「圧倒的な映像美とは対照的な人間の醜さ」暗殺の森 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的な映像美とは対照的な人間の醜さ
監督・脚本ベルナルド・ベルトルッチによるアラベルト・モラヴィア原作『孤独な青年』の映像化。第二次世界大戦前夜のイタリア。哲学講師マルチェッロは、13歳の時のトラウマから、“普通になりたい”と願い、盲目の友人イタロの仲介でファシスト組織に加わり、秘密警察として働く事になった。やがて、マルチェッロは任務を通じて自らの優柔不断さに苦悩していく。
イタリアやフランスのパリの街並み、暗殺計画の舞台となる森に至るまで、全編に渡って映像が美しい。荘厳な音楽も相まって、まるで絶えず絵画を眺めているかのよう。
しかし、作品を通して描かれるのは、1人の男の矮小さと卑怯さ。愛する者の命の危機を前にしても、殺すことも救けることも出来ない優柔不断さと、ファシストの崩壊により全てを失ってしまう悲惨な末路だ。それを描く過程に特段のドラマ性や悲劇性が感じられず、退屈に感じてしまった。
マルチェッロを誘惑するアンナとの熱愛も、過去に娼婦として働いていた彼女を互いが覚えていたという接点こそあれ、お互い既婚者(しかも、マルチェッロは新婚旅行の最中)でありながら、それでもリスクを冒して激しく惹かれ合うだけの説得力は無いように感じられた。
印象的なのは、マルチェッロの護衛兼監視役のマンガニエッロが暗殺の行われた森で口にした台詞だ。
「どんな仕事もするが、卑怯者の相手は御免だ。卑怯者と同性愛者とユダヤは、まとめて銃殺してやりたい」
凄い台詞だが、これまで母親の情夫を自分に始末させ、任務に怖気付き、車の窓一枚挟んだ先で怯え助けを求めるアンナを傍観する事しか出来なかった卑怯で優柔不断なマルチェッロを見てきた彼ならではの台詞だ。
ラスト、街で偶然にも殺したと思い込んでいた自身のトラウマの元となった同性愛者のパスクアリーノに出会い、混乱から彼に自らが犯してきた罪を着せようと大声を上げる様子。唯一の友人であったイタロを雑踏の中置き去りにする様子は、普通になりたいと願いながら、遂には何者にもなれず、1人社会に取り残された弱い人間の姿だ。
圧倒的な映像美とは対照的に、どこまでも醜く描かれる人間の弱さ。マルチェッロのようにはなりたくないと願わずにはいられない。