「敵は過去の自分自身」映画ドラえもん のび太と雲の王国 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
敵は過去の自分自身
「天国なんかあるわけないじゃん」とジャイアンやスネ夫にバカにされ業を煮やしたのび太は「雲かためガス」で理想の天国を創造する。
自らの創造した雲の王国でしばらくは楽しく過ごすのび太一行だったが、王国が槍ヶ岳の上空にさしかかった際に、巨大な亀に乗った謎の少年と出会う。のび太は少年を介抱するが翌日になると少年は忽然と姿を消していた。
少年の消息を追って空の上を探索するうちにのび太一行は自分たちが創造した雲の王国とは別の雲上王国こと天上世界に辿り着く。天上人たちはのび太一行を歓待するが、それは罠だった。
天上人たちは度重なる地上人たちの環境破壊活動を見かね、地上に洪水を引き起こす(=ノア計画)ことで地上人たちを滅ぼそうと画策していた。天上人の目論見に勘づいたのび太とドラえもんは天上世界を逃れる道中で謎の少年と再会する。少年もまた天上人の強引なやり方に反感を持つ一人だった。
天上人は地上人の淘汰と並行して絶滅動物を含む希少動物を天上世界の保護区に移住させる計画をも進行させていた。少年はその計画に巻き込まれた古代人だったのだ。
雲の王国へと逃げ延びるのび太とドラえもん。そこへ天上世界に捕えられていた違法狩猟者たちが合流する。彼らに降伏を迫る天上世界の追っ手に対してドラえもんは苦肉の策として雲の王国に備え付けられていた「雲もどしガス」の発動を示唆する。雲もどしガスは天上世界の土地である雲を単なる水蒸気に戻してしまうという、実質的な破壊兵器だった。
あくまで「脅し」に徹するドラえもんだったが、違法狩猟者たちは「雲もどしガス」による天上世界の破壊を試みる。一撃目が射出され崩壊する天上界。これ以上の暴力の応酬を食い止めるべくドラえもんは「雲もどしガス」が貯蔵されているガスタンクに自爆特攻を仕掛ける。ガスタンクはその場で大爆発を引き起こし、雲の王国は霧と消える。
最終戦争は食い止められたものの地上人の蛮行を踏まえ「ノア計画」の承認に拍車がかかる。しかも自爆特攻によりドラえもんは完全に機能を停止させていた。絶体絶命の窮地に現れたのは植物星から派遣されてきたキー坊だった。
キー坊はかつてのび太が裏山で拾ってきた苗木に「植物自動化液」をかけたことで誕生した植物生命体だった。キー坊の進言もあり、天上法廷は「ノア計画」の保留を決定する。またキー坊が故障したドラえもんに手を当てたことでドラえもんが再起動する。
歴代ドラえもん映画の中でも屈指で現実の政経問題が取り込まれている一作だった。株券を発行することで雲の王国の開発資金を調達したり、「雲もどしガス」という抑止力を外交カードとして切ったり、一部の悪意によって抑止力が実際に発動されてしまったりと、性善説主体の予定調和が多いドラえもん映画にあるまじきシビアさがあった。
環境問題の喚起それ自体はドラえもん映画において幾度となく取り上げられているトピックだ。しかし大抵は「自然を守ろう」という素朴な無責任なメッセージを発するに留まっていた。
本作に登場する天上人はそうした従来までのドラえもん映画の教条主義的なスタンスがそのまま受肉した存在といえる。中盤、しずかたちが天上界の博物館で見せられる映像では、地上人による自然開発が悪しざまに記述されている。そこには単純な善悪の二元論しかない。
天上人というある意味で「過去の自分自身」と相対した本作は、もはや子供向け映画の大義名分を忘れ難解な政治劇に片足を突っ込んでいる。でなければ抑止力などという二元論を超越した概念がドラえもん映画に出てくるわけがない。
天上世界とドラえもんたちの交渉が、「ノア計画」の永年凍結ではなくあくまで保留であるという苦々しい落とし所に決着するという点もドラえもん映画らしくない。
続く『創世日記』と合わせて過度に政治化したドラえもん映画として記憶に残る一作だった。