劇場公開日 2015年10月31日

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「ラストシーンでの主人公の振り返りは“順応”への憂いなのか…」暗殺の森 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ラストシーンでの主人公の振り返りは“順応”への憂いなのか…

2025年4月25日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

もう40年近くも前に観た映画だが、
「暗殺のオペラ」と共に、
理解がほとんど及ばない記憶のままに
なっていたベルトルッチ監督作品。
当時は「1900年」も「ラスト・エンペラー」
も観ていない頃だったと思うので、
彼のことは前衛作家の域を出ない
新人監督との印象だったろうか。

ところで、原作本のタイトル
“順応主義者”の邦訳名は
“孤独な青年”とのことだが、
“順応=孤独”とは逆のようにも思え、
ピントこない印象の中、
ほぼ忘却の彼方だったこの難解な作品を
興味深く再鑑賞し始めた。

しかし、何とも気怠いタッチの作品で、
この後の監督作品とは少し雰囲気の異なる
観念的な作風に、
今回も難解に感じる鑑賞となってしまった。

分からないのが、森の中での
主人公と他の暗殺者との関係だったり、
大臣の机の上の女性やかつての娼婦に
教授の妻が似ていて気を引かれたとしても、
妻の方はどう主人公に魅了されたのかや、
そもそもが同一人物としようとしているのか
が私には不明で、
この作品の没入感への妨げになった。

さて、
主人公のラストシーンでの振り返りは、
少年期での誤解からスタートした、
己の所業への後悔の念や、
この先も続くであろう“順応”への憂いなのか。
原作本のタイトルで使われた“順応”は、
一般的にはポジティブな意味合いが強いと
思うのだが、
この作品での主人公の“順応”とは
“時代に流され迎合する”、あるいは
“大勢に逆らわない”と言ったような
ネガティブな印象。
そうだとしたら、
当時のイタリア国民と同様、
太平洋戦争時の日本国民のほとんども
似たような“順応”だったように、
国を問わず、戦時における国民の“順応”は
避けることの出来ない事象なのだろうか。

KENZO一級建築士事務所