雪に願うことのレビュー・感想・評価
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地方が置かれた境遇の中でも家族の断裂を修復
<映画のことば>
ここで働いてみるか。
こき使ってやる。
経営していた会社を潰し、債権者から逃げるように故郷・北海道(帯広市)に逃げ帰って来た弟の学-。
会社の後始末をすることもなく、世話になった債権者たちにも「後足で砂をかける」ようにして逃げてきた無責任さは、覆うべくもないことだったとも思います。
学が家業を捨てて上京するのとにしたことには、学がばんえい競馬の厩舎という家業を嫌ったから-だとは、にわかには断定できないことと思います。評論子は。
本作の舞台として設定されている「ばんえい競馬」は、馬産地・北海道に根づいた娯楽として多くのファンに支えられて来てはいたものの、娯楽の多様化に伴い、当時から、すでに衰退の兆しが見え始めていたことは、想像に難くありません。
(現にばんえい競馬は、一時は岩見沢・北見・旭川・帯広の4市の共催でしたけれども、3市が撤退し、令和の現在では、重種馬(主に農耕や重量物の運搬のために改良された品種の馬で、体格がよく、持久力がある)の主産地である帯広市の単独開催となっています。)
本作でも、家業をとして守り抜こうとする威夫とは違って、学は、ばんえい競馬のそういう衰退を、肌で感じ取っていたとも言えそうです。
そして、離陸の時は最後に地面を離れ(景気が快復するときは他の地域から遅れて快復し)、着陸の時は真っ先に着地する(景気が下向く局面では真っ先に底を打つ)旅客機の後輪にも例えられる北海道の景気動向からすれば、学が北海道で起業することを諦めて上京することを選んだこと、それ自体は、むげに責められるべきことではなかったかとも思います。
かてて加えて、高度経済性長期には、集団就職などで人材を東京に供出し、自らの地域を寂れさせてきたことは、本作の舞台である北海道も、他の地域とまったく変わりはな
く、その陰では、故郷に残って老母の面倒をみながら家業を続ける威夫と、故郷を離れる(一面では故郷を離れざるを得ない)学とのような「家族の断裂」も、少なくなかっ
たものとも思われます。
本作でも、威夫の学に対する怒りは、直接には家業を捨てて上京した学に対するものですけれども、威夫とて(厩舎という事業を経営している以上、前記のような北海道が置かれている景気動向にまったく感覚がない訳ではないでしょうから)その背後には、家族が引き裂かれざるを得ない社会情勢、北海道の経済構造に対する怒りも含まれていたと評したら、それは、評論子の勝手な思い込みと言われてしまうでしょうか。
現に、小学校時代の同級生・加藤から学の居場所が債権者の代理人弁護士(?)には判明してしまいますけれども。
しかし、最初に厩舎に(この弁護士から?)かかってきた電話には、応答した威夫が、あいまいな返事をして切ってしまってもいます。
冒頭の映画のことばは、そのきつい言い回しとは裏腹に、学を(断裂の再生をすべき)家族として受け入れる意思表示でもあったのだろうと思います。
しかし、放漫経営からか会社の経営には失敗し、いわば「挫折して東京から敗走してきた」学も、家族のように苦楽を共にしながら(馬主から預かっている馬の病死も家族の死のように悲しみながら)厩舎を続けるために早朝から酷寒の中でも働き続ける厩舎の使用人たちや、父親の遺志を継ごうとする女性騎手をのひたむきな姿に接するなかで、どうしてもレースに勝つことができず、馬刺になる寸前?のばんば(ばんえい競馬の出走馬)・雲龍に自分を重ね合わせることで、断裂してしまっていた「家族」を取り戻して、再起の決意を固めることができたということなのだと思います。
再び上京した学は、おそらくは、迷惑をかけた債権者らに対する「お詫び行脚」から再起を始めたことと、評論子は信じて疑いません。
本作は、評論子が入っている映画サークルの「映画を語る会」のような催しで「北海道が舞台の映画」というお題が設定されたときに、真っ先に脳裏に浮かんだ作品として、十数年ぶりに再観したものでした。
往時の感動が、少しも薄らいではいなかった一本とも言えました。
それやこれやを併せ考えると、佳作としての評価も、本作には惜しくはないものとも思います。
評論子は。
こいつぁ~ヘモ(痔)だな。痛いだろうから屁もこけない
「ばんえい競馬」なんて知らなかった。馬だってでかい!決着は鼻じゃなくてソリの最後尾だとか、興味深いウンチクもいっぱいあった。そんな馬たちの調教シーンでは、朝もやたちこめる中で馬の白い鼻息や地面から立ち上る湯気が幻想的で、生命の息吹さえ感じることができた。失意のどん底であったはずの矢崎学(伊勢谷友介)も生きることの喜び感じ取ったに違いありません。
会社が倒産。借金で首が回らなくなったキャシャーンに唯一残された武器は捨て身技「生命保険」だったのですが、自己破産申告書をつきつけた偉大なる指揮者の息子だって、一緒にいい思いも経験したこともあって、最後には情けをかけてくれたように思います。地道に生きていけば、いいことは必ずやってくる・・・世の中、捨てたもんじゃないよと訴えかけてきたような気がしたのも、厳しい冬の大地だからだったのでしょう。
やはり一番いい演技だったのは佐藤浩市。弟に対しては暴力も振るうが、自分の力で厩舎を守ってきたという自尊心と、馬にだけは手荒なことはしないという信念があった。「勝たなきゃダメなんだ」と女性騎手牧恵(吹石一恵)に激を飛ばすシーンでも弟への愛が感じられるのです。男はやっぱり長男がいい。こんないい男のところへ嫁に来てやってくださいよ(自分のことではない)とキョンキョンに言いたくなってきます。
さすがに伊勢谷の演技はいまいちでしたが、小学校校歌を歌ってばかりいた山本浩司が良かったですね。山下敦弘監督作品以外では初めていい演技を見たような気がします。その他、気になる登場人物が何人もいたのですが、なぜか中途半端でした。どうせならそうした人物描写は切り取ってしまったほうが良かったのでしょう・・・ストーリーは素晴らしいのに、いい俳優を使いすぎたためちょっと惜しい作品になったかも。
【2006年6月映画館にて】
ばんえい競馬は人生の暗喩そのものでした
傑作中の傑作です
ばんえい競馬は重い橇を引いて競争します
サラブレッドが華麗に疾走する姿とは全く様相が違っています
私達一般人の人生そのものの姿と言えます
サラブレッドのようにスマートではなく、ずんぐりとした農耕馬です
レースもスタートして一番に走っていたのに、障害を乗り越えるために力を溜めるから、結局並んでしまったりします
一番目の障害はなんとか乗り越えても、二番目の障害で力尽きたり、くじけてしまったりする馬もいます
みな泥臭く重荷を引いてしんどい思いをしてなんとかゴールを目指すのです
そんなにしんどい思いをして競争しても賞金なんて中央競馬のような大金は転がり込んできません
何とか生き残って、また一年働けるだけなのです
結末の結果は語られません
しかしクライマックスにはカタルシスが訪れます
時に逃げ出したくなるときもあります
実際逃げた事もあります
その時にどう持ち直すのか
見えたり見えなかったりする橋は象徴的です
見えなくても水面下に必ず橋はあるのです
雪に願うこと
それは水位が下がって凍結した湖面の雪原の上に橋が見えていること
こんなに苦しくたって橋はあるんだと、
自分は橋を渡れるんだという希望を感じれるのです
昔は蒸気機関車だって渡っていた立派な橋が
美しい北海道の光景と美しい馬の姿を美しいままに撮影するカメラが素晴らしい仕事ぶりを見せています
音楽もドラマに大変マッチして格調を高めてくれました
数々の映画賞を受賞するのは当然です
名匠と名優による心に届きやすい再生物語でした
ジンワリと心に響くいい映画でしたね、そしてどことなく昭和の香り漂う直球の人間ドラマでした。
人は大なり小なり挫折を経験する生き物、むしろ挫折をするからこそ成長できる、それが人間ならではの特徴ではないかと思うのですが、この映画ではストレートに挫折をした人間の再生物語が描かれていたので、捻りが無かった分、余計に心に語りかけてくるものが多かった映画でしたね。
東京で挫折した男とばんえい競馬で関係者から既に諦められ末路が見えている馬が、共に再び走り出そうとする姿、ベタベタな展開ではありましたが、でも丁寧に心に届くよう描かれていたので、見ていてホント勇気を貰える映画だったなと、そう素直に思わされました、人は時として失敗してしまうこともありますが、でもきっとやり直せる、そんな希望の光がとても優しかったです。
伊勢谷友介が演じた主人公の学と、ばん馬のウンリュウのリンク具合がまた本当に良かったんですよね、人と馬は当然ながら言葉は通じないけど、でも何か心に伝わるものはあるのかな、同じ生き物として。
そこに吹石一恵が演じた騎手の牧恵の再生物語が加わったことも相まって、余計に感情移入させられてしまいました。
ただ正直ラストは盛り上がった感情を置いていかれた感は無きにしも非ずだったかな、まあ映画的には余韻に浸れるああ言った描き方もありなんでしょうけど。
しかしばんえい競馬って、あまり私には馴染みが無かったのですが、まあスピード感は全く無いですけど、迫力があってパワフルでこれはこれでまた違った魅力のある競馬なんですね、観客と一体になって楽しめるところも魅力の一つだったでしょうか、一度立ち止まって、溜めて溜めて最後にもう一度走り出す、あの姿が学の人生と重なるよう描く辺り、心持って行かれましたよ。
それにしても、人生の再出発って、何でこんなにも北の大地が似合うんでしょうかね、帯広の凍てつく冬の空気感、大自然の雄大さ、そして人と馬の生きる力強さ、それらが映像からヒシヒシと伝わってきて、より再生物語に彩を与えていたなと思いました。
またそんな北の大地に、妙に佐藤浩市が映えるんだなぁ、もはや名人芸とも言える佐藤浩市ならではのキャラクターがあってこそ成り立った映画でもあったでしょうか、すぐ手が出てしまうのは難点でしたが、心は温かい、そんな様子に映画としての安心感すら感じてしまいましたね。
一方兄と対照的だったのは弟の学でしたが、ホントいけ好かない雰囲気満載でしたね、見ていて何度もイラっとさせられましたが、こちらも伊勢谷友介の雰囲気に絶妙にマッチ、このキャスティングの時点で既に見応えある映画に仕上がることは確実と言った感じだったでしょうか。
小泉今日子もまたいい味出してましたね、凛とした佇まいの中に時折見せる寂しさが、まさしく絶品、現地人にしか見えない厩舎の賄い婦姿がとても似合っていました、厩務員役の山本浩司もほんわかしてて妙に癒されたなぁ、それから名匠・根岸吉太郎監督の人脈なんでしょうか、チョイ役で結構なメジャーどころの俳優さんが多数出演していましたね。
まあ何にしても、名匠と名優によって丁寧に作られた再生物語、苦みを味わったことのある者ならば、何かしら感じることのできる作品だったのではないでしょうか。
心優しい作品
『雪に願う事』
資本主義競争で‘負け組’となってしまった男。
父親の幻影から脱け出せずにいる女性騎手。
口は悪く暴力的だがみんなを支えている調教師。
みんなが幸せになりたいと願い今一頭の馬に託す。
監督の根岸吉太郎はロマンポルノ作品でデビューした当時からその時代にマッチした若者像を描いて来た。
この作品では以前の根岸作品で主演していた時任三郎や永島敏行の様なアッケラカンとした若者では無く、IT産業で時代の寵児になりそこねた男。
「世間を見返したかった」と言い、それに対して「なして見返さなきゃいけない」と兄。
馬車馬の様に働いて来た者でもいつか坂道が来れば‘足を溜める’事が必要だ。
出演者達は全員が好演です。
特に、嫌みな高利貸し役の山崎努は絶品。他にも吹石一恵は普段テレビ画面から感じる人柄からかけ離れた気の強い女性騎手役で今までとは違う面を見せてくれる。
今後は是非飛躍して欲しい。
そして小泉今日子は年々女優として花開いて来た気がします。昨年公開の『空中庭園』が圧巻でしたが、ここでも心に‘ある想い ’を持つ女性を巧みに演じている。
夕陽に向かって障害を駆け上がるウンリュウの美しき力強い姿は忘れられません。
心優しい作品です。
(2006年5月24日銀座テアトル・シネマ)
※日付けは公開年度
『かもめ食堂』
人生に息詰まり目的を無くしたり、大事な人を失ってしまいこれからどうしたらよいのか分からない時に、つい人は怖い顔や悲しい顔で周りから怪訝な眼で見られてはいないだろうか?
日本映画初のオールフィンランドロケによるこの作品には、そんな人がいたらそっと近寄って来て「コーヒーいかがですか!」と一言声をかけてくれそうな優しさに満ち溢れています。
信じていれば‘良い物はやっぱり良い’‘自分らしく生きるのが大事’とゆう製作側の思いが伝わって来ます。
小林聡美にもたいまさことなると、昔の人気ドラマ『やっぱり猫が好き』をどうしても思い出してしまう。
『やっぱり…』では次女役だった室井滋が残念ながら今回出演はしていないが、これに片桐はいりが加わった3人トリオの何とも言えない‘可笑しな間’や、あのかもめ食堂での‘絶妙な空間’に時間も忘れてしまいました。
そして猫まで(笑)
人間っていいなぁ…って感じさせてくれて、ラストでは不覚にも涙が出てしまいました。
(3月15日シネスィッチ銀座1)
※日付けは公開年度
渋い男前兄弟。
白洲次郎の印象が強いせいか
中途半端なダメ男って感じがあんまりしないけど
ダメでもとにかくかっこいい♡
そして皆に信頼される強面兄貴の佐藤浩市もかっこいい♡
色恋も隠し味的な感じであるだけがまたよくて
心に残る映画でした、とさ。
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