「アニメのハッピーエンドが物足りなく感じるリアルな物語」ジョゼと虎と魚たち(2003) ゆまさんの映画レビュー(感想・評価)
アニメのハッピーエンドが物足りなく感じるリアルな物語
子供と一緒にアニメ版を観て、素直に「とても良かった」と感じ、後に調べて随分と前に実写版が作られており、さらに近年韓国版も出たと知って、今回こちらの2003年を観た。
アニメ版では、ジョゼの家には破格の時給で恒夫を管理人として雇うだけの余裕はあり、家も古いけれど趣があり、ジョゼには絵の才能もあった。逆に恒夫は両親が離婚していて苦学生で、しまいには事故で足を怪我をしてジョゼの苦しみが少し理解できた。ジョゼに下駄を履かして恒夫にもハンディを与えたことで、二人が対等になったからこそ愛ストーリーとして楽しめたのだと思う。
一方、実写版は打って変わって陰湿な雰囲気が漂う。「そこのみにて光輝く」の池脇千鶴がジョゼ役で、同じ空気感がある。ジョゼは施設出身で長屋暮らし。暮らしぶりは貧しい。ジョゼの祖母も悪態ばかりつく幼馴染も不気味だし、拾ってきた本や教科書からの知識は豊富だけど偏っていて恒夫に言わせると「変なことばっかよく知っている」。
恒夫にはセフレやクラスメートの気になる女の子がいて、女の子に困っている感じは全くない健全な大学生の男の子だ。ツンツン立った髪に象徴される軽薄さも、どこにでもいる普通の男の子らしさがある。そして、アニメ版と決定的に違うのは、田舎の両親や同じく都会で暮らす弟の存在だろう。都会で暮らす息子二人のためのダンボールいっぱいに野菜やらタッパー入りの明太子やらを送ってくれるような家庭だ。田舎のごくごく普通の善良な親に育てられた兄弟なんだと分かる。
つまり実写版でのジョゼと恒夫は非常に不釣り合いなのだ。違和感がある。恒夫はジョゼに与える存在でしかなく、惹かれる理由がよく分からない。最初は好奇心と同情だったであろう。
二人が最初に体を重ねるシーン。ジョゼが服を脱いでブラジャーを外すのを見ながら、恒夫は感極まって「泣きそうだ」と言う。セフレやクラスメートの女の子で経験があってそういうことには困っていない恒夫の純情が見られるシーンだ。
その後も、少なくとも恒夫にとっては、ジョゼとの関係は自然な恋愛として捉えているような場面がいくつかある。ジョゼの家に引っ越す時に、ジョゼが読んでいた教科書の持ち主の後輩を手伝わせてた時に「障がい者と初めて喋った」という後輩に対して「おれも」と笑うところとか、弟には隠すことなくジョゼと暮らしていることを伝えているところとか。普通の男たちの子がたまたま障害のあるジョゼと付き合っているのだ。
実写版では二人だけの世界と周囲の人たちも含めた世界での揺れ動きがしっかりと描かれている。ボーイフレンドを取られたクラスメートはジョゼに文句を言いにいき平手打ちをかますし、弟とのやり取りも恒夫を現実に引き戻す効力がある。二人の関係は外から見ると歪で無理がある。
二人だけの世界がずっと続けばいいと観ながら思ったが、それは恒夫も同じだっただろう。法事に出るために田舎へドライブする旅行で、車から降りると恒夫はジョゼをおんぶしている。車いすを「いらない」と言うジョゼを、ずっと背負い続けるのは大変だ。
恒夫は「俺だっていつか年取るんだし」と言うが、ジョゼとの暮らしがずっと続くように思って言った言葉だろうけれど、口に出した途端に、その将来に現実味がないことを悟る。ジョゼは恒夫おぶればいいと言いつつ、車いすを使わないことで恒夫にジョゼを背負うことの大変さを実感させたのだと思う。
障害者用のバスルームの中でトイレに座るジョゼに恒夫が抱きつくシーンは本当に切ない。彼の心が折れてしまった瞬間だ。両親にジョゼを会わせられない、ジョゼをずっと背負ってはいけないと。ジョゼは二人の関係に未来がないことをずっと知っていたんだと、恒夫が気づいた瞬間でもあっただろう。
別れた後のジョゼは電動の車いすで颯爽と進んでいる。一方、恒夫は平手打ちの元カノとよりを戻しているものの歩道で泣き崩れている。
「別れても友達になれる種類の女の子がいるけど、ジョゼは違う。ぼくがジョゼに会うことはもう二度とないと思う。」これで、恒夫にとってジョゼがいかに愛しくて大切でかけがえのない存在であったのかがよく分かる。
恒夫はあまりにも普通の男の子で白馬の王子様にはなれなかったけれど、恒夫との恋愛を通じてジョゼは外の世界へ踏み出していく。魚のホテルで予言したように、恒夫がいなくなった後もきっとジョゼは大丈夫だろう。
ハッピーエンドではないけれど大丈夫を感じさせる、リアルな物語だった。