愛・アマチュアのレビュー・感想・評価
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ハートリーによるアメリカン・ニューシネマ
劇場未見のハル・ハートリー作品。
イザベル・ユペールからの手紙で実現したとの事だが、「シンプルメン」のオフビート感覚とある種の自主映画性を想像していたところ、かなりしっかりした脚本と美しい移動ショット並びに、犯罪映画への積極的なオマージュや素晴らしい役者達の演技等、本格的な「映画」を完成していることにかなりの驚いた。
相変わらずゴダールへの目配せは見られるものの本作でのそれは抑えめで、どちらかと言えば「アメリカン・ニューシネマ」的なものの現在を追及する方に傾いており、黒沢清との同時代性を感じる。とりわけ、マーティン・ドノヴァンが拉致される倉庫のような場所の描写と、鮮烈なインパクトを与えるラストの殺しのシーンなどは日本のVシネ全盛期における黒沢清と拮抗する、素晴らしいシークエンスだ。
物語としては基本的にパルプ・フィクションとしてのクライム・ノベルを映画化したものだが、「シンプルメン」にも見られた、キリスト教的なものと警察組織との対比や、犯罪組織との闘争のスラップスティックな描き方等に監督の個性が強く印象付けられる。前述した対比はある意味アベル・フェラーラとも共通するが、真面目すぎるフェラーラと比べると軽やかさにおいて巨匠感すら感じさせる。
女性を描く能力に長けたハートリーらしく、元々高い演技力を誇るイザベル・ユペールはともかく、成長著しいエリナ・レーヴェンソンの美しさと儚さには眼を奪われる。パメラ・スチュワート演じる、仕事に不向きな女性警官も魅力的だ。
男優陣も素晴らしく、マーティン・ドノヴァン演じる記憶喪失の男の存在感は言うまでもないが、全編通じて怪演を魅せるダミアン・ヤングが強烈な印象を残す。
単なるシネフィル的な作家に留まらない、ハートリーの面目躍如たる傑作と言えよう。
ここは何処? わたしは誰? 自分がだれなのか分からなくなった私たち=大都会の人々へのラブレター 倒れていた男と 謎の人々の物語
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《記憶喪失》の人に会った事がありますか ?
うちの弟、
自転車で転んで一時的に記憶喪失になった 希有な体験を持つ。
「自分が誰か」―というさいごの砦 は大丈夫であったが、その時は「自分がいま何故ここにいるのか」が本当にわからなかったのだと本人の弁。
彼は東北の山奥に山村留学をしていて、誰も通らない林道のつづら折り。コンクリートの道路で、そこで自転車で転倒。
「自分が何処にいるのか」が本当にわからなかくて
「物凄く怖かったのだ」と。
・・・・・・・・・・・・・・
本作、
倒れていた男 のみならず、出てくるみんなが何者なのか、いろいろ伏せられていて、正体が不明。
記憶とか、自己認識とか、
そして自分の存在証明って一体何なんだろう?って観ているこちらも思い始めてしまう仕組みなのだ。
イザベル・ユペールが、まだずいぶんと若くて。娘時代の出で立ちで可愛らしいのです。
官能小説に挑戦する 元修道女。水色の地味なワンピースを着ていて、設定がはっちゃけていますが、うぶな彼女を見るのは僕は初めてです。
そしてそんな彼女を励ますポルノ雑誌の編集長は、今でこそ三文雑誌を作っているが、実は社会派のジャーナリスト志望の硬派。
変な人たちはもっと出てくる、
カフエのヒステリー店員、
どうかしている婦人警官、
闇の税理士や修道院のシスターたち。
そして主人公となるのがポルノ女優のソフィアを追うマフィアのトーマスだ。
彼は頭を打って、目の前にいる女たちが自分の消すべき標的なのだとは認識出来ない。
《記憶喪失》とはいえ、自分を狙う殺し屋と暮らすのは、周囲にとっては とんでもないスリルだ。
・この人に目覚めてもらっては困る、
・この人の過去の記憶が甦ってくれては困る。
そう思いながら、遠ざけるべき男と一緒に居るわけだ。
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映画のコトバ
私と寝る?
名前も知らない俺と寝るのか
あなたも自分の名前を知らないじゃない
(バスルームで)。
謝るよ。
私に何を誤るの?わかってるの?
いや。分からないんだ。
何を謝りたいのか・・。でも謝る。
・・何か意味がある筈だろ?
昔の僕がどうあれ、これが今の僕だ。
↑↑この玄関の石段に座るイザベルと、そこに背を向けて腰をおろしている唐変木トーマスとの会話。
この雰囲気が大好きで何度もDVDを巻き戻した。
トーマスは全て忘れているが、トーマスの周りの人間はトーマスを知っているのがキモだ。
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実際ね、僕たちは皆、故意であろうと無意識的であろうと《記憶喪失者》なのだと思う。
いっぱい忘れているだろう、
あれもこれも。
具体的に手を出さなかったにせよ
追われていたことも、人を追っていたことも。
大に小に、傷付けたことも、傷付けられたことも。
殺そうとしたことも、殺されそうになったことも。
恥を晒したことも有れば、他人の恥を見知ってしまったこともあった。
忘れてしまった過去と、忘れようとして記憶の底に深く沈めたしまった過去と。
そうなのだ、本作の《記憶喪失》の人間模様は、特異な設定ではあるが、《覚えている人との同居》の、いつもの私たちの毎日でもあるのだ。
ああ! この居心地の惡さ。
僕の恥ずかしい過去を知っている人たちと同じ世界に生きている事の、この辛さw
でも、自分でも分からない自分のことを「ええ、私はこの人のことをよく知っていますから」と答えてくれるイザベルや、誰かの口添えによって
僕たち、この殺風景な世界にやっぱり存在していた事になるのだな。
監督ハル・ハートリーによる
ニュヨークインディペンデントムービーでした。
イザベル・ユペール、
白い壁、水色のカップ、水色の瞳。ふわふわの金糸のような髪と細い首。
バイオレンスとセックスと人間喪失の大都会に、ダ・ビンチのルネサンスから現れたかのような神々しさ。
シンプルな原題をアレンジした独自の邦題が味わい深い一作
ケリー・ライカート監督の最新作『ファースト・カウ』の公開など、近年再び注目度が高まっているアメリカのインディペンデント映画群ですが、本作はその代名詞ともいえるハル・ハートリー監督の代表作の一つです。『トラスト・ミー』(1990)や『シンプルメン』(1992)でハートリー監督はすでにその実力を証明済みでしたが、これらの作品に強い感銘を受けたフランスの俳優、イザベル・ユペールが出演を熱望して本作の制作が実現しただけに、本作のユペールの存在感は尋常ではなく、ハートリー監督がユペールの姿をどのようにフィルムに焼き付けるべきか、膨大な試行錯誤を重ねたことが映像からもひしひしと伝わってきます。
本作を評価するうえでユペールの容貌のみに着目することは適切とは言えないと承知しつつも、それでもやはり、時にニューヨークの雰囲気から遊離してしまうような衣装の着こなしもこなすユペールの印象は、強烈と言わざるを得ません。
物語は、記憶喪失の男(マーティン・ドノバン)を、とある思惑でかくまった小説家(イザベル・ユペール)の視点で展開します。この二人を含めどの登場人物も、サスペンス映画の登場人物にしてはちょっと癖が強すぎたり、予期していなかった過去を引きずっていたりと、巨大な謎の解明というよりも(もちろんその要素もあるんだけど)、彼らの来歴が少しずつ明らかになる過程に緊迫感がこもっています。
現代は、単に『アマチュア(Amateur)』なんですが、そこに「愛」を加えた邦題は、内容のスリリングさを伝えているか、というとちょっと微妙ではあるんですが、ある意味内容をちゃんと踏まえた題名になっています。
で?だれやねん
何も知らぬまま
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