「悪童たちの思春期の目覚めと「隣のきれいなお姉さん」。トリュフォー流・女性崇拝映画の原点!」あこがれ(1957) じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
悪童たちの思春期の目覚めと「隣のきれいなお姉さん」。トリュフォー流・女性崇拝映画の原点!
『私のように美しい娘』と併映にて視聴。
なるほど、ベルナデット・ラフォンつながりというわけね。
トリュフォーが習作『ある訪問』の3年後に撮った、実質的な第一作。
20分に満たない短編だが、彼の作家的特質のすべてが、ぎゅっと凝縮された一作だといっていい。
トリュフォーはつねに「女性を賛美」しつづけた監督であり、「女性へのあこがれ」を原動力に創作を続けた監督だった。それは、フィルモグラフィを見れば誰しもが気づくことだ。
彼の女性へのあこがれは、『アデルの恋の物語』や『黒衣の花嫁』のように「サディスティック」な方向で発揮されることもあれば、アントワーヌ・ドワネル・シリーズのように、もっと穏当に表現されることもあった。
でも、トリュフォーの最良の部分は、『私のように美しい娘』や『日曜日が待ち遠しい!』にこそみられると僕は思う。
女性のもつ快活さとエネルギーをそのままに受け止めたかのような、ポジティヴで陽気な女性賛歌。そういう映画を撮るときのトリュフォーは、とびきりにハッピーで楽しそうで、フィルム上には彼の胸の高まりがそのまま刻印されている。
「あこがれ」に出てくる「悪童」5人組は、そんなトリュフォーの分身に他ならない。
女性へのあこがれに衝き動かされて、日夜ストーキングに励む子供たち。
女性に恋人ができると、嫉妬と興奮でちょっかいをかけるのをやめられない。
それは、まさに「トリュフォー自身が大人になってなお、監督であることを口実にして、いまだにやりつづけていること」だ。
要するに、彼の自伝的要素が色濃い長編第一作『大人は判ってくれない』と同様に、原作付きの実質的デビュー作である本作においても、トリュフォー自身の性癖と創作姿勢が登場人物に色濃く投影されている、ということだ。
あと、トリュフォーが「女性」に加えて、『野性の少年』や『思春期』など、「子供」を描くことにも長けた監督だったことも忘れてはならない。
もう一度いおう。
ここには、トリュフォーの監督としてのすべてが、ぎゅっと詰まっている。