人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊

劇場公開日:

解説

毎日新聞社編・刊の原作『人間魚雷回天特別攻撃隊員の手記』より、「渡世人」の棚田吾郎が脚色し、「浪花侠客 度胸七人斬り」の小沢茂弘が監督した戦争秘話。撮影は「侠客の掟」の吉田貞次。

1968年製作/104分/日本
原題:Human Torpedoes
配給:東映
劇場公開日:1968年1月3日

ストーリー

昭和十八年。広島の特殊潜航艇甲標的の基地であるP基地に赴任した、三島少尉は同室の大里中尉が、敗色濃い戦局を打開するため、一人千殺の兵器の構想を持っていることを知った。だが、上層部は魚雷に人間が乗り込んで敵艦に体当りするという大里の構想を、必死の兵器は認められないと却下しつづけていた。一方、三島は甲標的の能力に疑問を持ち大里に協力を申し出た。二人は熱心に構造設計に打ち込み、いつか竪い友情に結ばれていった。昭和十九年、米機動部隊の活躍に、軍令部は今まで却下しつづけてきた大里の人間魚雷の構想を採用することに決定し、〇六兵器と仮称を与えて呉工廠で設計、試作することになった。喜んだ大里、三島は荻野技術大尉らと共に不眠不休の作業をつづけ、兵器としての弱点を改めていった。やがて〇六は完成、第六艦隊参謀栗原中佐らの見守る中で、大里の乗った〇六は航走試験に成功した。〇六は正式に回天と命名され、徳山湾口大津島の基地で猛訓練が開始された。時時表面化する現役士官と、吉岡や潮田らの予備士官との対立も、訓練途中で大里と吉岡が死んだ時に消えていった。十月下旬、回天特別攻撃隊菊水隊が編成され、ウルシー環礁の戦艦隊が目標に選ばれた。出撃数日前、隊員に帰省休暇が出た。三島は大阪の両親に秘かに別れを告げ、潮田も妻孝子と会って無言の別れを告げたのだった。遠方の隊員は、料亭若松の仲居のお朝に甘え、数日を過した。昭和十九年十一月八日朝、三島たち隊員は回天を搭載した潜水艦に乗り込み、故郷に最後の別れを告げて出撃していった……。ウルシー環礁内の敵艦に攻撃を敢行した菊水隊の戦果は、正規空母三、戦艦二を撃沈、わが方の損害は甲三七潜水艦のみ未帰還。と、記録されている。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0潜水艦の特攻隊

2020年8月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

飛行機だけではなく潜水艦までも特攻、自爆攻撃に使った話。
作品中に出てくるが、特攻した人を悪く言う人はいないだろうが、送り出した人については、後世の歴史家が評価するだろうとのこと。
国家の軍隊がやったことに驚く。

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いやよセブン

2.0ほぼ反戦色のない戦争記録映画。

2018年11月14日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 回天特攻隊の貴重なドキュメントとして観れば問題ないといった作品。死ぬために軍隊に入ったという若者しか描かれておらず、いかに敵の戦艦を撃破できるかといった論調中心だ。教育勅語そのものの考えもセリフの中に入れてあり、特に訓練機で死んだ二人、大里大尉(鶴田浩二)と吉岡少尉(梅宮辰夫)は家族への報告でも真実を伝えられず、逆に天皇陛下にいただいた命と訓練機を無駄にしてしまったことに対して涙するほどだった。せめて出撃前の休暇で、誰かが命を捨てたくないとかの疑問を呈してくれれば見ごたえがあったかもしれない。

 映画の位置づけが『あゝ同期の桜』の姉妹編であり、東映戦記映画三部作の2作目とされているが、どれも記録映画的な内容だと想像できる。歴史を知るにはいいかもしれない。

 俳優陣が東映オールスターキャストといった感じなので、若き頃の姿を楽しめることは間違いない。回天を使った「同期の桜」が何度も歌われるが、最後には“散りましょう”とか“靖国で”とかの歌詞になるので、やはり戦争を美化しているとしか受け止められない。

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kossy
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