「聞かぬが華、言わぬが華 それも男女の信頼の証なのだ」アイズ ワイド シャット あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
聞かぬが華、言わぬが華 それも男女の信頼の証なのだ
原題はEyes wide openの反対の意味でつけられている
見たくないことなら初めから見るな
つまり、知りたくないことは無理に知ろうとするな
そのような意味だろう
共に30代半ばの夫婦、まだまだ若い
美男美女の人も羨む取り合わせ
しかも主人公の仕事は医者で若くとも周囲に信頼され尊敬されている
住まいはNYの都心の一等地の広いマンションだ
つまり完璧な夫婦をモデルとしている訳だ
しかし結婚9年目、子供は7歳で手はまだまだかかるが幼児の頃程ではない
つまり倦怠期だ
夫婦の間には最早恥じらいなどもない
結婚歴の長い人なら冒頭のシーンなどは洋の東西問わずどんな夫婦でもこうなるのかと苦笑いだろう
突然妻のアリスが不機嫌になる
ゴダールの軽蔑を思わせるようなシーン
本作では何故不機嫌になったかを説明してくれるのだが、やっぱり意味不明
恐らく言っている本人もよく分かっていない
真の原因は別のところにある
女性との暮らしが長い男ならこんなことは、たまには起こることで、こうなったらもうどうしようもないことは知っている
言葉を尽くしても無駄だ、理屈は通じない
男にできるのは抱きしめることだけだ
なのに知らなくても良いこと、聞かなくても良いことを聞いてしまう
そんなことはろくでもない結果しか生まないことはある程度年を重ねたら分かることだろうが、この夫婦は見せ合ってしまう
その顛末が本作の物語だ
夫婦なら、売れないピアニストの様に目隠しをさせて見て欲しくないものは見せないようにするべきだ
夫婦の役割を果たせばよいのだ
弛んだ目隠しから見えた光景を口走っては駄目だ
知らないふりをしなければならない
それが大人だ
男女の間には、愛し合っていればいるほど知らないでいることの方が良いことがある
言うべきことでは無いことが男にも女にもあるのだ
あなたにも独身時代のことや、結婚してからの事もそれこそ山ほどあるはずだ
モヤモヤしたトム・クルーズが街をふらつくようなことは、秘密パーティーは流石に映画だけのことかも知れないけれど、どれもこれも男なら大なり小なり心当たりはあるはずだ
日本なら手っ取り早く風俗に行ってるだろう
その間合いを知って、見えない部分を残しつつそれでも相手を信頼できるかどうか
男女が共に暮らして行くにはそれしかない
そしてたまにギクシャクしたなら、それを修復するのは言葉ではない、それはファックだ、今すぐしろ
つまりこれが本作のテーマなのだと思う
トム・クルーズ、ニコール・キッドマン夫妻をキューブリック監督が主役に起用したのは、どちらも性的アイコンとして確立しているからであろう
セックスを正面から扱うという宣言だ
そして本当の夫婦だからこそ起こる演技を超えた何かを求めていたのだと思う
ニコール・キッドマンは監督の期待に見事に応えた名演技だ
パーフェクトだと思う
しかし、問題はトム・クルーズだ
若くて真面目でハンサムな良くモテる医師という役柄にとらわれ過ぎだ
感情の動きが平面的で、人間の多面的な側面をあのような驚くべき展開のなかで平板な演技しか出来てない
監督が「本作は彼が滅茶苦茶にした完全な失敗作だ」と発言するのもむべない
しかしそれはキューブリック監督が細かく厳密に指示したものだろう
監督は自分のそれを超えてくる演技以上のものが欲しかったのだろう
彼なら自分の思いもつかない演技をしてくれるかもしれない
なのに予想を超えてくれなかった失望
それがその発言の真意だと思う
さすがのトム・クルーズもキューブリックに萎縮していたのかも知れない
郊外の屋敷での秘密パーティーのシーン
そして妻の夢との不思議なリンクと仮面の忘れ物発見シーンに続く玩具店でのニコール・キッドマンの決めセリフのシーン
これらは本当に見事でキューブリック監督も改心の出来と思ったろう
それだけに監督は配役あるいは演技指導の失敗を悔み自分を責めたのだろう
そのせいかも知れないが、監督は試写会5日後に監督は原因不明の心臓発作で急死してしまうのだ
もっとトム・クルーズに自由にやらせるべきだったのかも知れない
秘密パーティは映画だけのお話と思っていたら、2020年になってエプスタイン事件について次々に明らかになって来ました
本作のようなこともあながち本当にあったことなのかもしれません
もしそうなら、キューブリック監督の急死も?!などとといろいろと考えてしまいます