空中庭園のレビュー・感想・評価
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原作が角田光代という事
個人評価:2.5
帰る家を作りそれを守る事。学芸会の様に額縁に入れた家族でも、その箱を作る事が大切。それが嘘でも、いつかは本物になる。
内容はよかったが、演出も古さを感じ、古き悪き邦画的テイストで、角田光代の空気感が出ているのか疑問が残る。原作が角田光代だという事以外は特筆すべき点はなかった。
ホラーに見せかけたコメディかいな?心臓に悪いで!
このご時世で、なんか不穏な雰囲気で、誰か死ぬかとハラハラしてたけど。
バランス悪い演出で、音響も不安定で、精神衛生上、とても気分が悪くなってしまいました。
なんか、勘違いしてて、最後はハツピーエンド、でしょうか?
死ね、とか、血の雨降らせて、寝たらうなされそうです。
でも、誕生日おめでとうございます。
広い庭
エログロ、バイオレンスの無い園子温みたいな雰囲気を感じる!?
隠し事をしない、どんなに気不味い内容だろうと恥ずかしげもなく会話をする変な家族。
皆、偽りながらの秘密は持ち、幸せな家庭を保ちつつ、まぁ何が何だろうと家族である訳で、崩壊する事はなく協力的でもある。
過度の思い込みから真実が捻じ曲がっているようで、誰の記憶が事実であるのか!?
小泉今日子と大楠道代が良かった分、もっと二人の対峙を派手に観たかった。
「セフレって何?」と上司に聞かれたとき、答えられなかった。
家族がそれぞれ秘密を抱えているドラマとして記憶に残っているのは、1973年のTVドラマ「それぞれの秋」だ。当時、鮮烈なヌードデビューした高沢順子や小倉一郎などが出演していて、アットホームなファミリードラマ界の中でも異色の内容だった・・・などと言うと、あたかもドラマ通のようですけど、まだ小学生だったkossyにはショッキングな内容だったに違いない。
よく考えてみると、家族で隠し事をしないなんて所詮無理な話だと思う。江戸時代とか西部開拓時代とかなら可能かもしれないけど、情報が発達した現代においては到底不可能。プライバシーの侵害として訴えられる可能性だってあるのかもしれない。それを主人公京橋絵里子(小泉今日子)は過去の自分の家庭の反省から、計画的に理想の家族を意識的に作ってきたのです。映画を観ていても彼女だけは心理がわからない。そんな調子で淡々と描かれてはいるものの、随所に面白いアングルの映像を散りばめ、家族の一員となったかのように観客を引き込んでゆく。
アンバランスな家族の構図が破綻するのは夫の愛人ミーナ(ソニン)が息子の家庭教師として一家に解け込むあたりから。秘密を抱えたままの平和な家族の崩壊のきっかけはドタバタ風ではあるが、険悪な雰囲気になるじめじめした展開よりも気持ちがいい。絵里子と母(大楠道代)だけは若干わだかまりが残るのですが、ここからの女優二人の演技が素晴らしかった。「繰り返せばいい、やり直せばいい」と、家族の再生を訴える母の姿。そして肺がんの手術を受けた後の電話に感動する。
〈2006年1月映画館にて〉
秘密にすべきことを話すということは、 話した方はラクになるけれど、聞いた方はつらい。
絶対に秘密を作らない家族。
理想だけど、知らない方がいいこともある。
秘密にすべきことを話すということは、
話した方はラクになるけれど、聞いた方はつらい。
本当に大切なことは、墓場まで持っていく。
自分の出生決定地なんて、親だけが知ってる秘密のままでいいんだ。
記念すべきAmazon Movieデビュー作
京橋絵里子(小泉今日子)は、子供の頃に自分の母親に大切にされなかった経験から、自分の家族には「一切の秘密を持たない」ことを義務付け、いつも笑顔を絶やさず、完璧な母親を演じていた。
家族も表向きはルールを守り、聞かれたことは包み隠さず答えていたが、実は夫には不倫相手が2人いたり、娘と息子は学校をサボりがちだったりと、偽りだらけだった。
そんな中、夫の不倫相手の1人が、息子の家庭教師として京橋家へやってくる。
ルールとは関係ないたった1人の部外者の登場により、家族の秘密がことごとく明るみに出され、いつの間にか嘘で塗り固められていた京橋家は粉砕される。
積み上げてきた理想が全て崩れ去っていき、絶望と孤独と憎悪を感じる絵里子。
しかし、押し殺してきた本音を漏らすようになったことで家族関係に変化が生まれ、自身の母親との過去にもついに向き合う。
それまで自分をがんじがらめにしてきた「思い込み」から解放されたときに絵里子の目に映る新しい家族の姿とは...
ずっしりくる映画だった。。。
いろいろ思い当たる節が多すぎて宇宙人くん宇宙人くん宇宙人くん
思い込みって、本当にあるから怖いよね。
全く疑うことなく持っていた自分の記憶を、たまたま人に話してみたら「え?それ違うよ?」って言われて、でも違うって言われてもだいたいの場合すぐには納得できなくて、何人かに聞いたり、証拠となるものを見たりして、やっと思い込みだったって気付く。
さらにそれに付随して他のいろんな記憶まで間違っていたことに気付いたりして、じゃあどこまでが正しい記憶なの?みたいな感覚になるわけ。
例えばAさんが自分のこと嫌いだったっていう記憶があったとして、Aさんとのやりとりは全部それを前提として成り立っていたのに、そもそもAさんは自分のこと嫌いじゃなかったっていう事実を急に知ってしまって、前提が崩れ去って、え?ってなるみたいな。
ほんとに怖いよ。記憶の改ざん。
私は思い込み激しい方だって改めて思った。
「家族の幸せのため!」って勝手に計画とかルールを決めて、高い理想を掲げて、その遂行に必死になって視野が狭くなって、人の意見を素直に聞き入れられなくて、発狂する、って絵里子と全く同じじゃん。
ま、発狂するところまで行くほど私は芯が強くないんだけどね。良くも悪くも。
ルールってある意味では大事なことだけど、ちょくちょく見直さないと変な方向に行っちゃう。
例えば小学生くらいまでは「秘密禁止!」で良くても、思春期になったらそれは通用しない。
ダメって強く言えば言うほど相手は反発するし、反発できなければ隠れてやろうとする。
いやー嘘はいけないね嘘は。
いつでも自分に正直でいたいけど、そうもいかないからなぁ。
定期的なルールの見直し。
これが差し当たって非常に重要と悟りました。
エンディングは原作と違ったような?
ゆうても原作あんまり覚えてないんだけど、ハッピーエンドじゃなかった気がする。
どこまでも救い用のない終わり方でなおさらゲッソリしたような記憶が。
これも無意識的な改ざんだったりしてな。
演出はすごいドラマチックというかエキセントリックだった。
数回あった血がいっぱい出るシーンは、現実なのか空想なのか曖昧でけっこう好きだった。
ラストの絶叫、私はもっとぎゃあああああああああああっていう断末魔の叫びっぽいのが好きだけど、でもきっとああいうタイプの女はああいう叫び方をするんだ、って妙に納得。
家族の闇。
子育ての闇。
私は越えていけるのかな。
監督に猛省を
ごく普通のベッドタウンのマンションに暮らすごく平凡な一家には常に笑顔を絶やさない母親が居る。
母親は絶対的な‘王朝’を築き上げていた。
それは実に整然と作られた【庭園】や、家族が一同に食事するテーブルの上にある照明の【笠】は引っ越して来た時から彼女の‘心の監視カメラ’の如く存在し、家族の誰にも‘鍵’は持たさず‘秘密’は許さない。それは過去の自分と照らし併せて【家族を守る】とゆう強い意志の表れからで有り、住んでいるマンション自体がまるで‘王朝’の様でもある。
しかしこの家族は単に‘家族’を演じているだけに過ぎず、現に娘がナンパされる辺りから(入れ墨が象徴的だ!)崩壊し始め、誕生日の【王朝絵柄】を思わせるケーキを前にして遂に笑顔は消え失せ崩壊する。
この場面での緊張感は、その長回しと共にまるで『家族ゲーム』の横一列の食卓を意識しているかの様な演出である。
そして‘家族’とは‘母親’とは何か、見えない物が見えて来た時に‘王朝’の象徴だった【庭園】に人間の体内で一番大切な‘命の水’が降り注ぎ浄化されるのだ!
小泉今日子が素晴らしい。コンビニで振り返り笑顔を取り戻す場面は凄い。
最後に事件を起こした監督に猛省を。
私、道徳って、恥の概念のことだと思うの
映画「空中庭園」(豊田利晃監督)から。
角田光代さん同名原作の映画化、とあって楽しみに鑑賞した。
印象に残っているのは「道徳」に関する部分。
特別出演の永作博美さん扮する、変な愛人が一気に話すシーン。
「人間を人間たらしめているのは、恥。
恥を感じない人間は、猿と変わらない。
恥ずかしいと思うから、服を着るんだし、恥ずかしいと思うから、
人前でセックスしたりしないのよね。
私、道徳って、恥の概念のことだと思うの。
禁煙のバスで煙草を吸わないのは、なんで?
若い子の素足にいきなりしゃぶりついたりしないのはなんで?
恥ずかしいからでしょ? そんなことしたら。
だから、最も始末が悪いのは、恥という概念がない人間、
あんたのようなとろけた奴よ」
恥ずかしい、という気持ちが日本人に残っていれば、
日本の道徳は、またまだ捨てたものではないのだけれど。
偉人の話や感動の話を聞かせるのも確かに「道徳教育」だけど、
「恥ずかしい」という感情を、国民に教え直すことが、
道徳教育の一歩である気がしてならない。
家族の間でも「恥」という概念をもち、接することが大切だし、
「親しき仲にも礼儀あり」って、家族にも通用する言葉だと、
改めて認識した映画となった。
家族にとっても恥ずかしくない、夫・父親・息子でいたい。
秘密を持たない不自然さ
小泉今日子という女優の魅力が改めて解った気がする。様々な監督が彼女を起用するわけだ。儚げな外見の下に隠れる狂気・・・。そんな女性をこともなげに演じられる彼女の儚げな外見の下にある確固たる情熱。アイドル時代には見られなかった大人の女性の“不確実さ”、それが女優・小泉今日子だ。本作に登場する“家族”は「秘密を持たない」のがルールの仲の良い家族。思春期の子供たちの前で、ラブホでエッチした経験を語れる両親。幸福な家庭像だが、何か違和感をぬぐえない。秘密のない人間など本当にいるのだろうか?案の定それぞれ大きな秘密を抱えていることが次第に明らかになり、何とか取り繕おうとしている母(小泉)は次第に追い詰められていく。母親に虐待され、学校でイジメられていた彼女の夢は「幸福な家庭を作ること」。それだけのためにあの手この手を駆使して、今の地位を築いた。家族の揃う食卓を整え、ベランダでガーデニング。完璧な笑顔(この笑顔が空恐ろしい)の裏に蠢く憎しみ・・・。しかしそれらの憎しみが「記憶のすり替え」によって自分自身を追い詰めていることを彼女は気付かない。赤い血の雨の降る心象風景の空中庭園(ベランダの庭)で絶叫する彼女の狂気を前に、私はただただ祈った「家族が、誕生日プレゼントを持ってもうすぐ帰ってくるから、どうか早まったことをしないで!」と。本作を観ると、人が「秘密」を持たないことの不自然さがよく解る。人は誰もが「秘密」を持っている。「秘密」を持つことによって、人に対しての配慮や思いやりが生まれる。「秘密」を持たないあけすけな心は、大切な人の心もすり抜けて行ってしまうのだ・・・。
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