沖縄健児隊

劇場公開日:

解説

元沖縄師範学校生太田昌秀、外間守善の記録をもとに、「暴力市街」の沢村勉が脚色し、「美貌と罪」の岩間鶴夫が監督した。「岸壁」の生方敏夫、「青春銭形平次」の黛敏郎が撮影、音楽を担当している。「まごころ」の石浜朗、「日本の悲劇」の田浦正巳、柳永二郎、「きんぴら先生とお嬢さん」の小園蓉子、東谷暎子、「あばれ獅子」の紙京子、「純潔革命」の大木実、他に俳優座の永田靖、小沢栄、本郷淳、創作座の前田正二、大塚憲、劇団若草の荻田洋巳、これに当時の沖縄軍参謀令嬢木村倭子が特別出演する。

1953年製作/108分/日本
原題または英題:Last Student of Okinawa
配給:松竹
劇場公開日:1953年9月30日

ストーリー

太平洋戦争の末期、昭和廿年になると沖縄に戦雲は迫り、沖縄師範の生徒たちはペンをツルハシに代えて軍司令部の洞窟陣地構築に協力していた。新垣は母親が九州へ疎開することになったので、三浦先生は彼に母と一緒に行けと勧めたが、同級の金城等に卑怯者と罵られ、母だけをやって自分はふみ止った。出張先の東京から危険を冒して帰島した津田校長は、予科の生徒まで司令官直属隊として徴集される事に反対したが許されず、生徒と運命を共にする決心をした。三月廿五日、米軍は慶良間列島に上陸、この危急に備えて師範学校職員生徒は全員、鉄血勤王隊として徴集され金城、山里等は斬込隊を編成し、新垣、上江洲等廿二名は情報宣伝隊員として千早隊を編成した。四月一日、ついに米軍は上陸、日本軍は次第に南におされ、天長節の大反撃も噂だけに終った。六月末、司令官は生徒たちにそれとなく降伏を勧めて自決した。伊豆味も上江洲も比嘉も識名も戦死した。そして新垣は日本降伏も知らず洞窟に立て篭っていたが、三浦先生に探し出されて収容所へ向う。それまで同行した兵らはそれに応ぜず自決した。戦後建てられた沖縄師範健児の塔の前で、新垣は若き命が再び無駄に散らないことを祈るのだった。

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