「追悼・大山のぶ代さん」映画ドラえもん のび太の恐竜 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
追悼・大山のぶ代さん
本当に今年はアニメ業界にとって厄年かってくらい、アニメレジェンドたちの訃報が続く。
『ドラゴンボール』鳥山明さん、まる子=TARAKOさん、峰不二子=増山江威子さん、のび太=小原乃梨子さん、草薙素子=田中敦子さん…。
そして遂に、この日が来てしまった…。
これだけは最も聞きたくなかった訃報だった。
人の命には限りがある。それは当然分かっていても、でもやっぱり…。
大山のぶ代さん死去。
言わずと知れた僕たちのドラえもん。
今のドラえもんの声も好きだが(声優交代して来年で20年。未だに違和感あるという声を聞くとがっかりしてくる)、やはりこの声で育ってきた。
優しく、温かく、時に厳しく、のび太や僕たちを見守ってくれた。
ドラえもん以外にもたくさんのアニメに携わり、女優としても活躍し、料理得意は有名。マルチな才能。
でもやはり、ドラえもん! 一世一代の当たり役、いや、一心同体!
それにしても、のび太とドラえもんが同じ年に逝ってしまうとは…。
ジャイアン=たてかべ和也さんもスネ夫=肝付兼太さんもすでに亡くなり、メイン5人で只一人残ったしずか=野村道子さんの心中を思うと…。
今、ドラえもんのあの声を聞くだけで堪らなく目頭が熱くなってくる…。
訃報が流れ、追悼コメントと共に数々の逸話も改めて。
当初は声にコンプレックスがあったという大山さん。『ドラえもん』アフレコ初日。アフレコ終え藤子先生から、「ドラえもんってこういう声だったんですね」。それが励みと支えに。実は“3代目”。大山ドラ誕生の瞬間。
代名詞的台詞「こんにちは。ぼく、ドラえもんです」。台本上では「お前がのび太か」と乱暴な台詞だったらしいが、子守りロボットがそんな乱暴な物言いしないと、急遽のアドリブ。名台詞が誕生した瞬間。
小原さん、野村さん、たてかべさん、肝付さんとは仕事仲間ではなく、盟友。特に“女子3人”でよく旅行や温泉に行ったという。
アフレコはいつも和気あいあい。笑いながら、泣きながら、毎週登場するひみつ道具に「こんなのあったら便利よね~」と言いながら。
私が好きな大山エピソード。ゴミをポイ捨てした不良に注意したら、「分かったよ、ドラえもん」と言う事聞いてくれたという。大山さんもとても嬉しかったとか。
確かにあの声で何か言われたら、そりゃ聞いちゃうな。だよ、のび太くん!
1997年、藤子先生が亡くなった時に『ドラえもん』終了を覚悟したという。
が、意志を継いで続いたが、高齢化を理由に2005年にメイン5人揃って勇退。26年演じ続けた。
この時の事ははっきり覚えている。新聞などでも一面で報じられた。
驚きだった。ドラえもん=大山さんはずっとだと思ってたから。
でも確かに、継続していてある日突然より…。まだ元気な内に感謝と別れを告げ、後継者に譲る。それも立派な花道だ。
新たなドラえもんとなった水田わさび。交代時は色々言われただろう。今も。
大山さんがエール。「わさびちゃんなら大丈夫」。かつて自分が藤子先生にエールを贈られたように。
交代後も声優やタレント活動は続けていたが、晩年は受難続く。
病気。夫・砂川啓介さんとの死別。
認知症。症状が軽い日もあれば重い日もあり、重い日は自分がドラえもんだった事を忘れるほどだったという。
これはショッキングだった…。僕たちを笑顔にさせてくれたドラえもんが!
本当に本当に、ただショックという言葉しか思い付かない。
それくらい、身体に染み付いている声だった。
私にとって、アニメ声優の筆頭は大山さんだった。
目を閉じても、耳を澄ましても、あの声が聞こえる。
ふふふ。
タケコプター! どこでもドアー!
ギャー!ネズミー!
ぼく、知~らない。
大丈夫だよ、のび太くん。
こんにちは。ぼく、ドラえもんです。
あなたがドラえもんでした。
(大山さんへの感謝と追悼に居ても立ってもいられず、この場を借りての追悼コメントとさせて頂きました。ちなみに『のび太の恐竜』は子供の時から何度も何度も何度も全てのシーンを覚えているくらい見ており、記念すべき第1作にして映画ドラえもんの礎。採点は4)