「今は叶えられない望みでも・・」いつか読書する日 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
今は叶えられない望みでも・・
後回しにしている
私の人生の大きな望みについて、
今は叶えられない望みでも
それが《いつの日かのための》支えになってくれている事がある。
認知症の介護とか、がんの看護とか、児童保護司とか、
そして、きょう一日を精一杯生きるための、日銭を稼ぐパートとか・・
優先すべき事柄の山に私たちの日常は埋もれている。
どれが本当の自分の夢であったのか、埋もれて分からなくなっている。
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「なぜ働いていると本がよめなくなるのか」三宅香帆著
この本は実にヒットをして、“読めない本についての本”を世のサラリーマンたちが競って購入する変わった現象が起こった。そのこと自体が、ちょっとした皮肉でもあるのだけれど。そして
「『なぜ働いていると本がよめなくなるのか』を、なぜ働いていると読めなくなるのか」と
延々と三面鏡のようにボヤいた友人がいた。
田中裕子。
いつかは夢を叶えたいとぼんやりと思っていて
それが叶わずに、
きょうも牛乳配達やレジ打ちをやっている人たちって、田中裕子ならずとも、
(それがモデルケースとしては表には出ておらずとも)、
あの彼女の姿は我々人間の生き様の象徴なのではないだろうか。すなわち
自転車を漕いで牛乳を配りーの、文字通りの自転車操業の毎日であるならば
運転しながらの読書とかもちろん無理だし、その他にも両立はしない背負っている秘めた想いとかの実現は、今は、諦めるしかない。それは土台が無理だからだ。
相当のインテリの知人がいるのだが、一時期、彼は土方仕事の日雇い労働をやっていだ。そして自身に起こった変化を興味深く僕に分析解説してくれた、
「人はあそこまで疲弊すればスポーツ新聞がやっとやっとで、活字生活からは離れてしまうものだよ」。
彼がどんな見事な書庫を有していてもである。
「タコが言うのよ」
「恋は遠い日の花火ではない」
お酒のCMでは、ほろ酔いで目を奪った田中裕子さん。
「天城越え」では着物と美素肌。
40年前のYouTubeが未だにこれだけもてはやされていて、絶大なる女優の魅力は不動だ。
今こそが夢を叶える時だと、点滴スタンドを押して、冷たい夜明けの玄関を、裸足で出て行った
仁科亜季子の笑顔が
貴い。
今こそが夢を叶える時だと、
泳げないのに泳いでみた男の快挙が美しい。
顔を、その存在を見せずにここまで抑制して、
坂道を登る足音と、吐息と、ガラス瓶の音だけで行き来したひとりの女に手渡された奇跡のメモ。
田舎町の本屋の、棚の前で出会った高校生男女の
ついに永年の希望を叶えた物語であった。
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[追記]
◆渡辺美佐子がナレーションを語っていたが、彼女が劇中で書いていた「あの小説」が
この五十女=大葉美奈子の実写化ドラマの台本になっていたのかも知れないと気付くと
「自分の本」をば私たちは自分で読みながら、今日も、この日を生きていたのだなぁと想いが及ぶのだ。
不思議な感覚だ。
◆みんな死んでしまい、ぽつねんと部屋に戻った美奈子と共に、鑑賞者の我々も彼女の部屋に居るようなエンディング。
彼女の本を眺め、ひとりの女の歴史の頁をめくって見せてくれるような静かなカットだ。
画面をPAUSEして、その書棚の一冊一冊の背表紙を辿るのも
鑑賞の最後の作業として佳い時を持てた。
◆本作、今回はYouTubeで鑑賞したのだが、合間に (いつもはとても邪魔なのだが)、挟まれる広告には、ティファニー・ハードウェアのコマーシャルが流れていた。
いまをときめく「アノーラ」=マイキー・マディソンだ。彼女が素顔で登場してくれたのは、期せずしてのボーナス。
本作と、そしてあのアノーラと。
この女たちの藻掻きのドラマが、相乗作用していて面白かった所以。
それは
愛とか、憧れとか、その気持ちの置きどころとか、想いの量とか。
解説やメイキングも見てみたいのでDVDも借りてみた。