「自分の場所を決めて安住する思いは持ち過ぎない位がちょうどいい」エドワード・サイード OUT OF PLACE talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の場所を決めて安住する思いは持ち過ぎない位がちょうどいい
サイードは、ほぼ積ん読だった『オリエンタリズム』の著者でもあるからずっと気になっていた。未だ積ん読なのでせめて映画を見ようと思った。
ドキュメンタリーにはある時期から用心深くなっているが、この作品は大丈夫だった。今の世界状況に胸が苦しくなり、これまでのアラブ人=パレスチナ人、ユダヤ人に関しての自分の無知を恥じた。それでも希望を貰えた気持ちになった。サイードが生前、いかに身の危険にさらされながら語り執筆し行動してきたか。チョムスキー自身ですらそうなのに、自分とは話にならないほどだったとのチョムスキーの言葉に胸が痛んだ。
批判されつつ自分の立ち位置を「喪失礼讃」にして命を懸けた(もっともっと長生きしたかったろう)サイードを知った。ポスト・コロニアル研究の先駆者、自分と世界を織り込みながら思考を続けた論者であり学者であり学生を育てた教授、エルサレムで生まれ父の仕事の関係でエジプトのカイロでも暮らしたキリスト教徒であるパレスチナ人。アメリカのコロンビア大学で長く教鞭をとっていたサイードは、妻の出身でもあるレバノンを愛しレバノン料理を愛した。サイードの墓はレバノンにある。
ユダヤ人指揮者のバレンボイムと共に、イスラエルとパレスチナの若き才能ある演奏者が共にクラシック音楽を奏でるウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を作った。このオーケストラの名称は、18世紀から19世紀にかけてありとあらゆる知的活動をおこなった作家ゲーテの晩年の詩集『西東詩集』から。映画「クレッシェンド」を思い出す。
あれかこれかでなく、あれもこれも可能な世界を作れないだろうか?あるいは別の解決策を見つけることは?あるべき所からあえて外れ、自分はこうだ、と決めつけない。他者との交渉無くして誰も生きていけない。対話をやめない。あえてさまよい続ける生き方を選ぶ。人種、民族、宗教、言語で私達を分離・分断しないで欲しい。ユダヤ人もアラブ人=パレスチナ人も、みんな仲良く同じ町で暮らしていた。
映画を見終わって泣けて仕方なかった。「やっぱり○○が一番」(○○は日本、我が家など色々・・・)とどうしても言えない自分でいい。どこかに所属してる感(帰属意識)が乏しい自分でいい。根っこがない感じでいい。サイードは学生に厳しかったようだから私がもし学生だったら一瞥もされなかったろう。でもそういう先生に会えたことを宝物にする学生もいる。