人は幻影と共に生き、死んでいくのだ。
ヨーロッパの役者は…
こういう複雑な役づくりがほんとうに上手い。もちろんベルイマンの手腕もあるのだけれど。善玉とか悪玉といった単純な記号ではなく、悪玉として振る舞いながらもその後ろに良心の呵責があるところ、善玉に転じたようでそこに隠しきれない偽善がちらりちらりと覗くところ、ハリウッドものでは絶対見られない描写だよねぇ。
あと改めて気づいたのだけれど、ベルトウィッチの構図の巧さも出色。建物に対する窓の割合、森の中の道の縫い方、見る側の視点を微妙にリードしながら様々なテンポで進んでいく。
ぽっちゃりめのドミニク・サンダ、渋みがまだアク抜き前といったジャン・ルイ・トランティニャンも見られて良かったわん。
ベルトルッチと階段
乳白色のブルーを基調にしたパリの撮り方が美しい。
セーヌ河畔のメトロの高架は数々の映画に登場するロケーションだが、この作品でもサスペンスに満ちたシーンとなっている。高架下の道路を走るたった一台の車。上を走るメトロからは人の気配を感じられない。規則正しく並ぶ鉄骨の橋脚が言い知れぬ緊張感を謎を深めている。
魅惑的なパリの景色は他にも登場する。
エッフェル塔(を臨むシャイヨー宮の広場)や(作品中ではホテルに改装されている)オルセー駅は20世紀初頭のパリを象徴する建築物である。これらの建物は鉄を使用しながらもその意匠は柔らかな曲線を描いていることが特徴的だ。
これに対して、ジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公が「就活」のために訪れる国家機関の建物は直線だけで構成される空間を持っている。
自由な都市であるパリと、ファシズムの政権を立てたローマという二つの都市を建築を通して対比している。
ところで建築と言えばベルトルッチの作品を何本か観て気になることがある。登場人物の権力関係を階段で表すことが多い。
誰でもがすぐに思い浮かべることができるだろう、「ラストエンペラー」で幼い溥儀が紫禁城の階段を小さな歩幅で駆け上がるシーン。幼年の皇帝が、なんの迷いもなく、無自覚に権力の高みへ登っていく。
「シャンドライの恋」は階段の昇り降りが、一組の男女の愛と権力の関係を形作っている物語である。
この作品でも、主人公が彼の希望通りに秘密警察になるときには上の階に案内されて、階段を昇っていく。
また、初めて訪れたパリの恩師のアパートで、ドミニク・サンダがステファニア・サンドレッリを階段の上から見おろすことでこの二人の力関係が決まってしまう。
しかし、この作品でもっとも語られるべきは、外光が一方向から射す部屋で、昔の師弟が自意識について語るところではないだろうか。
恩師曰く、人は「光を当てられた自分の影を自分自身だと思っている。」のだと。人間は自分自身の全体の姿を見ることができない。鏡に映る姿や影は自分自身という実体ではない。そのことを分かっていながら、自分が何者であるかを知りたいと思うところが人間の弱さであり、だからこそ人は「影を作り出すための光を求めるのだ。」と。
この会話の最後に別の角度からの光が当たり、壁に映っていた主人公の影が消える。ファシズム政権が崩壊するラストを待つまでもなく、主人公の影であるセルフイメージが消失しているのだ。
さて、映画のラストはサンタンジェロ城、コロッセオといったローマの古い建物が出てくる。近代的な自我が現れるよりも前に建てられたその建築を舞台に、ファシズムに酔っていた者たちの自意識が溶解していくのである。
ジャン・ルイ・トランティニャンの変容ぶりが素晴らしい。前半のファシズムと自らを同化することになんの疑問も持たない、無垢な冷たい表情は、後半、その任務に苦悩し、やがてファシズムとともに崩壊していく。
映像美は賞賛に値するが
この映画のポイントは映像美であり、特にカメラワークが素晴らしい。撮影が誰だと思ったら、「地獄の黙示録」や「ラストエンペラー」のヴィットリオ・ストラーロだった。
それと、ドミニク・サンダが美しく、圧倒的存在感だった。特にダンスシーンは見所だ。
ただ、他の俳優がややもするとコミカルで、ドミニク・サンダだけ異質な感じがした。それと、森で暗殺されるまでの展開と、暗殺されるシーン、ムッソリーニ崩壊後の主人公の行動、その3部分が全くテイストが異なり、かなり違和感を覚えた。
また、吹き替え版でなく字幕で見ているが、セリフのアフレコがかなり合っていないことが多く、基本的な作りの雑な面が気になった。特にステファニア・サンドレッリが一番ひどく、セリフや笑い声がわざとらしく、B級映画を二流の声優の日本語吹き替え版を見ている感じだった。
個人的にこの映画を低評価にしているのは、主人公だ。あんなに好きなはずのドミニク・サンダが殺されるのを何もしないでいるのは許せない。同じ優柔不断の性格でも、ベルナルド・ベルトルッチ監督の傑作「ラストエンペラー」の主人公には感情移入できたのだが。まあ、この映画から「ラストエンペラー」を作るまでは17年の開きがあるので、この頃はまだまだ監督も未熟だったのだろう。せっかくのヴィットリオ・ストラーロ撮影の映像美を台無しにしてしまった。
深い
日本語のタイトルは『暗殺の森』だが、原題は"IL COMFORMISTA"。イタリア語で「周りに同調する者」という意味。この映画の軸は単なるファシズム批判ではない。実はファシストなんて者はいない、みな正常であろうとするからファシストだったのだ。そしてこれはもっとも正常でありたかった男、Marcelloの話である。その主張は随所で見られる。盲目の親友イタロとの会話、教授との洞窟の比喩の会話。ムッソリーニが失脚した途端民衆はころっと態度を変える。
なんの予備知識もなく一度観ただけではあまり面白くないのではないか。私は一回目は1人で、二回目は教養のあるイタリア人と観た。一回目は美しいという印象が強かったが二回目でいろんな疑問が解けBERTOLUCCI監督のすごさを知った。
最後に、ファシズム建築と美しい女性たちがこの映画に花を添えている。
眠かった
映像や女優がとても美しく、惜しみなくおっぱいも見れるのだが、とにかく退屈で眠くなる。110分なのに寝てしまい2回中断した。主人公の男のキャラが薄い。単なる暗い美男子でしかなく、何の面白味もない。殺害場面は変でちょっと面白かった。しかしその表現は好きな映画だったら嫌だったかもしれない。
全然好きでもなんでもない作品なのだが、妥協なく懸命に上質なものを仕上げようとしている感じはうかがえた。ずっと気になっていた映画だったので見れて気が済んだ。
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